その1 魔女裁判
※ライトな暴力描写があります。苦手な方はご注意ください。
自分で言うのもナンだが、この世界に来てから俺はけっこう頑張ってきた気がする。
……なのに、この仕打ちはないんじゃないかと思う。
「ただいまより――女神に背きし大罪人の審判を行う!」
神殿の塔を背にした街の中央広場には、その一言を契機に爆発的な怒声が湧きあがった。低くうねる黒雲から稲光が落ちるような、暗く激しい怒りの声が。
俺は今、それらの声の中心にいる。腰にボロ布を巻きつけられただけの格好で、十字に組まれた太い丸太に張りつけにされて。
両掌に打ちつけられた黒い杭は、魔力封じのマジックアイテムだ。流れる血は止まらず、徐々に身体が冷たくなっていく。
痛みから逃れようと、脳みそが現実逃避を始める。こういう格好をさせられた偉い人が地球にいたな、やっぱりこの世界と地球はリンクしてるのかな、なんて。
遠くから狼の遠吠えが聴こえた。
あれは可愛い弟分の声だ。俺の血の匂いを嗅ぎつけたのだろうか。俺は心の中で『ゴメン』と謝った。
もしこのまま俺が死んだら、交渉は不成立。狼たちはこれから流浪の民となる。恐ろしい魔獣だと誤解されたまま、行く先々で討伐の対象となる。
とはいえ、あれだけ賢い王が率いる群れだ。きっと彼らは生き伸びていけるはず。
ただ、約束を守れなかったことが心苦しい。俺の提案をあんなに喜んでくれていたのに。
結局、チョコと話をすることはできなかった。
広場に集う数千人の市民たちの中で、最前列に陣取ったかしましいヤジ馬たちによると、現在チョコは魔力切れで倒れているらしい。回復には丸一日以上かかるだろうと囁かれている。スミレが癒やしを与えれば別だろうけれど……。
当然、スミレとも話せていない。
怪鳥に腹を掴まれて空を飛んでいたんだ、重傷に決まってる。それでも腹が裂けたわけでも無かったし、死ぬことはない……と信じたい。
見上げた東の空には、眩い太陽。
女神の化身は強烈な光を放ち、俺の肌をジリジリと焦がす。あの位置からすると、俺が意識を失っていたのは二、三時間といったところか。
心身ともに疲れ果て、泥のように眠っていた俺を叩き起こしたのは、史上最悪な奴だった。
「へへへ……もう逃がさねぇぞ。お前を庇ってた邪魔者の〝枢機卿〟も居なくなったしな」
周囲がざわついているのをいいことに、公衆の面前で堂々と宣言するサディスト野郎。
明るい太陽の下で見ると、飢えた獣のようにギラついた眼がより際立つ。どう見ても盗賊のお頭という顔だ。
……いや、そうじゃない。
コイツはきっと本物の盗賊なんだ。その残忍さを買われて採用された、囚人の命を奪う死刑執行人。
普通の兵士じゃ女神様に逆らってまで他人の命を奪うことはできないけれど、コイツならできる。俺が捕えた二十人の盗賊を殺したのも、きっとコイツだろう。
そして〝口封じ〟を命じた黒幕は……。
「お客さんも集まってきたようだし、そろそろ始めようか。あんまり時間をかけてもしょうがないしね」
なんら重みを感じられない、喧騒に埋もれてしまう細い声。本人も自覚しているのか、隣のサディスト野郎に復唱するよう指示を出す。
辺境伯代理カカ・オゥ・エット。
柳のようにのらりくらりと会話をかわす、軟弱で日和見な『守り』の政治家。
きっとコイツが、女神の神託で伝えられた――蛇。
漠然とした違和感は覚えていた。例えば、神殿の大巫女から伝えられた〝神託〟をあっさり枢機卿へ漏らした……という情報をあえて俺たちに流して枢機卿を疑わせたり、大事な見張り台となる物見の塔を封鎖したり。
それでもチョコの親代わりだという背景、そして魔獣が迫っているという焦りが、俺の直感を鈍らせた。
「えー、この罪人の名はヨシキ。年齢は二十三、出身はアゼリア帝国。そこで〝魔獣使い〟の技術を学び、ディアスキア共和国の間諜を装って我が国に潜入。罪状は、枢機卿殺害、チョコ・ル・アート殺害未遂、大神殿の巫女姫スミレ嬢誘拐及び殺害未遂。あとアゼリア帝国から魔物をこの街へ呼び寄せた疑いも濃厚、と。こりゃ歴史的な大罪だなぁ」
会議で報告書を読み上げるかのように、淡々と告げるカカ氏。俺が視線に殺意を滲ませて睨みつけようとも、顔に張りつけた笑みが崩れることはない。
カカ氏の隣に立つサディスト野郎が、俺の〝罪〟をやたらと演技がかった口調で語る。枢機卿の死を伝える場面では泣き真似をしてみせるも、良く見ればその瞳にはあきらかな愉悦が浮かんでいると分かる。
……なのに市民には伝わらない。
彼らが視ているのは、俺だけだった。カカ氏もサディスト野郎も添え物でしかない。
彼らの瞳は理由を探していた。どうして自分たちがこんな目に合わなきゃいけなかったのかと。
例の〝穴〟から出てきた下等な魔物たちは、少なくない人数の命を奪ったらしい。その決着をつけなければ、きっと彼らも前に進めないのだろう。
ただ、彼らが見ているのはニセモノの真実だ。
「――俺はやってねぇ」
ひりつく喉が痛みを訴え、俺は顔をしかめる。
目覚めてから水の一滴飲ませてもらっていない。掠れ切った声は、善良な市民の誰にも届かず掻き消される。
聴いていたのは、俺のすぐ傍にいる二人だけ。
「困ったなぁ、今さら罪状否認ですか。枢機卿殿がいてくだされば、すぐに嘘か本当か分かるのに」
「アンタ、昨夜チョコと約束したんじゃねーのかよ、俺の無実を晴らすって。こんなことして、ただで済むと思ってんのか?」
俺は奴に向かって精一杯の毒を吐いた。
それでも、蛇の心には届かない。
「確かにチョコちゃんには怒られるかもしれないね。でも僕は直接この目で見てしまったからなぁ。君が塔のてっぺんで、枢機卿殿の遺体と一緒に転がってるところを」
「それは、さっきも説明しただろーが……!」
「悪いけど、キミの証言は『ほら話』にしか思えないんだよ。まさか聖職者の彼が自害するわけないし、一緒にいたスミレ殿は魔物のせいで大怪我してるし」
「とにかく、今すぐチョコを呼べよ、俺が無実だって証明してくれるッ」
「うーん、でもチョコちゃんは君に〝洗脳〟されているようだし、証人にはならないよ?」
「……ッ、それなら、スミレでもスイレンでも」
「スミレ殿はまだ休まれているし、スイレン君も看病で手が離せないしなぁ」
駄目だ、何を言っても響かない。
いや、とぼけるのも当然だ。俺を犯罪者に仕立て上げなきゃ、疑惑の矛先は自分へ向かう。
スミレを襲ったことも、妙な『儀式』を仕組んだことも、枢機卿を自殺へ追い込んだことも、何もかもが明らかになる……。
「旦那、ごちゃごちゃ言ってないでやっちまいましょう。なに、コイツを一発打てば大人しくなりますって」
さっきの泣き真似はどこへやら。サディスト野郎が嬉々として取り出したのは、一本の太い鞭だった。
今まで何人もの血を吸ったであろう、使いこまれた赤黒いまだら模様は、まさしく本物の蛇のようだ。良く見ると、先端部分には細かい刺がついている。打たれた者の命を確実に奪い取る黒い刺が。
市民たちに見せつけるためにそいつを持ち上げた後、サディスト野郎は俺の耳元に唇を寄せて囁いた。
「枢機卿はどうしてもお前を殺すなっていうから、あの生温い鞭で我慢したけどなぁ……本物は違うぜ?」
ぶるり、と身体が震えた。耳朶に吹きかけられた息のおぞましさに。
サディスト野郎は俺のリアクションに満足したらしい。口角をクッと持ち上げ、太い右腕を高々と掲げ――
「正直に罪を認めろ! そして女神に慈悲を乞え!」
「俺はやってな――ぐがぁぁぁぁあぁあああッ!」
自分の喉から、獣じみた悲鳴が聴こえた。
と、まるで他人事みたいに考えたのは、魂が肉体を離れかけていたせいかもしれない。
サディスト野郎の言う通り、本物は半端無かった。俺の腹は右上から左下にかけてぱっくりと裂けた。
血しぶきが周囲に吹き飛び散る。それを浴びたカカ氏が眉間の皺を深めつつ、上着のポケットからハンカチを取り出して顔を拭った。
市民たちは、全員が口を噤んでいた。自ずと俺への罵詈雑言も止まった。
彼らの中に〝人が人を殺す〟シーンを見た奴はあまりいないのかもしれない。
盗賊の噂は耳にしていても実際目撃した者は少ないだろうし、何より彼らは敬虔な女神信者だ。魔獣ならさておき、人が人の命を奪うなど考えられないことだろう。
それなのに、俺に向けられる視線は冷ややかなままだった。
目を背けるのは一部の若い女性のみ。その他の人間は皆、感情の無いガラス玉の目で俺を見ていた。当然の報いだと言わんばかりに。
それでも。
「俺は、やってねぇ……」
両手と腹からの出血で意識が半ば飛んでいたけれど、目の前のサディスト野郎が怒りをあらわにしているから、ちゃんと声は出ていたようだ。
再び鞭を振り上げようとした奴を、カカ氏が一旦抑える。そして何やらヒソヒソと耳打ちをした。
サディスト野郎がニヤニヤと笑いながら頷いた後、再び『兵士』の仮面をつけて観衆へ向き直る。
そして、鼓膜が破れんばかりの声で叫んだ。
「見届け人よ、諸君ら全員に問う! 次の鞭を打てば、この大罪人は冥府へ旅立つだろう! それでも打つべきか、否か!」
静寂の中を、湿気を含む生温い風が吹き抜ける。
街路樹が立てる葉ずれの音に人々の囁き声が重なり、波紋となって広まっていく。
「どうする?」
「やりすぎじゃないか?」
「でもあの男は」
「チョコ様を」
「スミレ様を」
「枢機卿様を」
程なくして、俺を取り囲んだ魔女裁判の傍聴人たちは、冷酷なジャッジを下した。
ついさっきまで弱者として震えていた彼らが、今度は絶対的な強者として。
「やれ!」
「やっちまえ!」
「この悪魔!」
「アゼリアの犬!」
「冥府へ帰れ!」
遺言を伝える余裕すら与えられなかった。
サディスト野郎は観衆へ重々しく頷いてみせると、俺に向かって「じゃあな」と一言。
奴が鞭を振り上げるその動きは、やたらスローモーションで映った。病院のフェンスがひしゃげたときのように。
閉ざした瞼の裏に『死』の文字が浮かび上がる。あと三秒後には、病院の屋上から落ちたときと同等の痛みが襲い来るだろう。
……この世界の女神は、俺の味方じゃなかったのか?
今までの道のりは過酷だった。一歩間違えば俺自身や大事な人が死ぬような茨の道だった。
それでも最後は助けてくれると信じていた。信じたかった。
女神が信じられないなら、他に誰がいる?
魔力が尽きている今、俺のヒーローである氷龍は呼べない。
チョコはまだ眠っているし、スミレもそうだ。アジトのメンバーは皆そっちへ付き添っているんだろう。
観衆も、背後に居並ぶ兵士たちも、〝箒〟じゃない生身の俺を知らない。
誰も俺を助けてはくれない。
もう一人、大事な人がいた気がするけれど、頭がぼんやりしていて思い出せない……。
ああそうだ、俺が地球で出会った女の子。
俺はあの子に会うために頑張ってきたんじゃないか。力をつけて、魔界へ戻って、そして俺たちの故郷へ帰るために。
そう、確かあの子の名前は……。
「ルゥ」
呟いたとき、俺の頭の中に一つの言葉が浮かんだ。
『暗闇を喚ぶ、死の儀式。
口を開けば、死に至る』
全ては終わったと思っていた。あの〝穴〟を閉じた時点で、死は回避できたのだと。
しかし、魔女裁判という『儀式』を経て、確かに俺は今――口を開いた。
「ヨシキ!」
「勇者様!」
遠くから微かに響く、俺の大切な女の子たちの声。
しかし、それを遥かに凌ぐボリュームで……観衆がどよめいた。
恍惚とした表情で鞭を振り上げていた処刑人も、その脇で微笑んでいた蛇も、残酷な審判を下した人々も……誰もが大きく目を見開き、上空を見上げていた。
天高く昇っていた太陽が、消えた。
それはまさに皆既日食。ぽっかりと浮かぶ漆黒の円と、それを包む光のリング。
その〝穴〟から漏れだす魔力――魔界特有の濃厚な魔力が、世界を包み、視界を煙らせ、人の声を奪い、呼吸さえも奪う。
女神の化身である太陽をも塗り潰す、おぞましい穴の中から現れたのは、二人の人間。
いや、それは人に見えて人にあらず。
二人はその身だけでやすやすと――空を飛んでいた。先ほど現れた怪鳥よりも滑らかに、優雅に。
誰もが凍りつき、瞬き一つできないまま、迫りくる〝恐怖〟を噛み締める。
黒い礼服に身を包んだ美しい女と、女に手を引かれた黒いワンピース姿の可憐な少女を。




