その3 ヤンキー魔法さく裂!
「じゃあ私が氷の盾を作るから、炎の槍で打ち抜いてみなさい」
二十メートルほど先で仁王立ちしたチョコが、不敵な笑みを浮かべながら指示を出す。俺はふはぁぁっとため息を吐いた。
ここは俺たちが初めて出会った、湖のほとりの原っぱだ。
チョコの家の庭先で暮らすようになってから、早一ヶ月。訓練の激しさを物語るように、この一帯は円形脱毛症どころか、もはや草一本も生えない荒野と化している。
「また炎かよ……炎って超苦手なんだけど……」
「だからこそ鍛えるんでしょう? 得意な方向に伸ばすのもいいけれど、魔力全体の底上げをしたいなら、まずは苦手なところを潰さなきゃ」
「はぁ……」
「文句言うと殺すわよ?」
「ハイッ!」
地球にいた頃、俺にボクシングを教えてくれた先輩に「へばってっと眉毛抜くぞゴラ!」と叱られたことを思い出しつつ、俺は右手を天高く突き上げる。
目を閉じて、なるべく深い呼吸を意識する。空気とともに魔力の粒子を吸い込み、肺を通じて全身に行き渡らせる。
人間界は、本当に魔力が薄い。
魔界なら、視界が煙るほど魔力が満ちていたのに……という情報は、チョコに伝えた数ある『ほら話』の中でも最も食いつきが良かったものだ。
そして、俺がいつまでたっても空を飛べない理由についても、チョコは魔力の絶対量が足りないせいだろうと分析していた。
「ってことは、私も魔界へ行けば、飛行魔術が使えるようになるのかしら?」
なんて、瞳をキラキラさせていたけれど、俺はそう簡単に行かない気がしている。
というのも、この世界の魔術とは〝イメージ力〟だからだ。
飛行機が当たり前のように存在し、『箒に跨った魔女』の絵を刷り込まれている俺にとって、空を飛ぶことはナチュラルにイメージできる。しかし『人とは空を飛べない生き物だ』と刷り込まれているチョコには、イメージすることが難しい。
あとは、地球での主な娯楽だったテレビや漫画の影響もある。イメージ力=妄想力と考えると、妄想だらけの世界で生きてきた俺はやはり有利だ。
しかしこの豊かなイメージ力は、時として悪い方へも影響する。
例えば今俺は『炎の槍』を作ろうとしている。体内に取り込んだ微量の魔力を右手へ集約させながら、槍のビジュアルを詳細に思い描こうとするものの。
――こんなものを作ったら、俺の身体も燃えちまうんじゃないか?
箒時代のトラウマを思い出し、弱気になるたびにぐずぐずと崩れてしまう槍。俺は苦肉の策で、涼しげな湖面を見やる。
この場所を訓練場に選んだのは、水がすぐ近くにあるという安心感のせいだった。
もし身体に火が燃え移っても、すぐあそこに飛び込めばいい……そうやってぐらつく心を支えながら、少しずつ槍を練り上げていく。
最後の決め手になるのは――ルゥの笑顔。
もっと力をつけなきゃ俺は魔界へ戻れない……こんな槍一つ出せなくてどうする!
ズシン。
不意に右手が重くなり、確かに棒状の物を握りしめている感覚。槍が実体化した合図だ。
とっくに氷の盾を完成させ、大あくびをかましているチョコに向かい、それを勢いよく投げつける!
「甘い!」
軽やかなソプラノの声と共に、俺が苦心して生み出した槍はあっさり消滅した。氷の盾には穴が開くどころか、かすり傷一つついていない。
がっくりと肩を落とす俺に向かい、チョコはクスッと可愛らしく笑って。
「ものすごーくショボいけど、昨日よりは悪くなかったわよ。ほら、休んでないでもう一回!」
「はぁ……」
「文句言うと燃やすわよ?」
「ハイッ!」
チョコ師匠の指導方針は、鞭、鞭、鞭、鞭、飴。
眩い太陽が夕焼けへと変わり、俺が心身ともにヘロヘロになる頃、ようやく得意な魔術の練習を許される。
火が苦手な反面、水は大好物だ。
「それじゃ、湖の水を使って何か作っ……いえ、今日から『氷の魔術』の訓練に入りましょう。『水の魔術』より難しいけれど、ひとまず自力で挑戦してみなさい。氷の柱でも、雪を降らせるのでも何でも構わないわ」
そう言われたとき、俺は一つのイタズラを思いついてしまった。
常に上から目線なチョコ師匠に、なんとかひと泡吹かせてやろう……と。
「おう! スゲーの見せてやるぜ!」
威勢良く叫んで、俺は目を伏せる。体内の魔力を掻き集め、『氷』のイメージを練り上げる。
……ガキンチョの頃から、俺は家事全般が得意だった。
というか、どうしてもやらなきゃいけない家庭環境だったのが大きい。少しでも効率よくこなしてやろうと意固地になっているうちに、いつの間にか上達してしまった。
それは料理や掃除だけじゃなく、裁縫も含まれる。デカイ図体をして意外と手先が器用なのだ。
だから……こういうこともできる。
「ななななにこれ……ッ!」
余裕シャクシャクで腕組みしていたチョコが、目の前に現れた異形の物体を前に腰を抜かした。
湖から現れた、高さ十メートルほどの巨大な氷の彫像を見上げながら、俺はニヤリと笑う。
「これは龍です」
「リュウって何ッ?」
「俺の世界の神様だったり、もしくは最強の魔物だったり……いろんな説がある架空の生き物ですね」
ドラゴン――それは漢の夢。
中学の頃、夜遊び仲間たちは学ランの裏にドラゴンの刺繍を入れていた。でも我が家にはそんな金がなかった。
俺はこっそりネット検索し、刺繍の方法を独学で学んでコツコツと縫い続け、誰もが驚くほど立派な一匹を背に従えることができた。
その後「どこでやってもらったんだ?」と尋ねられ、苦し紛れに「俺の個人的な知り合いに頼んだ」と答えると、次々と依頼が舞い込み……気付けば俺は、夜遊び代を自力で稼げるほど人気の刺繍屋になっていた。
その経験が、まさか異世界での彫刻作りに活きてくるとは、人生分からないものだ。
「そ、そう……リュウっていう生き物なのね。良く見ると、意外と可愛い顔してるじゃない……?」
ショックから立ち直ったチョコが、初めて猫を見た幼児のように、おっかなびっくりといった感じで彫像に近寄る。うねった腹の鱗を眺め、ぐわりと裂けた口のあたりに手を触れようとしたとき。
俺はさらなるイタズラを思いついてしまった。
もしコイツがいきなり動いたら、チョコは驚くだろうな……と。
『ゴワッ!』
突然、氷の龍が閉じていた口をガバッ!
……。
……。
「……お前、ホントに動けるんだ?」
呆然と立ち尽くす俺に対し、ぎょろりとした目玉を向けた氷龍が、すうっと音も無く近寄ってきた。
どうやら性格的には猫に近いらしい。喉のあたりを軽く撫でてやると嬉しそうに目を細める。
氷龍がニャアニャアではなく「ゴガーゴガー」と叫びながら俺にじゃれついている間、チョコ師匠は……またもや腰を抜かしていた。
「えっと、大丈夫ッスか?」
俺が声をかけるも、チョコはノーリアクション。ぽかんと口を開け、空ろな眼で氷龍を見つめるばかり。
ポンと肩を叩くと、口から飛び出ていた魂がしゅるんと体内に戻った。正気を取り戻したチョコはすかさず立ち上がり、いつもの勝ち気な瞳で俺をキッと睨みつけて。
「アンタって、普通のヘンタイだと思ってたけど、全然普通じゃない!」
「はぁ……スミマセン」
「もうヘンタイ過ぎて、どうしていいか分かんない! 異世界から来たとか魔界に行ったとか、魔獣なんてものを食べたがるとか、そもそも全裸で私の前に現れる時点でありえないのに、魔術もヒドイわ! なんで炎の槍ごときにあれほど手こずって、こんなものがあっさり作れるわけッ?」
「いや、俺けっこう手先器用だし」
「それと魔術と何の関係があるのよ! ……そうだ、やっぱり魔力ね? 魔界の魔力を吸ったせいなのね? そんなのズルイ! 今すぐその空気吐き出して、私に吸わせなさい!」
「はぁ……分かりました、どうぞ好きなだけ吸ってください」
「――な、何言ってんのよバカ! く、口移しって、私とキスしようっていうのッ? このドヘンタイ!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らしながら、チョコが氷龍の胴体をペチペチ叩く。
すると氷龍は「遊んでくれるお姉さん」と勘違いしたのだろう。柔らかなチョコの頬に鼻づらを押し付けてスリスリマーキングした後、頭を地面にくっつけて、愉しそうに尻尾を振った。
「……え、なにこれ、私に何を求めてるの?」
「たぶん『頭の上に乗れ』って言ってるんじゃないかと」
「えッ、乗れるの? お尻冷えそうだけど」
ついさっきまでビビっていたのが嘘のようだ。
マッドサイエンティストならではの好奇心を発揮したチョコが、ビクビクしながらも岩のごとき頭をよじ登り、龍のヘッドに収まる。そして操縦桿のように突き出た二本の角を掴むと。
『ゴガァァッ!』
出発!
みたいな咆哮を上げて、氷龍が空を飛んだ。
「――うっきゃぁあああああ!」
上空二十メートル地点まで一気に駆け上った氷龍は、その後急降下で湖へ。ボチャンと落ちるスレスレでぐるりと水平旋回。
……この動きにも見覚えがある。
小学生の頃、遠足で連れて行ってもらった遊園地のアトラクションだ。そう言えばあのコースター、ドラゴンを模したデザインだった気がする。
そんな感じで三分ほど絶叫マシンを堪能した後、本気で腰砕け状態になったチョコがよろよろと降りてきた。土の上にへたりこんでまたもや放心する。
ちょうど陽も沈んできたし、俺は氷龍の長い髭を撫でながら「お疲れさん」と告げた。すると光龍は「また遊んでね!」と言うように『ゴガー!』と一鳴きし、湖の中へ潜っていった。
「えっと、大丈夫ッスか?」
……返事がない。魂が完全に口から抜てしまっている。肩を叩いても呆けたままだ。
しょうがなく、小柄な身体を抱えて立ち上がらせてやる。そして紅ローブの砂ぼこりをパンパン払う。これをやってドアマットに靴底をぐりぐりするだけで、明日の掃き掃除がだいぶ楽になる。
すると、されるがままになっていたチョコの瞳に奇妙な光が灯った。
あたかも俺のことを初めて見るような、戸惑い混じりの弱々しい眼差しで。
「ヨシキ……」
唇から零れた掠れ声に、俺はビクンと反応する。
この館に来てからずっと「アンタ」と呼ばれていたから、俺の名前なんて忘れてしまったのかと思っていた。
突然〝普通の女の子〟みたいになったチョコに戸惑い、思わず首を傾げたとき。
俺が目にしたのは、エメラルドの瞳から溢れだす――涙。
「な、な、な、な……ッ?」
なんで泣くんだ! 意味分からん!
硬派な漢である俺は、突然女に泣かれるような人生など歩んでいないんだ!
両手を意味も無くワキワキさせながら、俺は必死で知恵を絞る。
よし……とりあえず、頭を撫でてみよう。ルゥにしてやったみたいに。
そろりと触れたチョコの髪は、まさに超高級刺しゅう糸といった素晴らしい手触り。いつまでもこうしていたくなるけれど、本当にそれどころじゃない。
「チョコ? どうした、どっか痛かったか? それとも怖かったのか?」
ポロポロと水晶の涙を零していたチョコは、俺を上目遣いで見つめるや、クスッと泣き笑いした。そして一歩、俺の方へと足を踏み出して。
「ありがと」
小さく囁いて、俺をふわりと抱きしめた。
……。
……。
……ヤバい、泣かれた以上にどうしていいか分かんねぇ!
こんなことなら先輩の言う通り、女遊びの一つでもしておくべきだった!
突然可愛い女の子に抱き締められるなんて、漫画やラノベの中でしかありえない展開だ。身体は箒のごとく固まるし、心臓は口から飛び出そうだし。
これでもしチョコにぼいんと胸が育っていたら、俺はきっと鼻血を吹いている。
コイツが子ども体型で良かった!
「……今なにか失礼なこと考えなかった?」
「いえ、全然ッ!」
「まあ別にいいけど」
全てを見透かすかのようなジト目を向け、ようやくチョコは俺を腕の中から解放した。さっきとは逆で、俺の方がへなへなと地面にへたりこむ。
チョコはといえば、すっかり平静を取り戻したようで、湖の向こうに沈みゆく夕陽を見ながらうーんと伸びをして。
「今日の夕食はもういいわ。たまには村へ出かけて食事しましょう。ヨシキのこと、村の皆にも紹介してあげなきゃね……アタシの相棒として!」
眩しげに細められた、エメラルドの瞳。
それが赤々と燃える太陽よりも、光を乱反射してさざめく湖よりも、何倍も輝いて見えたのは……きっと気のせいだろう。