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その1 第二の人生スタート

 目覚めると、そこには見知らぬ天井があった。のしかかってくるような灰色の天井が。

 起き上がろうにも身体はガチガチに固まっていて、指一本たりとも動かせない。視界もぼやけていて一向に定まらない。

 それでも直感した。ここは死後の世界なのだと。

 俺は裸にされ、冷たい石板の上に寝かされている。鼓動もなく呼吸もせず、蝋人形のように転がっているのだ。

 しかし、瞼を閉じているはずなのに目が見えるというのも妙な話だ。

 あと臭いも感じる。煙で燻されたように澱んだ空気と、ツンと鼻をつく腐った生ゴミの匂い。

 意識が徐々にハッキリしてくる中、俺の目は一つの生き物を捉えた。

 天上の隅に一匹のコウモリがとまっている。俺の視線を感じたのか、コウモリはくるりとこちらを振り返り……。

「ケケケッ」

 嗤った。老婆の顔と声で。

 おぞましいその生き物は、奇妙な鳴き声を立てながら飛んで行き……そこには巨大な蜘蛛の巣が待ちかまえていた。

 ねばつく糸を噴射されたコウモリは、蜘蛛の腹にくっついた〝人間の口〟によりむしゃむしゃと食われた。骨と皮だけが床へ吐き出され、不快な匂いがさらに強まる。

 込み上げる吐き気を抑えながら、俺は理解した。

 ここはたぶん〝地獄〟だ。

 どうやら神様は、俺の人生にそういうジャッジを下したらしい。

 確かに俺は『硬派なおとこ』を目指す――いわゆるヤンキーだった。

 ふざけた大人をぶん殴り、弱い奴らや女を守る……そんなヤンキー漫画にどっぷりハマった結果、独学で身体を鍛え、戦い方を学び、夜の街へと繰り出した。

 どこの誰かも分からない父親のおかげで、体格には恵まれていた。しかも片田舎では悪目立ちする、ウェーブがかかった天然の茶髪に、茶色い瞳。あっという間に俺は〝有名人〟になった。

 勉強はからっきしでも、ケンカじゃ負け知らず。相手を病院送りにしたのも片手じゃ足りない。

 ただ、高校に入ってから俺は変わった。プロボクサーを目指そうと決めたのだ。

 四月から始めたバイトの給料も入る頃だった。女手一つで俺を育ててくれた母さんに、今まで心配かけた分、少しでも親孝行ができたらと思っていた。

 なのに、どうして俺はこんな場所に……ッ。

「……んん……」

 ふと、誰かの呻き声がした。

 ガチガチな身体を必死でよじり、なんとか動かした視線の先にいたのは……。

 ――あの少女だ。

 自分のことを『ルゥ』と呼んでいた愛らしい少女。

 ルゥはあのとき着ていた黒いワンピース姿で、石板の上に横たわっている。

 ベッドの堅さを嫌がるように華奢な身体がもぞりと動き、もみじのような手で目元をごしごし擦る。「うーん」と唸る声は、単に寝ぼけているだけといった感じだ。

 どうやら怪我は無さそうだと、少しだけホッとしたとき。

「お目覚めになられたようですね」

 響いたのは、若い女の声だった。

 石の扉が音もなく開き、カツカツと靴の踵を鳴らしながら誰かが歩み寄ってくる。パッと飛び起きたルゥは、きょろきょろと周囲を見回した後、泣きそうな顔で尋ねた。

「お姉さん、だれ……?」

「ワタクシのことは『セバスチャン』とお呼びください」

 ルゥの柔らかな栗毛の向こうに、漆黒のパンツスーツを着た女の脚が見えた。

 それからほっそりとしたウエストが映り、それにそぐわない豊かな胸が現れる。白過ぎる胸元、折れそうなほど細い首、シャープな顎と薄い唇、スッと伸びた鼻……そして。

『――ッ!』

 視線が交わった刹那、心臓を鷲掴みにされた気がした。

 俺を捉えたのは、凍てつく闇を孕む漆黒の瞳。相手を否応なく跪かせる氷の眼差し。

 頬や額にかかる短い黒髪の艶やかさも相まって、人の域を超えた美しさを醸し出す。

 それほどの美貌にも拘わらず、彼女は冷酷な悪魔にしか見えなかった。

 ――俺はアイツに殺されるかもしれない。

 一度死んでこの場所へ来たというのに、そんなことを考えてしまうくらいの眼光だった。コウモリや蜘蛛の化け物を見ても感じなかった、本物の恐怖に身がすくむ。

 実際、俺の直感は当たっていたのだろう。苛立たしげに寄せられた彼女の細い眉が、明らかに俺を「邪魔者だ」と語っていた。

 しかし、そんな張り詰めた空気は一気に瓦解した。ルゥが呟いた無邪気な一言で。

「えっと……セバス、ちゃん?」

 もし俺が関西のお笑い芸人なら、思い切りずっこけているところだ。

 しかしセバスチャンはぴくんと肩を揺らしただけだった。そして軽く腰を屈めると、俺に向けるのとは百八十度違う柔らかな眼差しで、困ったように囁いた。

「すみません、語尾を上げないでくださるとありがたいのですが……」

「うふふ、自分のこと〝ちゃん〟つけるなんて、おかしいの。あたしは『るぅ』だよ。漢字があるんだけど、むずかしくてまだ書けないの」

「ルゥ様ですか、かしこまりました」

「ねぇ、セバスちゃん……んー、お姉さんにちゃんってつけるの変だから、セバスお姉ちゃん。そう呼んでいい?」

 するとセバスチャンは、青白い陶器のような頬を微かに赤く染めた。そしてしぶしぶといったように頷く。

「……仕方ありません。お好きなようにお呼びください」

「うん。それで、ここはどこなの?」

「こちらは魔界にそびえる我が主の城――下界の者には〝魔王城〟と呼ばれております」

 ……地獄じゃなく魔界と来たか。

 予想外ではあったものの、驚く程でもなかった。

 きっと俺の身体に流れる異国の血が、和風な天国地獄ルートを拒絶したのだろう。ルゥはたまたま俺の傍に居たから、巻き込まれてこっちに来たとか……。

 そんなことをぼんやり考える俺の耳に、ルゥの無邪気な声が届く。

「魔界ってなに?」

「この世界は三つの階層に分かれております。もっとも高い位置にあるのがこの魔界。その次に、下等な魔物たちの住まう下界。そして、汚らわしい人間が住む人間界です。つまり魔界とは世界の頂点に位置し――」

「うーん……むずかしくて良くわかんないや」

「そうかもしれませんね。ルゥ様はまだ目覚められたばかりですし、ゆっくりとこの世界を知っていただければよろしいかと」

「じゃあ、もういっこ別の質問ね。なんでお兄さん、こんな姿になっちゃったの?」

 ビクッ。

 初めて俺の身体が震えた、気がした。

 つぶらな二つの瞳が、真っ直ぐに俺へと向けられる。キラキラ輝くその瞳に浮かぶのは、確かな親愛と憧憬。

「お兄さん、起きてる? るぅだよ。お返事して」

 もみじのような手が俺へと伸ばされる。そしてピンと硬直したままの身体が、ルゥの手で〝軽々と〟引き寄せられ……。

『……え?』

「そういえばあたし、お兄さんの名前聞いてなかったね。何て呼んだらいい?」

『あ、ヨシキ、だけど』

「ヨシキお兄さん……セバスお姉ちゃんとおそろいで、お兄ちゃんって呼ぼうかな。ヨシキお兄ちゃん。ね?」

 至近距離でにっこりと微笑んだルゥが、俺を腕の中にギュッと抱きしめた。熱過ぎる子ども体温に素肌が触れ、俺の脳みそも沸騰してくる。

 ……お兄ちゃんか。

 ……お兄ちゃんねぇ。

 悪くない、悪くないぞ。いやむしろ最高だ!

 俺の愛するヤンキー漫画でも、可愛過ぎて拉致られる妹キャラはテッパンだ! 妹万歳!

 心の中でガッツポーズを作っていると、直立不動のセバスチャンがまたもや射殺さんばかりの冷たい目で睨んできた。

 しかしルゥが「セバスお姉ちゃんも、ヨシキお兄ちゃんと仲良くしてね」と言うや、その目力はあっさり消滅。ひどく困惑したイントネーションで問いかける。

「えぇと、ルゥ様……そのホウキなのですが、いったい何なのでしょう?」

「ホウキじゃないよ、ヨシキお兄ちゃんだよ」

『そうだ、芳紀ほうきと書くけどヨシキだぞ』

 ルゥの尻馬に乗って主張すると、セバスチャンはこめかみのあたりに指を当て、深いため息を吐いた。そしてくるんと回れ右し、石の壁をパシンと叩く。何か魔法っぽい物を使ったのか、のっぺりした灰色の壁が一瞬で鏡へと変化する。

 そこに映っていたのは、俺をギュッと抱きしめたままのルゥ。

 いや、ルゥが抱きしめているのは俺じゃなくて……一本の箒だった。お寺で坊さんが使っているような、ありふれた竹箒。

 でもそこに居るのは確かに俺なはず。

 なのに、鏡に映るのは箒。

 あまりにも意味不明で、ゴシゴシと目を擦りたくなった。すると竹箒の毛先が一本シュルッと触手のように伸びて、柄の先端から二十センチほど下のあたりをゴシゴシする。どうやら目玉はその辺りについているようだ。

 ……っていうか、え?

『――な、な、な、なんじゃこりゃぁぁぁぁ!』

 その叫びは、魔王城全体を揺るがすほど大きなものだった。

※一部単語を変更しました。

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