7 姉弟喧嘩
「ただいまぁ~! ママのお帰りだよぉ~♪」
予定の午後四時を三時間過ぎてから母親が帰ってきた。
まあ、最初から時間通りに帰ってくるとは思ってはいないし、待ちわびていた訳でもない。なにより今は母親に構っている暇はないのだ。
「いい加減寄越しなさいよっ!」
「誰がやるかよっ!」
現在、姉弟喧嘩の真っ最中。何年ぶりかの激闘である。
十五にもなって取っ組み合いの姉弟喧嘩なんてと呆れると方もいるだろうが、弟には退いては行けないときがあるのだ。それは姉による横暴がなされたときなのだ。
「このわからず屋のバカ弟! 弟なら姉に従いなさいよっ!」
「ハッ! それはどこの世界のファンタジーだよ! 頭腐ってんじゃないの?」
髪を引っ張ったり引っ張られたり、噛み付いたり噛み付かれたり、もはやグチャグチャのメチャメチャ。片や何百年も裏の世界で暗躍してきた忍の子孫。片や何百年も家庭を支えてきた一族の子孫。ご先祖様が見たら嘆きたくなるほど幼稚な姉弟喧嘩であった。
とは言え、精霊獣を宿し、全魔力を注いでいるボクの体力は十歳の子供にも劣る。そんなボクが人間兵器に勝てる訳がない。本気を出されたら一秒と持たないだろう。それがこうして幼稚な姉弟喧嘩ができるかと言うと、開始と同時に特殊繊維を混ぜ混んだ鳥もちを食らわしてやったのだが、腐っても人間兵器。虎でも動けなくなるものなのにスゴい力を出しやがるぜ。
「──止めなさい!」
ごちんっ!
ごちんっ!
表現し難い痛みが頭に生まれ、視界全てが星で埋め尽くされた。
……い、痛い! まるで痛覚のど真ん中を直撃したかのような痛さだぞ……!
「で、なんなの?」
やっと痛みが引いてくれた頃、腐れババアが口を開いた。
文句の一つも言ってやりたいが、今の敵はバカ姉である。退くことならず、背を見せることならず、である。
「姉さんがごうつくばりなのが原因さ!」
「バカ弟がわからず屋なのが原因よ!」
ごちんっ!
ごちんっ!
再度、頭に痛みが生まれ、今度は視界全てで光が乱舞した。
……て、手加減しろや、この腐れババアがっ! こっちは常に生命数値が低いんだからよぉっ……!
「で、なんなの?」
こんな理不尽に屈するのは不本意だが、このまま鉄拳を食らったら確実に死ぬ。マジで死ぬ。ここは意地より命を優先させよう。
「これだよ」
死守していたトランプケースサイズの小箱を母親に放り投げた。
「なにコレ? なにかのカードゲーム?」
首を傾げる母上様。
ふ~ん。水鉄砲を知っていてコレのことは知らないか。ってことは、ボクの情報は美尋おばさんからか。ならば、まだ抵抗の余地はあるようだぜい。
なんて余裕の笑みを浮かべそうになるのを必死に我慢する。
「返して」
やはりまったく知らないようで直ぐに返してきた。
小箱を開けて中からナンバー25と書かれたカードを取り出した。
数字が書かれた方を下に。魔法陣が描かれている方を上にして床に置いた。
「ナンバー25、保存水その三、召喚」
ボクの言葉に魔法陣が輝き、直径一メートにまで拡大。五百ミリリットルの水が入ったペットボトルが収納された大容量のクーラーボックスが浮かび上がってきた。
「……なるほど。"道具使い"なんてちょっと懐疑的だったけど、これなら納得だわ。でも、あんた魔力使えないでしょうに?」
確かにこう言った魔法道具は、発動させるのにいくばくかの魔力を必要とする。時と場所を間違えないようにと。自分だけが使えるようにと、ね。
「この"サバイバルカード"は学園の子らにも使えるように呪文式にしたんだよ」
うちにも魔力を持つ子はいるが、大多数の子らには魔力がない。特殊性より利便性を優先させたのだ。
「なるほど。姫子じゃなくても欲しくなるわね。長年の輸送問題がここに解決だわ」
「別にタダで寄越せとは言ってないわ。十万出すって言ってるのに、このバカ弟は寄越さないのよ!」
「バカはそっちだ! 開発費だけでも十億は超えてんだぞ! しかも、コレ一枚造るのにうん百万の製造コストが懸かってんだ、そんな端金で売れるかよっ!」
ばあちゃんや美尋おばさんに知られずに資金を集めるのにどんなに苦労したか。その苦労を語るだけで三日は要するぞ!
「姫子が悪い」
「また正光の味方する……」
ぶすっとしてそっぽを向いた。
「別に味方なんてしてないでしょう。そんなに欲しいなら適正価格で買いなさいって言ってるの。そうね。イシュールの魔石三十五個。それでどう?」
「意味がわからないんですけど?」
「高級のイシュール魔石三十五個で姫子に譲ってやりなさい。ここで見せたと言うことは、そのカードは普及したってことでしょうし、予備もあるってことでしょう」
まったくもって忌々しいくらい見抜いてくれるじゃないの。とは言え、ここで抵抗したところでこの二人に勝てる訳ではない。押し切られるのに決まっている。ならば、その条件で手を打っておこう。
ボクの沈黙を躊躇していると勘違いさた母さんがため息をつく。
「用意周到なのもいいけど、そればかりに頼っていると周りにあるものに目を向けられなくなるわよ。まずは、そこにあるものを使えるようにしなさい」
ボクの到達点はそこでもないし、道具使いはサブ職だ。だがまあ、ここはそう思わせておくのが吉だろう。なので、しかたがなくと言った感じでサバイバルカードを姉さんに放り投げた。
「うん、いい子ね。姫子もいいわね?」
「わかったわよ。でも、直ぐに三十五個も用意できないから一週間は待ってもらうわよ」
「ああ、構わないよ」
「はい。じゃあ、これで終わり。で、夕食は? ビールは?」
姉弟喧嘩で散らかったリビングを見回した。
リビングの端に飛んで行った携帯と某ビザ屋のチラシを取り上げ、母さんに渡した。
「なににする?」
ここにくる前にもらってきたものだ。
「え~! ビザぁ~! もっと日本的なものが食べたいぃ~!」
しょうがないので近所の定食屋の品書きを渡す。
「あら、松月亭ってまだあったんだ。あそこのおじさんもしぶといわね。なら、カツ丼よね。あ、お蕎麦もいいわね。ビールは?」
「学生服着てるのに買える訳ないだろう。ビザと一緒に注文するよ」
「ま、しょうがないか。なら、いっぱい注文してよね」
はいはい、なんでもどーぞ。
「姉さんは?」
「クリームソースのパスタに生ハムサラダ。あと、桃シャーベットとオレンジジュースのL」
「あいよ」
まずは松月亭さんに電話。次にビザ屋に電話する。
「さて。一っ風呂浴びてきますか──って、シャンプーとか買っててくれた?」
「生活必需品はだいたい揃えたけど、電化製品は自分で買ってよ。あと、サイフは置いて行く。注文がくるまでコンビニとドラッグストアに行って残りを買ってくるから」
「さすが志賀倉の子。仕事が速いわ。はい、お願いね」
投げ出されたサイフをキャッチ。中から万札の束──少なくとも八十万は入ってんなこん畜生が──から一枚、いや、立て替えた分と迷惑料で十枚くらい抜き取り、姉さんに放り投げた。
「きたら払っておいて」
言って家を出た。