その4 チョコとの初デート
魔女の館から最寄りの村までは、徒歩十五分。
曲がりくねった森の小道を抜け、簡単な木の柵で仕切られた村の中へ入ると同時、腰に銅剣をぶら下げた門番らしき男が駆け寄ってきた。
てっきり尋問でもされるのかと身構えたところ。
「――チョコ様! どうぞお通りくださいッ」
門番は背筋を正してビシッと敬礼。俺に対しても、チョコの連れということで愛想よく微笑んでくれた。
村を横断する石畳のメインストリートには、商店や露店がズラリと並んでいる。日暮れ間近でどこも店じまいの最中だが、それなりに盛況だろうことは彼らの表情で分かった。
「あッ、チョコ様だ!」
「チョコ様、この黄金桃をどうぞ! 甘くて美味しいですよッ」
「うちのチキチキ鳥も、まだ熱々ですから!」
店主たちがわらわらと集まり、売れ残りの品を差し出してくる。チョコは苦笑しつつそれらを遠慮した。
……なんというか、お忍びで街へやってきたアイドルって感じだ。
どうしてこんなに人気なのか、という疑問はすぐに解決した。
チョコの姿を遠巻きに眺めていた人物――ローブを纏った旅人たちが、ひそひそ声でこんな話をしていたのだ。
「まさかあの方が……」
「かの天才魔術師……」
「チョコ・ル・アート様……!」
なんと彼らは、チョコの姿を一目見ようとやってきた『追っかけ』だった!
本来なら森の入口で『出待ち』するところが、向こうから現れてラッキー……とかいうレベルじゃない。大のおとなが人目もはばからず感激の涙を流している。
……もしかすると俺は、とんでもない人物に弟子入りしてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい、待たせちゃったわね」
「いえ、とんでもございませんチョコ様」
「……何よいきなり。気持ち悪いからやめて」
心底嫌そうな顔をしたチョコが、再びメインストリートを歩き出す。
十分ほど進むと、乗合馬車の停留所が見えてきた。馬とラクダのあいのこような動物がくかぁっと欠伸をしている。
「ここはリュミエール王国の東の端にあるから、〝国境の村〟って呼ばれてるの。馬車は一日二便、隣町まで往復しているわ。その先の大きな都市へ向かう直行便もあるけれど、それは護衛の冒険者が集まりしだい出発って感じね」
メインストリートの終点に行きつくや、今度は住宅街へ。
こちらも牧歌的で良い雰囲気だ。木造家屋の庭先では家庭菜園が作られ、トマトに似た青い実がぶら下がっている。
途中、村で最もデカい建物――村長宅に立ち寄り、腰の曲がった白髭の爺さんにご挨拶を。
「コイツ、アタシの相棒のヨシキ。ヨロシク」
というシンプルな不良風の紹介に、村長の爺さんは満面の笑みで応えた。お茶のお誘いをいただいたものの、後日あらためてと玄関先で退出。
小ぢんまりとした村の中は、三十分もあれば一周できた。
それでも俺にとっては初の異世界散策だ。チョコの解説に「へー」とか「すげー」といちいち感動しながら、カルガモの子どもみたいについて行く。
そうして辿りついた目的地は、木の香が漂う立派なログハウス。
一歩足を踏み入れると、そこは静かな村の中とは思えないくらいの賑わいだった。
ちょうど夕食時とあって、三十席ほどの店内は満員御礼。質素な麻の上下を着た村人が約半数、残りは旅人や商人、剣や弓を持った冒険者グループもいる。
「お越しいただきありがとうございます、チョコ様!」
と、マスターらしき恰幅の良いオッサンがわざわざ出迎えに来て、俺たちは月が見える窓際の特等席に案内された。きちんと磨かれた艶のある一枚板のテーブルに、洒落たデザインのランタンが置かれていて、なかなか雰囲気が良い。
チョコがローブを脱ぐと同時、マスターからサービスドリンクが届けられた。
「じゃあ乾杯!」
「お、おぅ!」
木製の小ぶりなお椀を顔の前に掲げて、チョコとの初デート……ならぬ、ただのディナーはスタートした。
器の中に入っていたのは、ややとろみのある葡萄っぽい果実酒。恐る恐るそれに口をつけ、さほどアルコール度数が高くないことにホッとする。真面目な不良である俺は、二十歳まで酒を飲む予定はないのだ。
チョコはといえば、あたかも生ビールを頼んだサラリーマンのごとく一気に飲み干して、プハァッと息を吐いた。
食事の邪魔にならないよう髪を後ろで束ねているから、頬だけじゃなく耳まで赤くなっているのが分かる。そして上機嫌で「もう一杯!」と……。さほどアルコールには強くなさそうだし、飲み過ぎないよう注意してやらねば。
二杯目が届いた後、俺は思い切って尋ねた。
出会ってから一ヶ月、ずっと気になっていてなんとなくはぐらかされていたことを。
「あのー、一つ質問があるんですけど」
「何よ。っていうか、勤務時間外なんだから敬語使わなくていいわよ」
「そんじゃあらためて……あのさ、チョコって年いくつなんだ?」
「ふふっ、いくつに見える?」
いつも通りの勝気な笑顔だというのに、ついドキドキしてしまうのは、さっきの抱擁魔術の影響だろうか……という邪念を振り払い、俺は真剣に考える。
パッと見は同い年くらいに見えるけれど、女の年というのは意外と分からないものだ。
「うーん……二十三?」
「はぁッ? バカじゃないの、バカじゃないの! 私そんなに老けてるッ?」
……完全に裏目に出てしまった。やはり女に年を訊くのはタブーらしい。
「いや、俺の世界の常識から試算したんだよ。お酒は成人してからってことで、二十歳以上。それに大学出たなら二十二歳以上だろ。あの家の散らかり様からして一年はあそこに住んでるだろうし……ってことで、プラス一年して二十三」
「はぁー……アンタの世界の常識とこっちは全然違うわ。まず成人になるのは大陸共通で十六歳。学校は王都に住んでるか、それなりに裕福な家じゃなきゃ行けない。私は、その……魔術の才能があったから特待生として通えたの。高等魔術校を〝歴代最年少〟で卒業したのは三年前。それから二年間冒険者をやって、あの家に戻ったのはアンタの予想通り一年前。今は十六よ」
「なんだ、同い年じゃん」
「えッ、アンタこそ二十三じゃないの?」
「失礼な。俺はまだ十五だぞ。そろそろ十六の誕生日ってとこか?」
この世界の時間感覚は、地球とほぼ変わらない。
俺の腹時計的に、一日はたぶん二十四時間で、一ヶ月は二十八日、一年は十三カ月。この国には四季もあり、今はちょうど六月くらいになる。つまり俺の誕生月だ。
「ふぅん。じゃあ今日はヨシキの誕生日祝いってことにしてあげる。好きな物を好きなだけ食べていいわよ。一応オススメはシチューだけど」
チョコに促され、テーブル脇の壁際に立てかけられていた黒板のミミズ文字を眺める。
焼くとか煮るという文字と併せて、知らない食材の名前もたくさん並んでいる。その脇には数字も書いてあるけれど、金額が高いか安いかは見当もつかない。
「適当に任せる、できれば俺がまだ食べたことないヤツがいいかな」
「変な物はないわよ? 魔獣みたいなのは」
と、しつこく釘をさした後、チョコは店員のお姉さんを呼んだ。
今さらながら、言葉がすんなり通じることがすごくありがたい。コレはたぶん、地球の神様もしくは先の魔王様による翻訳魔術のプレゼントだろう。
文字を書く方は「なにこれヒドイ!」と笑われてしまったけれど、まあ最低限の読み書きができれば問題ナシ。
他にも、風呂やらトイレやら、生活スタイルも地球との類似点が多い。魔術のことを除けば、俺が本気で困るような事態にはぶち当たっていない。
もしかしたら、地球とこの世界は双子みたいなポジションなのかもしれない。もしくは地球と同じ神様が管理してるとか。
「地球、か……母さん元気にしてっかな……」
向こうは今頃どうなっているんだろう。
落ちた瞬間は、確実に死んだと思った。でも神様に俺の声はしっかり届いたんだ、紙一重で助かった可能性もある。だとしたら今頃は意識不明の重体ってところか。
いずれにせよ、母さんの受けたショックは計り知れない。
六畳一間のボロアパートで、俺のことを考えながら、ケーキに十六本の蝋燭を立てているんだろうか……想像しただけで胸が張り裂けそうになる。
一刻も早く帰りたいけれど、焦ったところで仕方ない。
ルゥも今頃、俺のために『復活の呪文』を身につけようと頑張ってくれているはず。
俺ももっと力をつけなきゃ……。
「ヨシキ、どうしたの?」
「っと、悪りぃ。ちょっと考え事してた」
気付けば目の前に料理が到着していた。こっくりしたホワイトシチューと、魚のフライ、焦茶色のふすまパン、温野菜のサラダ。
しんみりした気分を消し去るべく、ホカホカと湯気の立つシチューを頬張る。陶器じゃなく木の食器というのも、素朴な味を引き立てる。
「ん、なかなか美味いな」
「村一番の人気店だからね」
さほど発達していない胸を張り、自慢げに告げるチョコ。
まあ、俺の手料理ほどじゃないけどな……なんて思ってにんまりすると。
「そうね、ヨシキの手料理ほどじゃないけどね」
「……チョコってたまに俺の思考読んでないか? 読心魔術?」
「まさか。そんな魔術が出回ったら、世の中大変なことになるわ。人なんて腹に一物抱えてる嘘つきばっかりなんだから、人間不信で頭おかしくなるわよ」
「お、おれはうそなんてついてないぞ」
「分かってるわよ。アンタが何考えてるかなんて、顔見ればすぐ分かるし。失礼なこと考えたときは特にねッ」
……全部バレてる気がする。
後ろめたさをごまかすように、目の前の料理をガーッとかきこむと。
「そうだ、一人だけいたわ、心が読めるって人」
「えッ、マジで?」
「ここから町一つ越えた先の、城郭都市アレディナの神殿にいるの。人の嘘を見抜く『月詠』の力を持ってるのよ」
「それは魔術じゃなくて?」
「ええ、逆にその人――枢機卿は普通の魔術が一切使えなくて、その力だけを女神から授かったらしいわ。だからこのあたりで悪さをした人は、枢機卿のところに連れていかれて裁きを受けるの。ヨシキの『ほら話』も、枢機卿には全部見抜かれちゃうわね」
「ふーん、あっそー」
と、適当に相槌を打ちながらも、俺は「神殿には絶対近づかん!」と心に決めた。
するとチョコは愉しそうにクスクス笑って。
「もう少しヨシキの腕が上がったら、ご褒美にアレディナへ連れて行ってあげるわ。枢機卿に会えるかは分からないけれど、神殿には隣国まで見渡せる高い塔があるし、女神の壁画は一見の価値ありよ」
「ふーん、あっそー」
「珍しい武器や魔術道具のお店もあるし、美味しい食べ物もたくさんあるわよ。せっかくだし、泊りがけで観光でもしましょう」
「ふーん……」
……。
……。
お泊り旅行……だと……!
これはまさしく、例のラノベ的展開……ッ!
カーッと火照りだす頬を抑えるべく、冷たい葡萄酒をグビッと煽ってみたものの火に油。全身が燃えるように熱くなる。竹箒だったら自然発火しているところだ。
なんとか落ちつこうと、俺はチョコから目を逸らして窓の向こうを見やった。遠くに輝く青い月を見つめながら「ひっひっふー」と深呼吸を繰り返していると。
俺の耳に、どこか熱っぽい囁きが届いた。
「あとね、あの街には、一人紹介したい人がいるの……」