その4 蛇の末路
俺は夢を見ていた。毎度ながら、地球の夢だ。
夢の中の俺は、温かい布団の中でゴマ太郎を抱いて眠っている。
しかし、背中にゴツゴツした硬いモノが当たるのが気になって仕方ない。手を伸ばして触ってみると、それは『まな板』だった。
ふんわり柔らかいゴマ太郎なら分かる。でもまな板はさすがに意味が分からない。
まあ、つるんとした触り心地は悪くない。もちろん柔らかいゴマ太郎の方も。
なでなで。なでなで。
なでなでなでなでなでな……ん?
「――もしも貴様が目覚めているならば、悪魔に魂を売ろうともその首斬り落とす!」
「うぉうッ!」
すさまじい殺気を受けて飛び起きた俺は……やはり夢の中にいた。
さっきより色彩鮮やかな夢だ。純白のベッドの右隣りには、サラサラした紫の髪。左隣りには、キラキラした金の髪。
当然その下には赤ん坊のように無垢な寝顔があり、さらにその下には生まれたままの清らかな姿が――
目の前では、悪鬼のごとき形相をした赤髪の美少女が、短剣を突きつけながら微笑んでいる。
……どうやらスミレは横着をしたらしい。俺とチョコの二人まとめて充電しようと。
◆
「そんじゃ、そろそろ行くか」
「……う、ん」
戸惑いと怯えと、隠しきれない苦しみをエメラルドの瞳に滲ませて、チョコが曖昧に頷く。頭では分かっているものの、どうしても足が動かないようだ。
アジトの玄関先で立ち止まったまま、紅いローブの裾をギュッと握り締め、革靴の先を見つめ続けるチョコ。その姿はなんだか普通の『女の子』に見えて……俺はなんて声をかけていいか分からなかった。
すると、チョコの隣に寄り添ったスミレが、右手をワキワキさせながら言い放った。
「今さら怖気づいていらっしゃるんですか、チョコ様。何ならわたくしの手で〝ビンタ〟でもして気合いを入れましょうか?」
「……う、ん」
またもやぼーっとしたまま頷くチョコ。
スミレは呆れたように嘆息し、くるんと半身を翻した。純白の法衣の裾がふわりと舞い上がり、天使のごとき可憐さを演出する。
「仕方がありませんわね……それではヨシキ様、今日のところはわたくしと二人で向かいましょう」
なぜか俺の右隣りへぴったりと寄り添ったスミレは、アメジストの瞳をキラキラ輝かせながら、いたずらっ子のような笑みを浮かべて囁いた。
「ついでに〝デート〟でもしませんか?」
「へっ?」
「例の件はさっさと終わらせて、一緒に神殿へ行きましょう。あの塔へ上ってもう一度祈りを捧げて、女神の壁画を見て、その後街で美味しいものでも食べ」
「――ダメッ!」
抜けがら状態だったチョコの顔に、一気に力が漲ってくる。青褪めた頬を紅潮させ、ふっくらした小さな唇をツンと尖らせて、ちょと涙目でスミレを睨みつける。
「それは、私がッ……その、師匠として、弟子にご褒美をッ」
「真実を知ることに怯える者など、師を名乗る資格はありませんわ。さ、ヨシキ様行きましょう」
「お、おぅ……」
ニンゲン姿の俺じゃ、スミレの腕力にはとうてい逆らえない。右腕をむんずと掴まれ、ずるずると引きずられるようにアジトの庭を抜ける。
慌てて追ってきたチョコが、俺の左腕に絡みつく。そしてスミレに負けじと俺を引っ張る。
背後からは、いつもの殺気。スミレから「護衛として一歩離れて見守るように」と命じられた忠犬のスイレンが、短剣の柄を握り締めながら付いてくる。
……いったいこれは、何の罰ゲームだ?
なんでオレ、小っちゃくて可愛い女の子二人に、荷物みたいにずるずる運ばれてんだ?
なんか、江戸時代の『市中引き回しの刑』みたいじゃね……?
明るい日差しが降り注ぐ中、人々をざわつかせながら街の中を練り歩いた俺たちは、一つの建物へと到着した。
女神の神殿を通り越したその裏、塔の影に隠れてあまり人目につかない場所にある、城郭都市アレディナの暗部――牢獄へ。
「ヨシキ! っと、チョコ様、スミレ様!」
一階で出迎えてくれたのは、顔なじみの牢屋番だ。たぶん今回の件でもっとも心労が激しかっただろう二人に、俺はねぎらいの言葉をかける。
「その節はお世話になりました。あんたらがいなかったら、俺はこうして生きてなかった」
「いや、こっちこそヒドイ目に合わせた」
「本当にすまなかった」
涙ぐむ彼らを励まそうと、俺は脱臼しかけてズキズキする肩を動かし、固い握手を交わす。
ついでに大部屋の知人たちに軽く挨拶を……と思ったものの。
「うおぉぉぉぉぉ――!」
「本物のチョコ様だ!」
「み、巫女様……!」
鉄柵に顔をめりこませながら、俺の後ろに控える可憐な美少女たちに狂喜する彼らに……俺は何も言わず背中を向けた。
俺たちの目的地は、この場所じゃない。地下三階だ。
細い階段を下った先、薄暗く陰気なそのフロアに降り立った瞬間、気丈な少女たちが一斉に顔をしかめた。盗賊たちが殺された名残りか、そこには拭いきれない死臭が漂っている。
しかしチョコはもちろん、スミレもスイレンも血の匂いには慣れているのか、さほど動揺することもなく無言のまま進む。
最奥の牢の前に到着すると、フロアにランタンを一つ残し、二人の兵士は下がっていった。
俺たちは、牢の鍵を開けて中に入る。
魔術封じが施されているにも拘わらず、それを上回る魔力でチョコが『結界』を生み出す。そしてこの独房の中だけを別世界へと切り離す。
「やあ、チョコちゃん、スミレ殿、スイレン君、それにヨシキ君も。皆で会いに来てくれるなんて嬉しいなぁ」
地下三階の独房では、壁に磔にされることはない。その代わりに、両手に手錠を、足首にも鉄球がついた足枷を嵌められる。
そんな屈辱的な姿でも――元辺境伯代理カカ・オゥ・エットは、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべていた。
「カカおじさま……教えて欲しいの。どうしてこんなことになったのか。十年前、いったい何があったの?」
静寂の中に響く、苦しげに掠れたチョコの声。
彼は観念したように首を竦めると、静かに語り出した。
「チョコちゃんの両親と、枢機卿殿と僕の四人は、王都の戦いで運命的に出会った。そして僕たち三人の男は、すぐ夢中になってしまったんだよ。ヴァニラ姫――美しい巫女姫にね」
自分に恋する男たちの中から彼女が選んだのは、最も強く血気盛んな男だった。
戦いの功績を認められた男は『辺境伯』として東の地の領主となる。戦友となった枢機卿とカカ氏も助力を買って出た。
隣国や魔獣の攻勢により荒れ果てていた街は、四人の力により劇的な変革を果たした。そして夫婦の間には可愛い女の子も生まれる。
全てが上手く転がり出していた、はずだった。
しかし辺境伯となった男は、さらなる強さを目指した。
『このままでは防戦一方だ。隣国アゼリアと対等に戦うためには、自分たちも魔獣を利用するしかない』
そこで、とある人物がスパイとしてアゼリアへ向かい、魔獣を操る方法を持ち帰った。さっそく実践した辺境伯は、しだいにその魅力に取り憑かれていく。
そしてついに十年前、禁じられていた一つの『儀式』を営むことになった。
魔界から魔物を召喚する――〝穴を開く〟というおぞましい儀式を。
「でもね、結局その儀式は成功しなかったんだ。魔物を引き寄せる〝餌〟の役目だったヴァニラ姫は無駄死にし、アイツは魔界へ連れ去られた」
……ある程度、予想はしていた話だった。
それでもチョコの受けたショックは計り知れない。俺は震えるチョコの手を、ギュッと握り締めてやる。
「残された僕と枢機卿は、どうしていいか分からなくなった。僕らは気が狂いそうだった。このままじゃ街はいずれ奴らに滅ぼされてしまう。チョコちゃんという忘れ形見はいたけれど、こんなに幼い少女が魔獣やアゼリアから僕たちを守ってくれるなんて、とうてい思えなかった」
ひとまずチョコを王都へ送り出し、辺境伯代理として政務をこなしながら、カカ氏は引き続き『計画』を進めて行った。
アゼリアに対抗できる唯一の力――魔物を操る方法を身につけようと。
一番の問題は、召喚に使う『餌』だった。普通の人間では上手くいかないのだ。魔物を惹きつけるくらい清らかな、聖職者の魂でなければ。
十年間、彼は待った。そしてついにチャンスが訪れた。
「それが、わたくしですか……」
震えるスミレの手を握りしめるのは、俺じゃなくスイレンだ。
気高い女剣士の赤い瞳に励まされ、スミレは覚悟を決めたかのように、静かに結論を述べた。
「貴方は、わたくしを魔物の『餌』にするために、攫おうとしたのですね……?」
全員が息を詰めて見守る中、彼は夢見るように語った。
「うん。できれば街の外でスミレ殿を手に入れて、大巫女様には『盗賊のせい』って言い訳しようとしたけれど、なぜか失敗しちゃったんだよね。でもどうせ僕の街に来るんだし、どうとでもなると思ってたら、いきなり枢機卿がこんなことを言い出したんだ。『儀式をするなら自分が贄になる。巫女様と違って〝真の聖職者〟ではなくとも、自害すれば女神の慈悲が得られるだろう』……ってさ」
「枢機卿様が、そのようなことを……!」
「正直、僕もホッとしたんだよ。やっぱり巫女様を害したら、女神に厭われるだろう? 僕が動かずに済むなら、それに越したことはないと思ってさ。ヨシキ君を処刑しようとした例の彼も、街の治安のためにずいぶん頑張ってくれたけれど、結局女神に見捨てられちゃったしねぇ」
ハハッと苦笑し、彼は後ろ頭をポリポリと掻いた。
たった一日で真っ白になってしまった髪を。
「ああ、そういえばもう一つ、ヨシキ君に謝らなきゃいけないことがあったんだ。君を誘拐しようとしたのは僕なんだよ。その後『間諜だ』って冤罪を押しつけたのも僕。だって許せないだろう? こんなに可愛いチョコちゃんの家に、得体のしれない男が転がり込んだなんて、さすがに親代わりの僕としてはさ」
怒りを堪え切れなくなったのか、チョコが空いている手をスッと持ち上げた。そこに浮かびかけた炎の煌めきを見て、俺はズイッと一歩前へ。
「ヨシキ……?」
「お前が手を汚すことはねぇ。コイツは俺がやる」
この世界へ来てから、俺は魔術というものの魅力に取り憑かれていたのかもしれない。自分が傷つくことなく相手を傷つけられる、恐ろしく便利な武器に。
でもそんなものじゃ、湧き上がるこの怒りは収まらない。
久しぶりに握り締めた己の拳は、魔力の靄に包まれ陽炎のように揺らめいた。
拳の中身は炎よりも熱く、振り抜くスピードは風よりも早く――
「俺たちの……死んで行った奴らの痛みを思い知れッ!!」
ガツンッ!
激しい音を立てて壊れたのは、俺の拳でも蛇の頭でもなく、透明な壁だった。チョコが張った結界の壁。
俺の拳は蛇の頬を掠め、何もない空間を貫いた。
背後から、大きく息を呑む音がする。俺はぶらぶらと右手を振りながら告げた。
「悪りぃな、チョコ。結界壊しちまった。……俺にはやっぱり無理だ。相手がどんな悪者でも、〝弱い者いじめ〟はしねぇって心に決めてんだよ」
せめて怯えてくれたなら良かった。
盗賊たちのように情けなく命乞いでもしてくれれば、俺の怒りは折れなかった。
しかし、彼は迫り来る凶器を見ても、瞬き一つしなかった。むしろ全てを赦す聖職者のような眼差しで俺を見ていた……。
結局彼は最後まで自分を見失わなかった。
狂人のフリをして、のらりくらりとチョコの追及をかわして。一つの言い訳もせずに。
……きっと彼は、死ぬまでこの牢獄で生きていくんだろう。本人もそれを望んでいる。そんな気がした。




