その2 魔王降臨
「やっと呼んでくれた……会いたかったよ、ヨシキお兄ちゃん!」
闇に包まれる『空中』で、光のリングを背にしたルゥがにっこりと微笑んだ。もみじのごとき小さな手を無邪気に振りながら、こっちへ近寄ってくる。
俺は呆然としたまま、愛らしいその姿を見つめることしかできない。
あのワンピースは、病院で出会った日に着ていた服だ。ツインテールも、髪を結ぶ黒いレースのリボンも、俺が一番可愛いと思っていたもの。
人間界へ落とされたときから、毎日のように胸に思い描いていた、本物のルゥの姿だった。
だけどルゥは、空なんて飛べなかった。
たぶん俺が居なくなってから、必死で修行を重ねたんだろう……甘えを捨てて、強くなることだけを目指して。そう思うと自然と胸が熱くなる。
俺の血で汚れた祭壇の上へ、二人は音も無く降り立った。
「ヨシキお兄ちゃん!」
ルゥはセバスチャンの手を振りほどくや、さも当たり前のように俺の胸へ飛び込んできた。
……腹が裂けて血まみれのボディに。
激突のショックで一瞬魂が抜けかけたものの、その後は強制的な『癒やしタイム』へ突入。
肉体的な痛みを麻痺させるほど、ルゥの魔力は心地良かった。小さな身体からとめどなく溢れ出す、〝魔力の原液〟とも呼べるほど濃厚な魔力に包まれて、呼吸が一気に楽になる。
と同時に、ようやく頭がまわり始める。
「ルゥ、お前、どうしてここに……?」
「ごめんね、ヨシキお兄ちゃん。ホントは全部分かってたの。るぅ、お城からずっと見てたんだよ。ヨシキお兄ちゃんが〝汚らわしい人間〟のせいでひどい目にあうところ、全部だよ」
そう言ってルゥは、スッとその双眸を細めた。ツインテールに結わえた黒髪が、風も無いのにゆらりと揺れて宙へ浮かびあがる。
コレはいわゆる『怒髪天』ってヤツだろうか……可愛いけど、ちょっと怖い。
「待ってね、今すぐ助けてあげる!」
そう言ってルゥはふわりと飛び、俺を縛りつけていた十字の丸太に指先を触れ――
気づけば俺は、地面の上にいた。
俺を支えていた丸太も、両手に打ちつけられていた極太の杭も、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。
残されたのは、生きているのが不思議なくらいのニンゲンだ。穴の開いた両手に、脱臼した両肩、そして中身が飛び出そうな腹。
非情にホラーなビジュアルだが、どうやら命に別条は無いらしい。ルゥの魔力に触れたおかげか、自力で立つこともできるし、血が流れだすのも止まっている。
少しだけ余裕ができた俺は、軽く周囲を見渡してみた。
俺を殺す気満々だったサディスト野郎は――儀式の贄となったようだ。虫けらのように地面へ転がるその身体からは、すでに魂が消え失せていた。
奴を裏で操っていた〝蛇〟は、地面にへたり込み、茫然自失状態で二人を見つめている。顔に張りつけた笑みを消し去り、だらしなく涎を垂らして。
他の奴らは全員、氷の彫像と化していた。
彼らは本能的に理解しているのだろう。泣いたり叫んだり逃げ出そうとしたりして、二人の注目を浴びれば、目が合った瞬間に恐怖のあまり魂が潰えると。
いや、ルゥの視線にはまだ〝人間らしさ〟が残っている。
問題は、悪魔女ことセバスチャン。
とはいえ、今のところニンゲンに何かするつもりはなさそうだ。直立不動の無表情といういつものスタンスで、ルゥの行動を見守っている。
この場にいる数千という生命の中で、自由に動いているのはルゥだけだ。
ルゥは再び俺の胸に飛び込むや、上目遣いでちょっと拗ねたように呟く。
「ホントのホントはね、何回もヨシキお兄ちゃんのところに行こうとしたの。でも、セバスお姉ちゃんがダメだって。『ヨシキお兄ちゃんは自分で何とかするだろうから、信じてあげなさい』って。今は虫さんくらい弱いけど、少しずつ強くなって、ルゥを守れる〝ナイト〟になってくれるからって」
「……ルゥ様、その件は口になさらないでくださいとお願いしたはずですが」
初めて口を開いたセバスチャンが、こめかみに手を当ててはぁっとため息をついた。ルゥに影響されたのか、しばらく見ないうちに感情が表に出やすくなっている気がする。
っていうか、まさか。
「アンタも、俺のこと、信じてくれてたのか……?」
ヤバい、想定外過ぎて素直に喜んでいいのか分かんねぇ!
ツンデレか? これがツンデレってヤツなのかッ?
「――調子に乗るんじゃない、箒」
「うぐッ……」
生温い人間界に浸りきっていたせいか、一睨みされるだけで魂が抜けそうになった。
やっぱりこの女は全世界最強だ。
つーか良く言い返せてたな、昔の俺……。
やっぱり魔界にいるときの俺はそこそこ強かったのかもしれない。こうして脅されても、謎の水で対抗できてたもんな……。
そんな俺の思考を読んだのか、ルゥが黒曜石の瞳をうるうると潤ませて、可愛らしいおねだりを一つ。
「ねぇ、ヨシキお兄ちゃん。いっしょにお城戻ろう?」
「ルゥ……」
「だって、〝汚らわしい人間〟なんかと一緒にいたら、またひどい目にあわされるよ。それより、るぅと一緒にいた方が楽しいよ?」
グラリ、と心が揺れた。
でもそれは仕方ないことだろう。
俺は〝女神〟を信じられなくなった。そして女神以上に、ニンゲンが信じられなかった。頑張ったのに裏切られたと思った。
チラリとセバスチャンを見やると、「好きにしなさい、箒」という顔をしている。
どうやら俺の奮闘は、悪魔女をもデレさせたらしい。それなら頑張ったかいがあったというものだ。
「ヨシキお兄ちゃん?」
「ああ、うん、考えてる。ちゃんと考えてるよ」
魔界に行けば俺は最強の『ハウスキーパー』だ。濃厚な魔力は常にフル充填。それなりに楽しく、安定した暮らしができる。
対する人間界は、苦しいことばっかりだ。強敵と戦って、人間の〝汚らわしい〟部分を見せつけられて。
だからこそ、修業先としては相応しいのかもしれない。
何よりこの世界には、先の見えないワクワク感があって、キラキラした綺麗な心に触れたときの喜びがあって……。
でもルゥは、俺にとって唯一の家族だ。人間界でどんな事件に巻き込まれても、あの約束は――ルゥとともに地球へ戻るという目標は、俺の確かな支えだった。
そして今、ルゥは『命の恩人』にもなった。もらった恩は倍返しってのが俺のポリシーだ。
思い悩んだ末、俺が一つの結論を告げようとしたとき。
「――アンタら邪魔! さっさと退かないと殺すわよ!」
「――女神の名において命じます、速やかにここを通しなさい!」
聴き覚えのある二つの声が、広場に響き渡った。
陰鬱な魔力に満ちていた空間に、微かな光が差し込む。目にしただけで身体の痛みが和らぐ、春の陽だまりのように優しい光だ。
二つの光は凍りつく人々を蹴散らし、俺の前へと躍り出た。
「ヨシキ!」
「勇者様!」
はぁはぁと荒い息をつきながら祭壇へと上ってきたのは、女神に予言された二人の乙女だった。
※一部描写を修正しました。




