その3 巫女様に忍び寄るもの
「オッチャン、ちょっと話いいかな」
「ふむ、今日は〝巫女様〟のことかね?」
「……なんで分かるんですか」
「顔に書いてあるからな」
銀縁の眼鏡をクイッと持ち上げ、詐欺師のオッチャンがニヤリと微笑んだ。
俺は「師匠ちょー怖いです」と心の中で呟きながらも、大人しく正面に正座した。視界の隅に寂しそうなシューマさんの姿が映ったものの、頑張ってスルー。
そんな、入牢四日目の朝。
本日の俺的テーマは〝巫女様〟だ。
逮捕されてからというもの、毎晩夢に出てきたのはチョコだったのに、昨日の夜は巫女様が出てきたというテキトーな理由にて。
「巫女様がめちゃめちゃ貴重な人材だってことは、シューマさんから聴いたんですけど……」
「うむ。神殿という施設は世界各地にあれど、『巫女様』がいる神殿となれば数が限られる。このリュミエール王国では王都の大神殿のみだな」
「女神様の声が聴けるって、本当ですかね?」
「〝本当〟ということにしておかなければ、この国では生きていけんぞ? そうやって『胡散臭ぇ……』なんて顔をしていると、不敬罪でまた出戻りだ」
「ハイ、信じます!」
この世界怖ぇ!
牢屋もけっこう楽しいケド、やっぱシャバがいいです!
……といった感じで、俺の社会教育も兼ねつつ講義は進む。
「女神はこの世に乱れが起こるときに神殿へ降り、巫女様に助言の言葉を与えるそうだ。しかもそれは難解な散文で、只人には理解できない。巫女様が解釈してくださって初めて、人々に有益な訓話となるわけだな」
「えーと、つまり巫女様は、女神様のメッセージを受信して『こんなこと言ってましたよー』と広報する役割がある、と」
霊能者ってだけで眉つばと思ってしまう現代っ子の俺だが、そういやあの巫女様は箒の声もしっかり聴いてくれていたなと、ひとまず納得。
「巫女様が重宝される理由は、それだけじゃないぞ。巫女様は『癒しの手』と呼ばれる治癒能力を持つんだ」
「えッ、それスゲーじゃないですか! だって魔術で怪我は治せないし」
「うむ。巫女様のお力は、『魔術』とは正反対の力ということだな。他人を攻撃することは一切できない代わりに、傷ついた人間をその手で癒すことができる。だから医者に匙を投げられた病人は、巫女様の奇跡を求めて神殿へ集うことになる。また戦争が起これば救護役として軍に駆り出される」
「はー、立派ですねぇ……」
「しかも皆可愛らしい」
「えッ」
「いや、なんでもない」
「ふーん、オッチャンは癒やし系が好みなんだー」
紫の髪の美少女を思い浮かべつつ俺がニヤニヤすると、拗ねたオッチャンに講義を打ち切られてしまった。俺はしょうがなくシューマさんの元へ。
「あの、巫女様について訊きたいんですけど」
「おお! そりゃいい質問だ!」
「まだ質問してないんですけど……」
と、かなりテキトーな感じで二時限目がスタート。
「確かに巫女様は、国民に大人気で、食いっぱぐれる心配の全くない、羨ましいお立場だけどな。巫女様になるってのは大変なんだぞ」
「へー、やっぱり試験とかあるんですか?」
「いやいや、全ては生まれつきの才能で決まるんだ。才能ってのも皮肉な言い方だがな……もし平凡な家庭に、魔術が使えないちぃとばかし不器用な女の子が生まれたとしたら、両親は心配する以上に大喜びするんだ。我が子は『女神の愛娘』として選ばれたってな」
「なるほど、それは確かに皮肉ですねぇ……普通は魔力が強い方がいいんだし」
「まあな。ただ産まれたときに、家族もある程度の覚悟はできてるんだ。巫女様ってのは、たいていは双子の女児に現れるのさ。お母さんのお腹ん中にいるとき、姉の方だけに魔力が集中して、妹は無力になっちまう。そんな妹を憐れんだ女神が与えてくれる力が『癒やしの手』ってわけだ」
そう言われて、俺は納得する。
確か盗賊のリーダーが、巫女様に『替え玉だな!』とか言って逆ギレしていた。あれは巫女様のことを双子の姉だと思ったからだろう。
しかし、あんな可愛い子がこの世に二人もいるのか……なんて不謹慎なことを考えかけ、俺は慌てて授業に集中する。
「五才になっても魔術が使えない女の子は、地域の神殿を通じて王都の大神殿に集められて、そこから厳しい巫女様教育が始まるんだ。ただし、集められた女児の中から本物の巫女様になれるのは、一万人に一人ってとこか? 国全体でも巫女様はたったの七人しかいないしなぁ」
なんだかアイドルのオーディションみたいな仕組みだ。
逆に言うと、それくらい『魔力が無い』ヤツは珍しいってことなんだろうけど。
「その巫女様教育の途中で、『実は魔力が少ないだけでした』って分かった子はどうなるんですか?」
「おお、良い質問だな。そういう女の子たちも、ポイッと放り出されるわけじゃねぇぞ。今度は巫女様を守る従者として育てられるんだ。攻撃魔術は使えなくても、生活に必要な簡易魔術くらいは覚えられるから、巫女様の傍にぴったりくっついてお世話することになる。本物の巫女様は、喉が渇いても水滴一粒出すことができねぇからな」
そこでも俺は合点した。
スミレとスイレンと呼びあっていたあの二人……単にか弱い少女だからじゃなく、攻撃魔術が使えないからこそ、あれほど盗賊たちに舐められていたのだ。
っていうか……これってかなりマズイ状況じゃね?
「シューマさん、ちょっと不謹慎な質問していいッスか?」
「おぅ、どうした? 女の悦ばせ方か?」
タバコのヤニが染みついた黄色い歯を見せてニヤニヤ笑うシューマさんに、「それは向こうの師匠に訊くから結構です」と凍てつく氷の視線を向ける。
そして、しょんぼりしたところにボソボソと内緒話を。
「もし巫女様を『誘拐』するヤツがいるとしたら、目的は何だと思います?」
「ちょ、お前なんて不謹慎なこと考えてやがる! 女神様に大事なトコもがれっぞ!」
「声大きいですって! つーか俺がヤルわけじゃないですから!」
「ハハッ、分かってるっての。……まあ、真っ先に考えられるのは『癒やし』目的だろうな。例えば盗賊のお頭が大怪我して、神殿に治癒の依頼を出すわけにもいかねぇとか、大金持ちが順番待ちを抜かしてぇとか。そんな状況なら巫女様を攫うなんて暴挙に出るかもな」
なるほど、と頷いてはみたものの、今回の事件には当てはまらない気がした。
なぜなら、場所が王都じゃないからだ。
単に『癒やし』が欲しいのであれば、王都で攫う方がよっぽど早い。わざわざこの辺境までおびき寄せるよりも……。
いや待てよ、何か変だぞ?
「そうだ、シューマさん。巫女様が王都から出てこの街に来ることって、けっこうあるんですか?」
「おお、年に一度、女神の生誕祭の時は必ず来るぞ。ついこの間終わったばかりだけどな。ちょうど銀色狼に襲われて大変だったんだよなぁ……噂によりゃ、そのときチョコ様は巨大な炎の槍を」
「チョコのことは置いといてください。もう一つ質問というか、一緒に考えて欲しいんですけど……もし巫女様が生誕祭以外の時期に、護衛もほとんどつけずにこの街へやってくるとしたら、どんな理由が考えられます?」
俺の質問があまりにも常識外れだったのか、シューマさんは眉間に縦ジワを三本も作ってうーんと腕組みした。
そして導き出した回答は。
「巫女様に護衛が少ないなんて普通はありえねぇな。そりゃたぶん〝お忍び〟だ。しかし巫女様のお忍びってのもほとんど聞いたことがねぇ。王都の外に出るなら国の許可が要るし、それを破るような跳ねっ返りはいないだろ。ってことは――〝神託〟だな」
「神託?」
「ああ、巫女様が何より優先するのは女神様の声だ。例えば、国の偉いさんに知られちゃマズイような神託を受けて、それがこの街に関わるようなもので、急がなきゃならねぇ内容だった……ってあたりか?」
「さすがですね、ありがとうございます! 何となく分かってきました」
思わずシューマさんの手を取りぶんぶん握手すると、シューマさんは眉間のシワをさらにもう一本増やして。
「っていうかヨシ坊、お前いったい何者なんだ? どう考えても盗賊の下っ端には見えねぇぞ?」
「盗賊じゃありません、ただの掃除好きなハウスキーパーですよ」
カッコ良くそう言い放ち、俺はシューマさんの傍を離れた。壁際に行き、座禅のポーズをしながら真剣に考える。
……あの巫女様を誘拐しようとした犯人は、だいたい見当がついた。シューマさんの言う通り、何か後ろ暗いことのある〝国の偉いさん〟だろう。
巫女様が受けた神託を握りつぶすために、ソイツは慌てて誘拐計画を立てた。
約束を守るかも分からない盗賊を使ったり、護衛の少女を切ろうとする乱暴なやり口からすると、相当追い詰められているに違いない。
もしそうだとしたら、一度失敗したからといって諦めるとは思えない。二の矢三の矢を用意しているはず。
つまり――巫女様が危うい。
「クソッ……あんときそれが分かってりゃ、全裸ごときで逃げたりしなかったのに」
信頼できる護衛は既に全滅している。残されたのは攻撃魔術の使えない子羊二人。
しかも敵は手段を選ばない残忍な奴だ。いくらこの街の治安が良いとはいえ、逃げ切れるとは思えない。
ただ盗賊は、巫女様を傷つけずに連れてくるよう指示されていた。
ってことは、犯人の目的は神託を握りつぶすことじゃなく、神託の内容を知ることなのか?
それなら、巫女様が中身を喋るまで身の安全は保障される。
ただし、喋った時点で価値はなくなる……。
その後は口を封じられるか、もしくは『癒やし手』として密かに飼い慣らされるか……いずれにせよ、無事で済むとは思えない。
いや、聞くことを聞いたらすんなり解放される可能性もあるのか?
国中で七人しかいない巫女様の一人が行方不明なんてことになれば、国家レベルの大問題だ。既に王都からは追っ手が来ているだろうし……。
ダメだ、不確かな条件が多すぎる。これ以上考えても意味が無い。
「一刻も早くここを出て、チョコと合流したいな。何だか嫌な予感がする……」
こういうとき、俺の直感はかなりの割合で当たる。良くも悪くも。
その後、囚人たちの中に不気味な噂が流れ始めた。
ここの地下牢にぶち込まれていた例の盗賊たちが、全員不可解な死を遂げたらしい、と。