8 騙されて合格
「かぁ~っ! しみるねぇ~!」
風呂上がりの一杯がそんなに旨いのか、なんとも幸せそうに笑う四十うん歳。まったく下品ですこと。
ごくごくと軽く飲み干し、次の獲物へと手を伸ばした。
この母親が酒豪なのはわかっているから注意はしないが、Tシャツにパンツ姿は止めてください。吐き気がして今にも倒れそうです……。
その横にいるブルーのジャージを着た姉──買い物から帰ってきたら風呂にでも入ったらしく、なぜか気落ちしていた──小型版も同じらしく、いや、ボク以上に不愉快らしく、勢いよくリビングを出て行き、母親の部屋に置いたピンクのパジャマを持ってきた。
「これを着なさいっ!」
気持ちよくビールを飲む母親へと投げつけた。
「なによ突然? 暑いんだからいいじゃないのよ」
「仮にも人の親なら子供の前では親らしくしなさいよ!」
バカ姉の怒りに「しょうがないわね~」とか言いながら母上様。もう吐いてもいいですか?
「着替えるならあっちで着替えてきなさいよっ!」
「まったく、うるさい子ね。あんたなんか裸で走り回ってじゃないの」
「いつの話してんのよッ!」
姉が苦しむ姿を見るのは痛快だが、いつこちらに被害が及ぶかわからない。なので落ち着けとオレンジジュースを姉に渡した。
奪い取るようにオレンジジュースをつかみ一気に飲み干すが、それでだけでは落ち着けないらしく、クーラーボックスに手を伸ばしてペットボトルをつかみ取った。
「なによ、水なんて飲んで。今日はおめでたい日なんだから一杯やりなさいよ」
姉さんが飲んでいたペットボトルを奪い取り、缶ビールを押し付けた。
「なにがおめでたいよ! 最悪よ! あと、お酒は二十歳過ぎてからよ!」
「ったく。堅い子ね。弟の偉業を祝ってあげなさいよね」
ってなことを言う母上様。ボク、なんかしましたっけ?
「なにが偉業よ! 娘まで利用しておいて! 陰険にもほどがあるわよ!」
……な、なんだろう。今までに経験したことがない汗が噴き出してきたよ……。
そのまま聞かなかったことにしたいが、聞かないと反抗のしようもない。なので、負けそうな心を鼓舞して母親を見る。
「……え、えーと。ボク、なにかとんでもない罠にかかちゃいました……?」
「ええ。とても悪辣で、容赦のない罠に掛かったわよ」
まるで自分が掛かったかのように吐き捨てるお姉様。
「やーね。罠だなんて。特別推薦枠に推しただけじゃないのよ。本当なら三年前にしたかったんだけど、光太郎のバカが邪魔しちゃってくれたから延びちゃったのよ」
詳しい説明を求めるために姉を見る。
「元生徒会長三名と現生徒会長の推薦があれば梅学に入学できると言う、そんなものあったのかと問いたくなる幻の規定であんたは梅学に入ったのよ」
「……そこに、ボクの意志が入ることはできないの……?」
「梅学に行く前だったらあったわ」
そのための星華ちゃんね。ほんと、悪辣だよ……。
「なぜ、ボクは幻の規定に引っ掛かるの?」
精霊獣を宿している以外、ボクに誇れるものはない。それだけで魔導の最高学府に入れる理由になれるのか? ましてやこの姉がボクを推薦する理由になるのか?
「もちろん、精霊獣を宿しているからよ」
マジでそんな理由なの!?
「世界には、精霊獣を守るために己の体内に宿す保護活動家は沢山いる。精霊の森を造り、繁殖活動をするNPO団体も沢山ある。この国のように国で守るところもある。でも、特Aの精霊獣を三匹も宿し、全魔力を与えるバカなんてそうはいない。にも関わらずあんたはその内の一匹に肉体を与えるまでに至った。それもたった九年でね。もう世界新記録よ。それだけで梅学に入れる資格はあるのよ」
「言い替えればそれだけのことだろう。小中と普通の学校に通ってきたボクになにを学べと言うのさ?」
小学生(魔導学校に通っていると言う意味でだ)でも簡単にできる灯りを生み出す術すらボクにはできないし、残り二匹が一人前になるまでは魔術を覚える気もないぞ。
「あんた、父さんに遊びにこいって毎年誘われているでしょう」
姉さんが鋭い目でボクを見ながら言った。
「それがなに?」
「光太郎、あんたを軍人にするために誘っているのよ」
「はぁ? どう言う意味だよ?」
育ててくれとは言われたが、なれと言われたことなんて一度もないぞ。
「この日本は暗黒期以後、独特の文化と歴史を持つ国になったわ。そのいい例が忍ね。独自の魔術。独自の知識。独自の技術は、どの国の秘匿部隊にも勝るわ。風魔や尚影のように世界に出て世界を学んで帰ってきた忍群もいるわ。世界大戦で圧倒的な連合軍相手に忍は対等に戦い、同等の関係で終戦まで持ち堪えた。戦後、日本帝国は忍を優遇し、その技を守るために梅学を提供したわ。その政策により世界第二位の軍事力を誇る国になった。けど、他の国にしたら脅威でしかない。どんな手を使ってでも帝国を、忍を弱体化させたい。そんなとき、日本帝国でも名門とされる服部忍群から裏切り者が出た。服部の歴史の中でも優秀な男が米国の手先となった。噂では、その男が指揮を取り、訓練と称して各地の紛争地帯に投入しているとね」
服部の者としたらおもしろくないだろうが、志賀倉のボクにしたらパパ大好きである。なんたって高価なプレゼントを"運んで"きてくれるんだもんっ。
「……あんた、父さんから"魔闘術"を学んでるでしょう」
心臓を握られたかのような痛みが襲ってきたが、根性で堪え、姉の鋭い眼差しを訝しげな顔で弾き返した。
「学んでるっても凪の型と闘の型、あとは回天術ぐらい。そんな睨まれるような奥義でもなければ秘技でもないだろうが」
全ての魔力を紅椿たちに与えているから魔を纏う術は使えない。が、回天術は体内で魔を練る回転させる技である。これをすると効率よく魔を与えられ、体への負担が軽くなるのだ。
「そもそもボクは志賀倉の名を継いだ人間だよ。戦うことより守ること。魔術より生活術の一族。ましてや今のボクの力は平均的な十歳男児くらい。それも普通にしていればだ。ちょっとでも激しい運動をすれば直ぐに体力低下。下手したら心臓停止だ。まあ、それを補うために道具使いとなったけど、小隊を足止めするのが精一杯。世界第一位の軍事力を持つ国が欲しがる人材じゃないだろうが」
そんなボクの言葉に母と姉が厳しい目を見せた。
「光太郎が鍛えた小隊を足止め、ね。米国の影が頻繁に息子に会いにくるのが不思議で堪らなかったけど、なるほど、兵と息子を鍛えるためにきてたのね」
「あの腐れオヤジ、どこまで服部の名を汚せば気が済むのよ……」
うぐっ。マズった。この二人にしゃべり過ぎた……。
「となると、あんたの武器の出処は光太郎ってことね」
「前々から不思議だったのよ。おば様の家に行く度に訓練施設が拡張され、軍用車輌やら防弾性の高い車が増えている。地下には射撃場まであるんだからね」
「まったく、久々に家に帰ればちょっとした軍事基地になってるし、学園の子たちは家事より車や火器の扱いの方が巧くなっている。美尋の話では次期幹部会なるものまで作ってるって言うじゃないの」
やはり美尋おはさんにはバレてたか。さすが現幹部長だぜい。
「わかった。降参だよ。けど、志賀倉を捨てた母さんに文句を言われる筋合いはないし、父さんの思惑なんて関係ない。ボクはボクの意志と責任で動いている。次の志賀倉の当主はボクだ」
国に属しようが使われようが、ボクの第一命題は"家族"を守ること。それだけは絶対に譲れないぞ。
「まあ、口は出さないし、勝手にやりなさい。志賀倉を敵にしたくないしね」
「わたしは服部の人間。これ以上服部の秘密を外部に漏らさないようにするのがわたしの義務。他のことはどうでもいいわ」
性格は腐っている母と姉だが、自分の生き方には正直な二人である。そこは信用してもいいだろうよ。
「んで、本当の理由はなんなのさ?」
ジロっと母と姉を睨む。
「親としては高校にも行かず旅に出ようとする息子をほっとける訳ないでしょうが」
「志賀倉の人間とは言え、あんたは服部直系の血を引いているの。しかも、服部最強と言われた父さんから教えを受けている。そんなあんたを父さんに渡したらお爺様に折檻されるわよ!」
姉さんの理由はともかくとして、この腐れババアがまともな理由であんな学校に入れる訳がない。絶対に裏がある。それも自分に都合がいい理由でだ。
「ちょっと聞くけど、あの学校に退学とか追放とかある?」
無駄とはわかっていても一応聞いて見る。
「どちらもないわ。学校の法を破れば牢屋に入るか国の道具になるかのどちらかよ」
と、姉さんが答えてくれた。
「卒業後の職業の選択は自由なの?」
「最低三年のは国に従事するのが義務。まあ、国家機関なら選択は可能よ。ただし、その者の力が必要とされる場合に限っては選ぶ権利も拒否する権利もない。使いものにならなくなるまで従事させられるそうよ」
腐ってんな、この国も。
「梅ヶ丘には幾つ科があって、ボクはなんの科に入れられるの?」
「科は七つ。あんたは一般普通科か特殊技能科のどちらかになるわね」
「その二つの違いは、なに?」
「一般普通科は、魔力は人並み以上にあるけど、歴史のない一般家庭に生まれた者が主に入るところ。特殊技能科は、その名の通り、特殊能力や特殊技能を持った者が入るところよ」
「ママ的には特殊技能科をお薦めするわ。特科は、全ての授業が選択制で最低三つ単位を取ればいいの。他にも飛び級があったり特別授業を受講できたり、多種多様な免許が年齢関係なしに取得できたりと、いろいろ優遇されてるの。でも、なによりの魅力は時間を自由に使えることなんだから!」
つまり、いつでもボクを利用できるからってことですか。この腐れめがっ!!
なんてグチったところでしょうがない。どんな情勢であろうが、どんな境遇であろうが、はたまた異世界だろうが生き残るのに長けているのが志賀倉一族。心を決め、生きる努力をしよう。逃れるその日までな……。
「じゃあ、特殊技能科に入る」
言ってビザに手を伸ばす。
取り敢えず、今日はヤケ食いだ!