その2 掴んだ胃袋
目覚めると、そこには満天の星空が広がっていた。
都会では決して見ることのできない、心が洗われるような美しい風景だ。
……。
……。
……おかしい、こういうときは普通『天井』が見えるはずなのに。
「つーか、ここどこだ……?」
むくっと上半身を起こすと、身体にかかっていた布がはらりと落ちる。
良く見るとそれはチュニック風の上着だった。対になるズボンもある。代わりに肌触りのよい赤フンは消えていた。
全裸でもちょうどいいくらいの気温だが、紳士な俺はモラルを重視してそいつを装着。普通の人間っぽさを取り戻したところで、周囲をぐるりと見渡してみる。
俺が寝転んでいたのは、ふかふかした芝の上だった。
すぐ傍には鳥小屋っぽいバラックがポツンと。床には藁が敷かれているものの、中は空っぽだ。
さらにその奥には、こぢんまりとした一軒家があった。
「……魔女の館?」
思わずそう呟いてしまうほど、可愛らしい家だ。トンガリ帽子の赤い屋根に丸い窓がついた、まさしく絵本に出てくるようなビジュアル。
しかし、メルヘンチックな外観にも拘らず、眺めているだけでゾクリと怖気が走るのは気のせいだろうか。
というか建物全体が黒っぽいオーラに包まれているような……?
鳥小屋に半身を隠しながら、俺がその怪しい家をしげしげと眺めていると。
ガララン……という陰鬱なドアベルの音が響いた。
「あら、起きたのね、ヘンタイ男」
玄関から現れたのは、俺を半殺しにした美少女魔術師。
月明かりに照らされたその姿は、まるで絵画に描かれる天使のような神々しさだ。風呂上がりなのか、見事なまでの金髪がしっとりと濡れていてちょっと色っぽい。
ただ残念なことに、身につけているのは俺の赤フン――
「違うから! ちゃんと洗濯したから!」
視線だけで何かを察したチョコが、顔を真っ赤にして叫ぶ。そしてパタパタとこっちへ駆け寄り、俺の胸にぎゅむっと何かを押しつけた。
それは籐でできたバスケット。蓋を開けなくても、中に何が入っているのかは分かった。
「コレ、俺にくれるのか……?」
「べ、別にアンタのために作ったわけじゃないわよ! その服はあげるから、それを食べたら速やかに出て行きなさい!」
「ありがと。お前意外と優しいんだな」
「ッ……別に、お礼なんて要らないわ。あと、やっぱり今すぐ出て行かなくていいわよ。夜は魔獣が出て危ないから、朝までその小屋に居なさい」
俺と目線を合わせないまま一方的に告げて、サクッと踵を返すチョコ。俺は「ぐぎゃるるるる……」と獣のように鳴く腹の虫に急かされ、バスケットを開いた。
中には詰まっていたのは、肉と野菜が挟まったシンプルなサンドイッチだ。
久々に人の優しさに触れ、ちょっとだけ謎の水……いや、本物の涙が出そうになる。
一宿一飯の恩は忘れない。いつかチョコに恩返ししよう。
そんな決意をしつつ、俺はそのサンドイッチをガブリ、と。
……。
……。
「おろろろろろろろ……」
「ちょ、何やってんのよ!」
ドアを閉めかけていたチョコが慌てて駆け戻ってきた。そして俺の吐き出したモノを見て眉をひそめる。
「なんで吐いちゃうのッ? 別に毒なんて入って無いわよッ?」
「いや……毒っていうか、たぶん腐って……」
「そんなはずないわよ! だって私、さっき同じものを食べたんだからッ」
「……あの、悪いけどトイレ貸して……漏れる……」
「イヤァァァァ――!」
パニックに陥ったチョコが、俺を軽々とお姫様抱っこする。そして運動会の借り物競走のごとく猛ダッシュ。
……そうして俺は、魔女の館のトイレで夜を明かした。
翌朝、お礼も兼ねて俺が『地球風』のサンドイッチを作ってやると、チョコはエメラルドの瞳を大きく見開いて絶句。
てっきり味が合わなかったのかと思いきや、息もつかずにもしゃもしゃと頬張り、俺の分も含めてあっという間に二人前を平らげた。
そして空になった皿を名残惜しそうに見つめながら、こう言った。
「行くあてがないなら、この家に住んでもいいわよ。ただし、毎日私のために料理を作ること!」
◆
箒というアイテムの主な役割……それは掃除だ。
今日も俺は、床をせっせと掃いていた。
……せっかく人間の姿に戻ったところで、やることは同じってあたりがちょっと虚しい。
「何ぼーっとしてんのよ。キリキリ働きなさい?」
「ハイ喜んで!」
いつもの紅ローブを羽織ったチョコが、分厚い本を何冊も抱えながら地下の書斎へと消えていく。俺はご主人様の命令に従い、相棒であるノーマル竹箒を握り直した。
人間界に落ちてから、俺が大変お世話になっているチョコの家――別名〝魔女の館〟は、メルヘンチックな外観をもつ、恐ろしいダンジョンだった。
何層あるか家主にも分からないという地下エリアは、まさに蟻の巣状態。その途中の小部屋には刺客対策の罠が仕掛けられていたり、捕獲した魔獣が飼われていたり……。
人間界の魔獣は、魔界の魔物とはまったく別物だ。
まずビジュアルがグロくない。というか、パッと見は普通の獣と変わらない。
ただサイズが巨大な上、異常に牙が鋭かったり、爪が伸びていたり、瞳が血のように赤かったりする。
「まあ、普通に食えそうだよな」
ボソッと呟くと、檻の中でガウガウと暴れまくっていた彼らの態度は一変。
動物ならではの鋭い勘で、俺が『捕食者』だと気づいたのだろう。箒を手にした俺が通りかかると、「グルルル……」と唸りながら檻の隅へ後ずさっていく。別に本気で食べたりしないのに大げさな奴らだ。
もちろんチョコも、食材として魔獣を掴まえているわけじゃない。
人を襲わないよう調教できるか実験しているのだ。そうすれば、人と魔獣が共存できるからと。
人間界広しといえど、そんなことを考える物好きはチョコくらいらしい。
普通の人間にとって魔獣と言えば、まさに悪魔のような存在。
人里に現れればすぐに討伐隊が結成され、速やかに命を奪って牙や爪を売りさばく。それを生業にする『冒険者』という職業の奴らもけっこうな数いる。
強くてカッコイイ、子どもたちの憧れの的だという冒険者の実情は、ハイリスクハイリターン。
英雄になる奴もいれば、凶暴な魔獣と出会い命を落とすケースもある。この世界には、傷を治すヒーリング魔術が存在しないため、リスクはかなりデカい。
「アンタも冒険者登録してみる? その逃げ足なら〝盗賊〟としてイイセン行けるわよ」
と、チョコに太鼓判を押されたところで、俺は「まあそのうち」とスルー。
どうせ戦うなら人間とのタイマンバトルの方が面白いし、金を稼ぐにしても掃除の方がよっぽど楽だ。
何より、俺にはデカい目標がある。
わざわざ魔獣なんかと戦って、あっさり死ぬわけにはいかない。
「……ルゥ、待ってろよ。俺は強くなって、絶対戻ってやるからな!」
気合いを入れてガーッと掃きまくった後は、コック箒モードにチェンジ。
エプロンをつけてほっかむりをし、俺は書斎のドアを開く。
「掃除終わりました。昼食はどうしますか? 食材は、肉、魚、野菜と揃ってますが」
薄暗い小部屋の中、洪水状態の本に埋もれていたチョコは「ふわぁーあ」と大あくびをし、手元に浮かべていた光の玉をパチンと消した。
「そうねぇ、たまには珍しい物が食べたいわ」
「了解しました。では魔獣を捌きましょう。そういえば、地下十階エリアにちょうどイキの良い銀色狼が一匹」
「――やっぱり普通のご飯でいい!」
涙目で訴える、意外とビビリなご主人様のために、俺は腕によりをかけて地球風料理を作る。今日のメニューは、鴨っぽい鳥肉のソテーと、自家製ふんわり白パン、野菜サラダ、オニオンスープ。
相変わらず『炎の魔術』が苦手な俺は、料理のたびにビビってしまうため、焼き加減はイマイチだ。それでも、チョコの舌には充分過ぎるほどのご馳走らしく、毎度残さずペロリと平らげてくれる。
怪し過ぎる『ほら吹き』な俺をすんなり雇ってくれたのも、やはり最初に胃袋を掴んだのが決め手だった。
「はぁー、美味しかった。やっぱり普通のお肉は普通に美味しいわね。普通って最高!」
そう言って満足げにワンピースのお腹をさするチョコ。今日は天気がいいからテラスでの昼食だ。
対面に座った俺は、ピンク色に焼きあげた鴨肉の最後の一切れをフォークで刺しながら、ボソッと。
「でも、魔獣の肉もビリビリ痺れて美味し」
「食べないから! 食べないから! こっそりハンバーグに混ぜたりしないでよ、数が減ったら分かるんだからね!」
しつこく念を押しつつ、チョコはテーブルから立ち上がった。俺は速やかに食器を片づけ、汚れても良い麻のシャツと半パンに着替える。
昼食の後は、日が沈むまで『魔術』の特訓だ。
俺にとってチョコは、大事な雇い主である以上に、魔術を鍛えてくれる師匠だった。