16 木陰からの接触
とりあえず忘れてくれ。
なにを? なんて聞くなよ。人には触れられたくない過去が一つや二つはあるものだ。黙ってわかったと頷くのが人としての優しさ。人の愛である。そう、愛は人を救うのだ。地球を救うのだ。愛。それはなんてステキな……って、なに言ってんだボクは? あんな悪夢を見たくらいで動揺しやがって。あの程度の悪夢など犬に噛まれたより大したことない。世の中にはもっと酷い悪夢などゴロゴロ転がっているんだ、もっと気合いを入れろ、バカなボクよ。お前にはやることがいっぱいあるんだぞ!
──まったくもってその通り。集中しろ、ボクよ!
いつの間にかあっちの世界にトリップしていた意識を現実の世界へと引き戻すと、目の前に女の子の後頭部があった。
「な、なに?」
上半身を折ってノートパソコンのモニターを除き込んでいた女の子が上半身を戻してこちらに振り向いた。
赤いスカーフからしてボクと同じ一年。襟元のバッチは情報科か。まったくもって読み通りだな……。
「なにしてるの?」
「スパイ狩り」
ボクの返答にぴくりと口許が反応したが、表情は崩さない。なんのこととばかりに首を傾げて見せた。
……ふふん。なかなかの人材をぶつけてくるじゃないの。その挑戦、受けてあげるよ……。
「なーに?」
「いや、なんでもないよ、野村静香さん」
今度はさすがに表情が崩れた。
やっぱり情報科の名簿から見て正解だったよ。
「堅牢な要塞ほど内からの攻撃に弱いとは言うけど、まさか本当に弱いんだから驚いたよ。保健棟のパソコンのパスワードがキーワードに貼られてあるし、事務棟のセキュリティも甘々。無線LANなんて弄ってくれとばかりに剥き出しにされている。もう情報奪い放題でメモリーカードどころか外付けハードディスクに容れる羽目になったよ」
「───いくら?」
どう反応するかなと思ったら、なんとも予想外の反応をしてくれた。
「その情報いくらで売ってくれる? 百万までなら直ぐに出せるけど、一日待ってくれるなら五百万まで出せ───ううん! 言い値で買うから他に売らないで!」
さすがになんて言っていいかわからない。まさか売ってくれなんて言われるとは思わなかった。木陰、恐るべし……。
「ねぇ、お願い! 売ってよ! なんなら志賀倉が欲しい情報を格安で売るし、調べてあげるからさ!」
とても木陰の一族とは思えないほどの取り乱しようだな、おい……。
「……まあ、お金はいいからその条件であげるよ」
パソコンに繋げた外付けハードディスクを外して野村さんに渡した。
「……いいの……?」
「いいよ。これと言って欲しい情報はなかったからね」
まあ、コピーはしてあるし、プレゼントも仕込んであるしな。
「じゃあ、なにが欲しかったの?」
「梅学の秘密。もしくは梅学に侵入して逮捕された者の情報だね」
もっともそんなものがあるとは最初から思わなかったし、梅学の生徒の名簿が欲しかったから奪ったまでだ。
「あ、あたしが言うのもなんだけど、余り梅学の奥を見ない方がいいよ。これは噂で信憑性には欠けるんだけど、許可のない者が梅学の秘密を知ったら一生監獄か脳を焼かれるって話だよ」
「ってことは総合会館の方か……」
この学校の管理運営をするところで、ちょっと見て回っただけで諦めた。防衛省より堅牢な建物で警備だったぞ。
「……怖いもの知らずだね、志賀倉くんって……」
「それこそ木陰とは思えないセリフだね。自分の目で見た情報しか信じないと言われた木陰が噂ごときで脅えるなんて。木陰ならその噂の真偽を確かめるくらいの気概がなくてどうするのさ。そんなんじゃ木陰の名が泣くよ」
欲しい情報だからこそ命を懸ける。まあ、うちは金を使うけどね。
「それよりボクになにか用? 用がないなら一人にしてくれると助かるんだけど」
「そーよ! なにしてたの?」
「だからスパイ狩りって言ったでしょう」
「あたしには水道量の調査をしてるにしか見えないんだけど?」
モニターに映し出されているのは各家庭の水道使用量が上から下へと流れている。
……まあ、知らない人が見たらそうかもしれないな……。
「ちょっと聞くけど、情報の値段ってどう決めるの?」
「え、値段? ん、えーと、そーね。集めた情報の苦労度で決まるかな? 例えば、一人で集められる情報ならだいたい一万円から五万円。二人以上で一週間以上掛かるなら十万円から二十万円。国家機密になればうん十億になるわね。でも、相手の欲しい情報次第で高くなったり安くなったりするし、情報屋の腕にもよるし、はっきりいくらとは言えないわね」
「つまり情報屋の言い値ってことか」
「う、うん、そうなるかな。でも、そうそう法外な値段はつけられないよ。情報はナマモノ。新鮮なうちに売らないと腐っちゃうからね」
「じゃあ、梅学の周りを彷徨いているスパイはさながら納豆になっちゃってるね」
ボクの上手くない例えに野村さんがギョッとする。
「……ど、どうして知ってるの……?」
その驚きからして重要機密に分類されてるか。こりゃ、高額かな?
「今日の朝、梅学を一週したら奇妙な行動をするおばさんがいた。いかにもそこに住んで三十年と言った姿なのに、他人の家を掃除しているかのようにヘタクソ。で、調べたら夫と二人暮らし。それなのに、水道料金やガス代がどう見積もっても六人分以上。それだけでもおかしいのに、電気代がとても少ない。車庫証明書を調べたら車は所有してない。なのに、登録もされてない会社名が書かれたワンボックスカーが停まっている。どう考えてもおかしいでしょう」
「……あたしとしては、水道料金やガス代を調べられる志賀倉くんの方がおかしいと思うわ……」
「集めたのはボクの親友だよ。サイ・ウィザードって知ってる?」
知らないと首を振る野村さん。
「木陰にはコンピューターの専門家っていないの?」
「いや、いるけど、公共のコンピューターに不正アクセスする人なんかいないわよ」
それは正規にアクセスできると言う意味なんだろうな。
「そうなんだ。シャイニングやロッカーなんて木陰かと思ったんだけど、違うのか」
余り牽制にはならないと思うけど、一応、忠告だけはしておく。親友の安眠のためにも、な。
「志賀倉一族って、そんなこともするの?」
「しなくちゃならなくなったからしてるだけだよ。うちは基本、家政師派遣業者。なのに、なにを勘違いしたのかわからないけど、うちはなにかの特殊能力者集団にされてるんだよね。んな、能力があったらもっと巧みに隠れてるし、ダメなら能力を活かして大きくなってるっての。わかれよ、バカどもがっ!」
「……あたしには、十分特殊能力者集団に見えるし、志賀倉の幸運伝説は有名だよ……」
「こんなの生活術の応用だし、その伝説もウソだよ。そんな幸運があるならこっちがあやかりたいよ。あーもー目がチカチカしてきた」
モニターを閉じて野村さんを見る。
「で、スパイの情報が欲しいんだけど、売ってくれる?」
「え、あ、その、ちょっと待ってくれる? そう言う国家機密って上の許可がないとしゃべれないんだ。あたし、まだ下っぱだし、下忍にもなってないし、ごめん! ごめんね───」
逃げるように去って行く野村さん。
まっ、いると言う情報と持っていると言う情報がわかっただけでも十分。あとは地道に探せばいいさ。一般人に紛れているのなら志賀倉の目は逃さないんだからね。
読んでもらえることに感謝を籠めて。
「ありがとうございます!」




