その3 逆転の秘策
暗くて狭い袋の中、一人ビシッと宣言した後……俺は集中するべく姿勢を正した。日本人として最もしっくりくる『座禅』のポーズをとる。
そして心を空っぽにし、深くゆっくりとした呼吸を意識する。これは師匠であるチョコに教わった魔力を集めるベストな方法。
程なくして馬車が止まった。きっと夜更けになり、奴らも宿に落ちついたのだろう。
――今夜のうちに、ケリをつける。
しだいに俺は無の境地へと入っていく。チョコやルゥのことも、怒りも焦りも、夢も希望も、全ての感情が清らかな水のごとく流れ落ちる。
思い描くのは、たった一つのイメージ。
ピンと張った背筋、細くしなやかな身体、軽々とした身のこなし……。
それからどのくらいの時間が経ったのだろう。気付けば俺の頭のてっぺんが、布にぎゅうっと押しつけられていた。
いや、そうじゃない。
俺の長さが伸びたのだ。決して丸めることのできない、まっすぐな背骨が――
『箒、キタァァァァァァ――!』
興奮のあまり、百本近くに増えた手足がにょろにょろと動いた。
俺はすかさず竹筒の中の魔力をチェック。魔界にいたときとは比べ物にならないほど少ないものの、空を軽々と飛べる程度には溜まっている。
次は、より繊細な作業だ。
俺は自分の手足の中から優秀な二本を選びだし、そいつらに命じる。
『お前ら、すっげー細く長くなってくれ』
この先は俺のイメージ勝負。
前にテレビで見た、蚊の注射針ドキュメントを思い出しながら、慎重に触手を伸ばしていく。
そうして、俺の目には見えないくらい細い『針』となった手足を布の網目から通過させる。外側をもぞもぞと弄り、ジッパーっぽい突起を発見。そいつを引っ張ると……。
『ちくしょう……今夜の月はめちゃめちゃ綺麗じゃねぇか……!』
俺は思わずむせび泣きそうになった。
竹筒ビジョンにくっきりと映る、満天の星空と丸い月。俺は伸びた触手をしゅるしゅると元に戻しながら、速やかにフライトゥザムーン!
……と、その前に。
『どうせなら、多少こらしめてやってもいいよな。もう二度と最強魔術師チョコ様とその弟子に手出ししないように……』
地球にいた頃から、俺のポリシーは〝やられたことは正々堂々倍返し〟だ。そうすれば、よほど根性のねじくれたヤツ以外はつっかかってこなくなる。
まずは状況確認をするべく軽く飛び上がり、きょろきょろとあたりを見回してみた。
どうやらここは民家の庭先らしい。
明かりの消えた建物は木造平屋で、さほど裕福ではないと一目で分かる佇まいだ。玄関の引き戸が二十センチほど開きっぱなしになっていたため、不用心なその隙間から俺はぬるりと潜入。
中には〝汚らわしい人間〟が三人。
一人は家主の男、一人は御者、一人は誘拐犯だろう。
三人ともぐっすり眠りこんでいるのは、たぶん巾着袋のパワーを過信しているからだ。
しかしそれを責めるのはさすがに酷というもの。こんなの俺じゃなけりゃ脱出できる気がしねーし。チョコでも厳しいかもしれん。セバスチャンなら……考えるまでもなく瞬殺か。
『てめぇらが油断しているうちに、一番嫌なことをしてやるよ』
再び屋外に戻り、俺が運ばれていた荷馬車をチェック。幌が折り畳まれて野ざらし状態の荷台に物資はほとんどなく、奴らが移動する数日分の食糧が積んである。
ひとまずそいつを捨ててしまうことにした……馬車ごと。
四肢を折り曲げすやすやと眠る馬の背中に飛び乗り、伸ばした触手でお尻をパシンと叩く。寝ぼけていたのか、嘶くこともせずカポカポと歩き出した馬を街道へと連れ出す。そしてのんびりと一キロほど進んだ後。
『お前に罪はないけど、悪いな。ちょっとチクッとすっからな』
そう言ってタテガミを撫で撫でしつつ謝った後、鋭く尖らせた毛先を五センチくらいの長さにカットして、馬のケツにブスリ。
「――フヒヒィィィィンッ!」
超痛いんですけど――!
といった鳴き声をあげ、荷馬車は遠くへ走り去った。スマン、次は良いご主人様に拾われてくれ。
それからピュンとひとっ飛びで民家に戻り、今度はそろりと家の中へ。
じっくり中を見渡すと、まさに男やもめの貧乏農家という感じだ。広々とした土間と、六畳ほどの板の間、四畳半ほどの奥の間があるだけ。
奥に一人で眠っているのはこの家の主。素朴な農民臭漂うビジュアルは、とうてい悪人には見えない。「旅の者ですが、一晩泊めていただけませんか」とでも言われた可能性があるので、報復は勘弁してやった。
対して手前の二人は、確実に誘拐犯だ。
一人は馬に乗り続けて三十年といった風情の、やつれた中年男。そいつも頼まれて荷物を運んでいるだけかもしれないので、まあ馬車が無くなったってだけで勘弁してやる。
問題はもう一人の男。俺を捕えた刺客。
アジア系の顔立ちは年齢不詳。ただ鍛え抜かれた体躯は衣服の上からでも分かる。物音一つ立てようものなら、反射的に立ち上がり剣を振るうはず。
『まあ、今の俺はある意味〝魔物〟だから、ニンゲンごときに負ける気はしねぇけどな……窮鼠猫を噛むって言葉もあるし、ここは慎重にいかせてもらうぜ』
俺は細心の注意を払いながら、先程成功した『蚊の注射針』をヤツの胸元に這わせた。万が一異変に気づかれてもいいよう、本体の俺は土間の片隅にもたれ掛かって。
もしヤツが目覚めたとしても、触手をしゅるんと引っ込めれば問題無し。まさか敵が竹箒だとは思うまい。
慎重に遠隔操作をしながらヤツの正体を探るも……残念ながら依頼人からの手紙のような分かりやすい証拠は出て来なかった。
代わりに分厚い革財布を発見したので、それをいただいておく。
決してこれはカツアゲなんかじゃない、正義の鉄拳なのだ!
金も無く馬も無いとなれば、きっと奴らはこのあたりで立ち往生する。チョコと合流した後、人相書きでも作って国の警備兵に探させればいい。
いただいた財布を足の下に抱え込み、俺はふわふわと飛びながら民家を脱出。鴨居に竹筒ヘッドをぶつけそうになって一瞬ひやりとしたものの、無事奴らに気づかれることなく外に出られた。
仕上げは、〝呪い〟だ。
俺は竹箒のヘッドを庭にぐりぐりおしつけながら、判別できるギリギリレベルのミミズ文字を綴っていく。
『つ ぎ は こ ろ す』
これは単なる脅しじゃなく、本気の警告文。
余裕があれば今すぐ半殺しにしてやりたいところだけれど、竹箒な俺の力がどこまで通じるかも分からないし、所詮組織の末端でしかないコイツらに構っている暇は無い。
それより、一刻も早く村へ戻ってチョコを安心させてやりたい。
『よっしゃ、待ってろよ、チョコ!』
ヘッドの先についた土を伸ばした毛先でササッと払い、きちんと畳んでおいた魔法の巾着袋と財布を抱え、最後のダメ押しにと俺の排泄したアレを玄関先にぶちまけて……俺は煌めく夜空へ気分良く舞い上がった。