4 命の恩人でした
「ぼくは、島本嵐。ここの教師だよ」
狼狽えるボクを気遣ってくれた男の人──島本教諭が場を仕切ってくれた。
「この子はヤマト。知っての通り炎狼だよ」
世界から魔が消失してから精霊獣は第一級の保護対象生命体となった。
暗黒期前なら高等精霊獣が人化すると言った話は当たり前の事実であり、そう珍しいものではなかったと伝聞されている。だが、現代は違う。魔を栄養とし、魔と一緒に生きてきた精霊獣が暮らすにはとても難しい。人に宿ったり、人の手で造られた魔の森で生息したりと、今を生きる精霊獣にはとにもかくにも厳しいもなのだ。まあ、暗黒期前から生きている精霊獣──いや、もう神獣と分類されている者なら己の魔力で子を育てられるだろうが、そんな神獣など十もいないし、いられる環境など五もない。自然豊かな日本帝国ですら聖域と呼ばれるところを維持するのに莫大な金が掛かり、そこに住む精霊獣──水龍も暗黒期前の半分も魔力がないと言う。
「……本当に……いや、目の前に証拠があるんだから事実なんでしょうけど、とても飲み込むことができません。ボクなんて肉体を生み出すのがやっとだったのに……」
もっとも、それは炎狼の──『紅椿』の才能が飛び抜けて優秀だったのと星華ちゃんが持ってきてくれる"魔石"があったからだ。でなければとてもじゃないが『魔を生み出す肉体』を得るなんてできなかったことだろうよ。
「それはこっちのセリフだよ。幼体とは言え、特A級の精霊獣を三匹も宿し、育てるために全魔力を与えるなんて無茶をする。そんなことをすれば常に脱力感と疲労感で立っているのも辛いだろうに、そんなことまったく関係ないとばかりに平然としている。美姫先輩と光太郎先輩の血を受け継いでなければ強制的に病院送りさ」
「……ボクが精霊獣を三匹も宿しているって、よくわかりましたね?」
星華ちゃんが話したのと視線を向けると、なにやら意味あり気に笑っていた。
「ふふ。覚えてないかな? 九年前、精霊密輸事件のとき、無謀にも精霊獣を三匹も宿した君を診た精霊獣使いのお兄さんのこと?」
その言葉に九年前の事件が鮮明に蘇った。
ボクら幼なじみで廃工場を探検していたら精霊獣の幼体を八体見付けた。
今考がえなくても無謀以外なにものでもないが、ボクらは精霊獣を助けるために密輸犯を捕まえるために戦ったのだ。
当然のごとく捕まったのはボクらであり、取引が終わるまで監禁されてしまった。
だが、監禁された場所が精霊獣の幼体と同じ場所であり、ボクらには魔力があった。
助けられないのかなと嘆くボクに、幼なじみの一人が精霊獣は宿すことができると言った。
ボクらも幼く、無知で、どうしようもなくバカだったので、助かるとか死ぬとか考えず、ただ、精霊獣の幼体を助けたい一心で体内に取り入れてしまったのだ。
ボクも幼なじみたちも魔力は人一倍保有量があったため、難なく宿すことはできたが、精霊獣の幼体は八体。ボクらは六人。二体余ってしまった。
難なくとは言え、宿したときの魔力喪失は百メートルを全力で走ったときのように心臓が跳ね、経験したこともない疲労感に襲われた。
それ以上は無理だと、幼いながらも理解した。
だがボクは見捨てることに納得できなくて、星華ちゃんや幼なじみの制止を振り切り更に二匹を体内に宿した。
そのとたん、体の奥で炎が吹き上げた。
体が引き裂かれるような痛みと、意識を保てないくらいの熱さ。そして、心が張り裂けんたばかりの生への叫びに気が狂いそうになった。
その後のことは覚えていない。気が付いたとき、目の前に優しい笑顔をしたお兄ちゃん──島本教諭がボクに魔力を注いでいてくれたのだ。
姿勢を正し、島本教諭を見る。
「あのとき、なにも言えずにすみませんでした。あなたに魔力をもらえなかったらボクの命も皆の命も失っていました。助けて頂きありがとうございました」
深々と頭を下げた。
あのあと、紅椿たちを処分するかどうかで揉め、更に両親の離婚で忙しく、助けてくれたお兄ちゃんにお礼を言うことができなかったのだ。
「ふふ。そう言う礼儀正しいところは美尋さん似だね」
「え? 美尋おばさんを知っているんですか?」
美尋おばさんは普通の高校を出たはずだが?
「美姫先輩、昔から目標があると人生を振り返らない人でね、なかなか家に帰省しないんだよ。だから美尋さんが心配してよくきたもんさ。いや、懐かしいよ。美尋さんがきたときは学校中の野郎どもが餓えた狼になってね、もう収集がつかないくらい荒れて、美姫先輩が出てきたんだけど、口より拳の人だから、もう拳炸裂、怪我人続出だよ。光太郎先輩から百人殺しの生徒会長なんてあだ名をもらっていたっけ」
懐かしいそうに笑う島本教諭。
まあ、美尋おばさんの美貌も我が母の強さもよく知っているので島本教諭の話が事実なのは理解できるが、まさか我が母──と我が父がここの出とは今の今まで知らなかったぜ……。
──ドン!
と言う音が響き渡り、ボクと島本教諭が同時に振り向いた。
「お礼を言えたのなら、そろそろ一匹足りない理由を教えてくれないかしら?」
先程見せた笑みとは違い、なかなか威圧が籠められた笑みを浮かべていた。
……やれやれ。星華ちゃんもこーゆーおっかない笑みができる年齢になっちゃったか。幼なじみとしては悲しいよ……。
「まあ、端的に言えば、もうボクの手には負えなくなったってことさ」
ボクの説明に意味わからないって顔をする星華ちゃん。
まあ、無理はない。どんな説得にも紅椿たちを捨てなかったボクが投げやりなことを言うのだから。
「紅椿の能力の高さは宿したときから理解してたけど、肉体を得てからの紅椿は凄まじいに尽きたよ。基礎魔導言語を三日で修得し、基礎炎術は一日でマスターする始末。他にもいろいろ魔術を学び、一月後には言葉を発するに至ったよ。宿したときから言語や日常生活を学ばせていたとは言え、マウスをクリックしてたときにはさすがに腰を抜かしたよ……」
肉球でマウスをつかみ、爪でクリックしてる姿のなんてシュールなこと。事態を飲み込むまで三十分も要したよ。
「……雑誌に投稿したら、さぞや注目を浴びるでしょうね……」
星華ちゃんの呟きに島本教諭も同意の頷きをした。
「それでも紅椿の成長に協力したけど、一月が限界。日常生活にも影響が出てきたから解約して旅に出させたよ。あとは自分で学べってね」
「た、旅って、危険じゃないの? 精霊獣を狩るハンターやそれを売買するブローカーって結構いるもんだよ。ましてや特A級の炎狼なんて黄金の塊が動いているようなものだ」
「そうだね。君たちが巻き込まれた事件で取り締まりが強化されたとは言え、国際密輸組織は歴史も長く技術もある。周到な計画で狙われたらヤマトでも危ないだろうね」
まあ、普通に考えたらそうだろうね。
「ボクの経験は紅椿の経験でもある。捕まるバカではないし、仮に捕まったとしても相手を全滅させるさ」
「その自信はどこからくるんだい?」
「先生は、うちの母と初めて会ったのはいつですか?」
「確か、美姫先輩が中一でぼくが小四だったかな? それが?」
「うちのばあちゃんが嘆いていました。紅椿を見ていると小さい頃の美姫を見ているようだって」
ボクがなにを言いたいか理解した島本教諭は、優しい笑顔が凍り付き、溶けると深いため息を吐いた。
まあ、母親の小さい頃など知らないが、紅椿の破天荒に翻弄されてきた今のボクなら二人の嘆きもため息も理解できる。まさにご愁傷さま、である。
「やれやれ。志賀倉一族のなんて怖いこと。歴史の表舞台に現れないはずだよ」
別に闇の世界で生きている訳でもなければ世界平和のために陰で戦っている訳でもない。至って普通……とは言い切れないし、いろいろ商売には手を出してはいるが、基本うちは『家政婦派遣業』である。依頼があれば出産から葬式まで応じるが、料理や掃除したりするのがメインの一族である。
「まあ、紅椿の心配より紅椿にちょっかいを出すヤツの方が心配だよ」
躊躇とか手加減とかどう教えても覚えてくれなかったんだからさ……。