その3 予言の成就
深紅のローブと、純白の法衣をまとった二人の乙女。
彼女たちの姿は、俺の目には眩い光に包まれているように見えた。何者にも穢すことのできない聖女のように。
でもこうして近づくと、普通の女の子だってことが良く分かる。
というか、二人は俺と同じくらいダメージを受けている。まさにボロ雑巾状態だ。
自力で歩くこともままならないらしく、仲間に身体を支えられながらゆっくりと歩み寄る。チョコは門番のお兄さんたちに、スミレはスイレンとシューマさんに。
今にも倒れそうなほど苦しげな表情をしているのは……たぶん体調が悪いせいだけじゃない。
「ありがとう、もういいわ。皆は下がっていて」
「ここまで連れてきてくださって、ありがとうございました。後はわたくしたちにお任せください」
祭壇へ通じる石段を上り終え、俺まで五メートルという距離で二人が告げた。付き添いの四人は立場をわきまえているのか、それとも恐怖のあまり感情が麻痺しているのか、何も言わず素直に引き下がる。
ステージに残されたチョコとスミレは……ただ真っ直ぐに、俺だけを見ていた。
俺に寄り添う魔族――絶対的強者への恐怖を、感じていないわけがない。それでも唇を噛み締めて、一歩でも俺に近づこうと必死で歩みを進める。
その原動力がいったい何なのかは、鈍い俺にも良く分かった。
――俺たちには、固い絆があるんだ。
戦友を救うためなら命をも賭けるような、熱い漢の友情が。
いや、もしかしたらそうじゃないかもしれないけれど、今はそういうことにしておこう……。
と、俺がヘタレっぽいことを考えている間にも、俺たちの距離は三メートルまで近付いた。
スミレは床に残ったどす黒い血痕に気づき、それを踏むことができずに立ち止まる。俺が流した血だということにも気づいたようで、嗚咽を堪えるかのように口元を手のひらで覆う。
しかしチョコは、本当に漢前というか、怖いもの知らずにも程があるというか。
柔らかな革靴で俺の血をぐちゃっと踏みしめながら、こっちへ向けて思いっ切りガンを飛ばした。
「……あんたら何者なの? 返事しだいでは――殺すわ」
ちょ、やめろって!
コイツらはお前が敵う相手じゃない!
そう叫ぼうとしたものの、俺の口からはゴフゴフという咳しか出なかった。
イラッとしたルゥが、俺の身体をミシッと締めつけたのだ。一応大怪我してんだけど、俺……。
そして、怒らせちゃいけないのはもう一人の方。
すぐ斜め前には、本物の悪魔がいた。全身に殺気の黒い靄を孕み、艶やかな黒髪をふわりと宙に浮き上がらせている美貌の悪魔が。
――怒髪天のセバスチャン、超怖ぇぇぇぇぇ!!
俺が謎の水ならぬ、本物のアレを漏らしてしまいそうになったとき。
チラッ。
と、こっちへ流し目を向けたセバスチャンが、能面のごとき無表情をふっと緩めた。持ち上がっていた髪もさらりと襟足へ戻る。
どうやら謎の水攻撃を察して、ちょっと冷静になったらしい。ナイスだ俺。
殺気が消えたとはいえ、敵愾心まで消えたわけじゃない。豊かな胸の前で腕組みしたセバスチャンは、チョコに液体窒素のごとき視線を向ける。
「面白いことを言うわね、人間。それでは教えてあ」
「あたし、るぅ! ヨシキお兄ちゃんのお嫁さんになるの!」
……。
……。
……すまん、ルゥ。すっごい可愛いんだけど、せめてもう十年待ってくれ!
このままじゃ俺、全裸のヘンタイってだけじゃなく、ロリコンの俗称もついてしまう……!
弁明しようとするも、俺の口からは血が混じった泡しか出て来ない。いくら魔力を注がれているとはいえ、内臓はとっくに限界だった。
本物のリビングデッドと化した俺の代わりに、セバスチャンが的確なツッコミを。
「あの、ルゥ様、そのご発言には少々問題が」
「セバスお姉ちゃんは黙ってて。この際、あたしの口からハッキリ言ってやりたいの――〝汚らわしい人間〟どもに」
その台詞を呟いたのは、確かにルゥだった。
どこまでも澄んで愛らしい声だというのに、身体が恐怖に震える。ルゥの心の奥から溢れ出した凍てつく闇が、世界を一気に氷温へと下げていく。
気丈に振る舞っていたチョコとスミレの二人も、今度ばかりは堪え切れなかったらしい。一歩二歩とよろめくように後ずさる。
「ヨシキお兄ちゃんは、強くて、優しくて、カッコ良くて、るぅは大好きなの。だからヨシキお兄ちゃんを傷つける人間なんて、みんな消えちゃえって思った。……お前たちだってそうよ。ヨシキお兄ちゃんの〝お友達〟になったくせに、こんな風になるまで放っておいた。もしあたしが来なかったら、今ごろヨシキお兄ちゃんは……ッ」
そこまで一息に告げると、ルゥはつぶらな瞳からポロリと水晶の涙を零した。
誰も何も言えなかった。
俺も、セバスチャンも、最初に挑発したチョコでさえ、苦しげに眉を寄せ俯いてしまう。
「……だから、ヨシキお兄ちゃんのことは、あたしが連れて行く。這いつくばって命乞いしても許さない。お前たちは、ヨシキお兄ちゃんをさんざん利用して、ゴミみたいに捨てようとしたんだから!」
ルゥの慟哭が響き渡った刹那、世界は一段と深い闇に覆われた。絶望という名の暗闇に。
誰もが項垂れて瞼を閉ざす中、一人の少女が動いた。
身に纏った純白の法衣よりもさらに青白い顔をした紫の髪の乙女が、一歩前へ歩み出た。そして悲痛な面持ちでルゥを見つめて。
「申し訳ございません……!」
「なによ、お前……」
「全てはわたくしの責任です。女神の〝神託〟を受けていながら、悲劇を止められなかった。何度も命を救われておきながら、ヨシキ様を救うことができなかった……わたくしは無力です。この命で贖えるならばそれでも構いません。ただ一つだけ、お願いしたいことがございます」
「なに?」
「どうか、ヨシキ様の怪我を治させてください。今のわたくしにできる償いは、それくらいしかありません」
スミレにそう言われ、あらためてルゥはまじまじと俺を見つめた。
俺のボディをキリキリ締めつけていた腕をパッと離すや、ちょっと不安げにセバスチャンを見上げる。
「この傷、あたしの力で治せないの?」
というシンプルな質問に、セバスチャンは「一度殺してアンデッド化させるなら簡単ですが」と恐ろしい回答を。
久々に負け犬モードの俺が「やめてくださいお願いします」と土下座しようとした寸前。
誰かの声がした。涙混じりの震える声が。
「私も……謝るわ。ごめんなさい」
眩い金髪を揺らし、深々と頭を下げた一人の乙女。
太陽が消えた世界にありながらも、決して輝きを失わないその髪は、女神に愛された証。
きっとチョコは、目の前の二人が何者なのか察している。それでもエメラルドの瞳に憎しみの炎は無い。
いや、むしろ……。
「目が覚めてこの場所へ来たとき、私は気が狂いそうになった……あなたたちと一緒よ、この場にいる全員を殺したくなったの。でも、そんな資格ないわよね。私は弱かった。『皆を守る』なんて口では言いながら、結局ヨシキの優しさに甘えてばかりだった。償えっていうなら、なんでもするわ。この命が消えても構わない。だから……お願い、ヨシキを連れて行かないで!」
俺は両手で目を擦りたくなった。これは本当に現実なのかと。
持ち上げようとした手は、あまりの激痛に耐えきれず途中で落ちた。だから代わりに何度も瞬きをしてみる。
チョコが……土下座している。
地面に額を擦りつけて。紅いローブも、白い手のひらも、金色の髪も、砂ぼこりに塗れさせて。堰を切ったように嗚咽を漏らして。
さすがのルゥも、バツが悪くなってきたようだ。小さな唇をツンと尖らせて「もういいよ」と呟く。
すると、その一言を待ちかねていたかのように、セバスチャンが告げた。
「お気が済まれましたでしょうか、ルゥ様。そろそろ戻りましょう」
「えっ、だって、せっかく会えたのに」
「あくまで今回は特例。この箒は自らの力でルゥ様のもとへ戻ると約束したのです。ゆっくりお話されるのはそのときでよろしいでしょう。それにルゥ様がここにいますと、この人間の汚らわしい治癒能力とやらが封じられてしまいます」
「そっか……」
しぶしぶといった顔で頷くと、ルゥは再びふわりと空へ浮かびあがった。
涙でぐちゃぐちゃの顔を上げたチョコや、地面にへたり込んだスミレ、放心状態の仲間たち、そして凍りついたままの〝汚らわしい人間〟たち……。
全ての命を、冷徹な王者の瞳で見下ろしながら、ルゥは宣告した。
「ヨシキお兄ちゃんのためにも、今回はガマンしてあげる。だけど――次はないからね?」
ゾワリ、と全身に怖気が走った。
この空間が丸ごと魔界に転移したかのような、凄まじい魔力の塊が降り注いでくる。
魔力に敏感なチョコはもちろん、魔力を持たないはずのスミレまでもが、苦しげな呻き声をあげる。
全員の心に、一つの枷が嵌められる。
「これは〝約束〟だから。今度ヨシキお兄ちゃんをこんな目に合わせたら、ぜったい許さないよ。人間なんて一匹残らず消しちゃうから。覚えておいて」
「ルゥ様、もうこのくらいでよろしいかと。これ以上お力を出されますと、人間界にひずみが生じますわ」
冷静に諭されたルゥが地上へと降りてくる。そして俺に抱きつく代わりにセバスチャンへ寄り添い、冷たく言い放った。
「そこの人間、今すぐヨシキお兄ちゃんのケガを治しなさい。もし傷跡一つでも残したら――」
「の、残しません、お約束します、女神の名に誓って……ッ!」
喉元に見えない刃を突きつけられながらも、気丈に返答するスミレ。その隣では、泣き顔のまま力強く頷いてみせるチョコ。
ルゥは玩具に飽きた子どものように、二人からぷいっと顔を背けた。
そして、俺を見るや花が綻ぶような笑みを浮かべて。
「じゃあね、ヨシキお兄ちゃん。会いに来てくれるの、楽しみに待ってるから!」
そうして嵐のごとき怒りを振り撒き、再び天高く上っていく黒衣の天使。最後は『光のリング』の中へ吸い込まれ、漆黒の穴ごと消え去った。
何事もなかったかのように、燦々と降り注ぐ太陽の光が、凍りついていた人々の心を溶かし始める。
しかし、穏やかな光と先ほどまでの暗闇とのギャップはあまりにも大き過ぎた。人々は悪夢から目覚めたばかりのような、虚ろな眼差しで太陽を見上げ続ける。
俺は一人、太陽よりもさらに上を見ていた。
……セバスチャンの教育は、なかなか上手く行っているらしい。
俺にとってルゥは、どこまでも可愛い妹分だ。
でもルゥは、もうそれだけじゃ収まらない存在に――本物の魔王になってしまった。
しかも俺の人生が、この世界の存亡を握っているとは……。
『東の塔に、悪魔が降りる。
悪魔の怒り、嵐のごとく。
地上の宝、奪い去らん。
宝を地上に、とどめる者は。
金と紫、二人の乙女』
「お宝じゃねぇし……俺はただの、箒だ……ッ!」
そんな台詞を吐きながら、力尽きた俺はその場に崩れ落ちた。
※ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます! この先はちょっと長めのエピローグになります。(今後の更新日程は、活動報告にてお伝えさせていただきます)




