その2 初めてのプロポーズ
気づけば俺は、日本に戻ってきていた。
……もちろん夢の中でだ。
夢の世界でも俺はぐうぐう眠っている。六畳一間のアパートに敷いた布団の中で。
程良くクッションの効いた敷布団に、お日様の匂いのするふかふかの掛け布団、高さのちょうど良い柔らかな枕。
そして腕の中には、俺がこっそり愛用しているアザラシの抱き枕。
ゴマ太郎と名付けたそのぬいぐるみは、小学生の頃に母さんが買ってくれたものだ。夜勤で出かける日も寂しくないようにと。
高校生になっても俺はそいつを手放せずにいた。汚れたら洗って、ほつれたら縫って。
「ゴマ太郎……」
久しぶりの再会を祝し、俺は軽くキスをする。
硬派な漢である俺にとって、そういう軟弱な行為をする相手は、犬や猫などの小動物かゴマ太郎くらいのものだ。
しかし犬猫はだいたい「グルルルル……」とか「フシャー!」と言って逃げてしまう。優しく受け入れてくれるのはゴマ太郎だけ。
――夢の中でも会えて嬉しいぜ、ゴマ太郎!
俺はもう一度ちゅっとして、ぎゅっと抱きしめる。その身体は柔らかくて、温かくて、すべすべしていて……。
……ん? すべすべ?
確かゴマ太郎はゴマフアザラシの赤ん坊で、純白の毛がもふもふ生えていたはず。
俺が地球で死んだり、魔界で死にかけたり、人間界で死にかけたりしてる間に、いつの間にか大人になっちまったのか?
でもまあ、すべすべしてるゴマ太郎も悪くない。っていうか、滑らかな肌触りはめちゃめちゃ気持ちいい。
なでなで。
「……っん」
なでなでなで。
「……あんっ」
お、今なんか可愛い鳴き声がしたぞ。お前もしかしてメスだったのか?
ってことは、おっぱいなんかも育ってたりして?
――むにゅっ。
「ひゃうっ!」
……。
……。
……何だか嫌な予感がする。ものっそい危険信号を感じる。
早く目覚めた方がいいと俺の直感がビリビリするからさらばだゴマ太郎!
パチリ、とテレビのスイッチを消すように、俺は夢の世界からリアルの世界へ舞い戻った。
やはり夢の中とリアルは違った。日本で使っていた布団にはブルーのシーツがかかっていたのに、今俺を覆う布団は純白だ。
そしてゴマ太郎の毛は白かったのに、リアルの抱き枕は紫……の髪の、女の子?
「おはようございます、勇者様」
夢から覚めたはずなのに、そこはまだ夢の世界だった。
今度の俺は、温かいベッドの中で一人の少女を抱きしめている。柔らかくてスベスベで抱きごこちの良い……全裸の巫女様を。
当然のごとく、俺も全裸だった。
とりあえず、マシュマロのような胸に触れていた手を離し、自分の頬をつねってみる。痛い気がするけれど良く分からない。
すると、俺の鼻先あたりにある、アメジストのごとき可憐な瞳がぱちくりと瞬きした。
これはまだ人への警戒心を知らない、あどけない子犬の顔だ。頭をなでなでしていた手を止めたときの「どうして?」というあの顔。
試しに俺はもう一度手を伸ばし、柔らかそうな胸……ではなく、サラリとした紫の髪を撫でてみた。
巫女様はくすぐったそうに首を竦める。透き通るような頬を薔薇色に染めて。
そして、箸より重い物を持ったことが無さそうな白い手が、俺の裸の胸に触れる。激しく打ち鳴らされる鼓動を確かめるように。
「痛くないですか?」
「へッ?」
「わたくしは、痛くしなかったでしょうか?」
「お、おう。痛くねぇ……」
意味が分からなかった。意味が分からなかった。
でも俺はこの展開を知っている。
以前先輩に借りた『ラノベ』の序盤、主人公の元に落ちてきた神様の美少女が、翌朝こんな感じで布団の中に潜り込んでいたのだ。
しかも眠っている間に主人公の〝初めて〟を奪ったという――
「……もしかしてお前、俺に何かしたか?」
「しました。いろいろなところに触れさせていただきました」
「いろいろ……?」
「はい、勇者様の身体と魂に激しく求められましたゆえ……わたくしに抗うことはできませんでした」
「お、俺が求めたって……まさか」
「このようなことになり申し訳ございません。でもわたくしは、後悔しておりませんから」
目尻をふにゃりと下げながら、巫女様は泣き笑いのような笑顔を浮かべた。それは『女神の愛娘』として盗賊たちを黙らせたときとは違う、普通の女の子の顔で……。
俺は強く目を瞑り、彼女の身体をグイッと引き寄せた。抱き枕にするんじゃなく俺の腕枕に頭を乗せてやる。
むにゅり。
無駄に鍛えた胸板に、全く鍛えられていない彼女の柔らかい部分が当たった。
今までの俺なら全裸ダッシュするところだが、今回ばかりは逃げ出すわけにはいかない。
脳裏を過った二つの影――幼い少女と、眩い金色のシルエットを振り払い……俺は彼女を抱く腕の力を強めた。
「ゆ、勇者さま?」
「勇者じゃなくヨシキって呼べよ。お前も巫女様じゃなくスミレだろ? そう呼んでいいか?」
腕枕に乗せられた小さな頭が、コクンと動いた。俺はサラサラとして気持ち良い髪を撫でながら、ため息まじりに呟く。
こんなとき言うべき台詞は、ヤンキー系の〝青年漫画〟でしっかり勉強済みだ。
「ぶっちゃけ、こうなるまでのことはあんまり覚えてねぇ。ただやっちまったからには男としてケジメはつける。スミレ、俺と結」
「――何を言わんとしているのだ、このヘンタイ勇者!」
純白の布団の中、スミレと二人きりという夢の世界は唐突に終わりを告げた。
気付けば俺の目の前には、悪鬼のごとき形相で短剣を掲げる――赤髪の美少女がいた。
「スイレン、どうして邪魔をするのです?」
ピキッと固まる俺をよそに、腕の中のスミレが可愛らしいふくれっ面をつくる。しかしスイレンは無言のまま、俺の腕をポイッと向こうへ放り投げた。
「スミレ様、〝癒やし〟はもう終わっております。早くそのヘンタイから離れてください。ヘンタイが移ります」
「でもヨシキ様は、ずいぶんと鼓動が早かったようですし、それに何か大事なことをおっしゃろうとして」
「きっと聴いたら耳が腐る悪魔の呪文ですよ。さあ汚れた身体を清めに参りましょう」
生ゴミを見るような目で俺を見下ろしたスイレンは、バスタオルぐるぐる巻きでガードしたスミレをお姫様抱っこし、スタスタと部屋を立ち去った。




