1 騙されて旅立ち
「はぁ~い」
なんの感慨もない卒業式が終わり、数少ない友達と別れを済ませて校門を出ると、右手から軽薄な声が飛んできた。
なんだとばかりに振り向くと、黒いスーツに身を包んだ女性がこちらに向かって手を振っていた。
誰だ? って、一瞬思うくらい久しぶり会う母親だった。
「中学卒業おめでとう、正光。すっかり大きくなっちゃって」
ボクを上から下まで見ると、三年ぶりの再会などまったく関係ないとばかりに豪快に笑った。
「……な、なにしにきたんだよ……?」
直ぐに思い出したとは言え、母親の存在など記憶の底に埋もれていたからそう言うのが精一杯。突然すぎて頭が回転してくれないよ……。
「息子の卒業式にきた母親に言うセリフ? もうちょっと感動的なこと言いなさいよ!」
九年前、離婚してボクをばあちゃんへ押し付けてから約八年。今日やっと五本の指を使いきった数しか会いにこない母親にどう感動しろと言う。これなら毎年きてくれる父親の方がまだ感動できるわ。
「はいはい、きてくれて嬉しいよ。ありがとね」
まあ、反抗するのもメンドクサイので適当に言っとく。
「愛がない! この胸に飛び込んでくるくらいの愛を見せなさいよ!」
「ふざけんな! 誰がするかよっ!」
そんな腐れたことするくらいならこの場で死を選ぶわい!
「まったく、愛情表現が下手なんだから。いったい誰に似たのかしらね」
……目の前の人ではないことを切に願うよ……。
にしてもだ。この母親はどこの竜宮城に行ってたんだ? 姿にまったくの変化がないんだけど……。
我が母───志賀倉美姫、うん十歳。職業は警察官、だったはず。よく知らん。
その母曰く、『母は仕事に復帰する』と宣言(離婚)したときから容姿に変化がない。どこからどう見ても二十歳半ば。とても子供二人いるとは思えない見た目である。
……謎多き志賀倉一族の中でも謎深き母である……。
「もうなんでもいいけど、いったいなにしにきたんだよ? 仕事はどうしたのさ?」
いつだったか忘れたが、『世界を駆ける警察官は忙しいのよ』とかなんとか言ったのを覚えている。まあ、『世界を駆けるってなに?』とは突っ込まなかったので未だに謎だが、今でも聞く気はない。というか知らないで一生を終えたいよ。
「これからは日本でお仕事なの。だから息子の卒業式にきたのよ」
「その卒業式はとっくに終わっているんですがね」
もっともこられたら嫌なので助かったがな。
「てへ。美尋とおしゃべりしてたらつい長くなっちゃった。ごめんちゃい」
片目をつぶり、ペロっと下を出しながら右拳で自分の頭をコンと叩いた。
イラっときた。
女子高生ならまだしも四十うん歳がやってんじゃねーぞ、クソババアがっ!
「……いや、もう、なんでもいいよ。んじゃね……」
この母親に怒るだけ無駄。自分の胃を守るためになるべく関わらないようにしよう。
「ちょっと待ちなさい」
そのまま母親の脇を通り過ぎようとしたら突然、襟首をつかまれた。
「なに?」
「それはこっちのセリフよ。せっかく母親がきたのに冷たいじゃないのよ!」
産みの親より育ての親。ボクの中では美尋おばさん──ちなみに美尋おばさんは、この母親の妹です──が真の母親です。
「ここ九年、親子の関係なんて皆無の状況でなにをボクに求めてるのさ?」
そんなボクの冷徹に、ニタリと笑う産みの親。
「ウフフ。なら、親子関係を深めようじゃないの。これからたぁ~~ぷりと、ねっ」
そう言うやいなやボクの首に腕を回して拘束しやがった。
腐っても志賀倉一族きっての激女。その腕は熊ですら余裕で絞め殺す力を秘めている。とてもじゃないが今のボクには対抗できない。てぎないところか瞬殺されるっ!
「──あ、いや、今日は美尋おばさんがお祝いしてくれるっていうからさ──」
「大丈夫。美尋にはちゃんと言ってあるから」
「そーだ。瑠花と待ち合わ──」
「さっき瑠花ちゃんに言って譲ってもらったから」
「あ、そうそう。とうさんが遊びにこいって──」
「だからきたんじゃない。もう光太郎なんかに先を越されてらんないわ」
どうやっても逃げ切れませんか。ならば歯向かうだけ無駄ですね。はい、降参です……。
……まったく、昔から強引で我が儘な母親だ……。
「うんうん。そんなにママと過ごしたいか。なら、いっぱい親子しましょうね!」
そのまま引きずるように路肩に駐車していた有名高級外車へと押し込まれた。
……アルシード社製のニューモデル、ベガルGXGかよ。二千万もする車に乗れる金があるなら毎月仕送ってきやがれってんだ、腐れ母親が……。
息子の非難の目など、どこ吹く風。ウキウキしながら運転席に収まり、カップホルダーからサンクラスを取って掛けた。
「ふふ。なんだかデートみたいね」
……そうかい。こっちは売られに行く子牛の気分だよ……。
「ところで、後ろの荷物はなんなの?」
後部座席には大きなキャリーケースやらがこれでもかと言うくらい積み込まれていた。
「うん? ああ、それね。正光に会いたくて急いでいたから出ているものだけ積み込んできたの。どうせ必用なものはあっちで買えばいいしね」
その主張には賛同するが、ボクが尋ねているのはその積み込み様だよ。これだけの量をよく積み込められたな。っていうか、出せるのか、コレ?
「んで、どこ行くワケ?」
「まずはホテルで食事よ。正光の卒業祝いで一流どころを予約したんだから」
「別にばあちゃんのところでもいいだろうが。もったいない」
ばあちゃんも美尋おばさんも料理の腕は一流だ。そこら辺の一流どころで食べるより遥かに豪華だ。ましてやうちには旅行雑誌に特集されるほどのホテルもあれば誰にも教えたくない隠れ宿もある。わざわざ高い金を払って他に行くなどバカらしいにもほどがあるだろうに。
「いいじゃないの。せっかく母と息子の会瀬なんだから誰も知らないところで過ごしましょうよ」
会瀬なら恋人としてくれ──とはいわない。こんな母親と付き合う悪趣味な男など父さんしかいないんだからさ。
「はいはい、なんでもどーぞ」
ここは親孝行と思って諦めよう。どうせ高校へ進学しない身なんだし、少しくらい母親に時間を使ったところで人生に支障はないさ。
なんとも嬉しそうな顔して車を発車させた。
ため息一つ吐き、流れて行く中学校に目を向けた──が、なに一つ思い出が蘇ってこない。出てくるのは学校外のことばかり。
……アレ? ボク、中学校でなにしてたっけ……?
いや、まあ、そんなことは追々思い出せばいいとしてだ。こんな問題児を卒業しせてくれた先生方に感謝し、輝かしい明日へと旅立ちますか、うん。
『姫と騎士の歩む道』を読んで下さった方々に感謝です。