その1 ローブの秘密
自分で言うのもナンだが、目標ができたときの俺は強い。
地球にいたときもそうだった。先輩に課されたトレーニングのノルマは百パーセントこなしたし、刺繍屋の納期だって一度も破らなかった。母さんの夜勤が無い日には、夜遊びと見せかけて深夜公園のベンチでチクチク縫っていた。
――チョコと一緒に魔界へ行く。
そう決めた瞬間、俺たちには確かな絆が生まれた。従業員と雇い主とか、魔術の師弟というレベルを超えて。
だからこそ……チョコの指導は容赦ない。
「これだけ時間をかけて、まだまともな槍が作れないなんて……殺す」
「脅しじゃなくて、断定系ッ?」
「ただ殺すだけじゃもったいないし、ついでに素晴らしいお手本を見せてあげるわ!」
「な、な、な、な、なんじゃそりゃぁぁぁぁ!」
チョコが高く掲げたロッドの上に、土管並の太さの巨大な槍が現れた!
あれぞまさに北欧神話の神オーディンが持つという、聖なる槍グングニル!
「一回これを食らって、その身に魔術の何たるかを叩きこみなさ――い!」
「ノオォォォォォ――ッ!」
俺は風の魔術で己をフル加速し、無我夢中で湖の中にダイブした。しかしどこまでも俺を追ってくる炎の槍が、湖へと突き刺さる!
――水の中なのに真っ赤なままっておかしいだろ!
水温ぬるま湯くらいになってるし!
これ湖の生態系破壊するって!
水中でゴボゴボとツッコミを入れまくっているうちに、ようやく槍は溶けて消えた。俺は水面めがけて必死で浮上する。
そして念願の酸素を吸い込み、肺胞がキュウッと喜ぶ感覚にホッと一息つくと。
「フフフ……甘いわよ。魔界へ行くなら、この程度の槍が百発連続で打てるくらいにならなきゃね?」
悪魔なチョコが、新たな槍を持って待ちかまえていた……。
その後も命からがら逃げ回ること半日。
地平線に太陽がかかるタイミングで、チョコから「ハイ、今日の訓練おしまい!」の声がかかり、俺は仰向けで倒れ込んだ。
わずかに残された魔力をかき集め、指先からウォーターボールを出して口に含む。
「あら、少しは上達したんじゃない? あれだけ逃げ回ったのにまだ魔力残ってるなんて」
上からひょいっとこっちを覗き込むチョコは、当然ノーダメージの涼しい顔。
無駄な負けん気を発揮した俺は『パンチラ魔術』を発動。チョコのローブ&スカートを真下からの強風で捲りあげ、「きゃあ!」と言わせてからよろよろと立ち上がった。そして水をもう一口。
チョコの言う通り、確かに俺の魔力総量はアップしてきている。魔力が空っぽになっても、一分ほどじっとしていれば、コップ一杯の水くらいは出せるようになった。
だけど。
「ちくしょー、このペースじゃチョコに追いつける気がしねぇ……」
肩を落とした俺の耳に、クスッという聴き慣れた笑い声が。
「バカね。一ヶ月や二ヶ月で追いつかれたら困るわ。こっちは十年以上修行し続けてきたんだから。ね、子龍?」
『ピュイッ!』
チョコのつむじのあたりに止まり、笛のような鳴き声をあげるのは、チョコが生み出したオリジナルのドラゴンだ。
意外と凡人だった俺が魔力をコツコツあげている間に、自他共に認める天才魔術師のチョコは、手のひらサイズのミニ龍を作れるまでになっていた。そのビジュアルは、カッコイイというより可愛らしいというか、アニメっぽい感じで迫力が足りないのだが、まあそれはさておき。
問題はそいつが〝火〟の魔術で生み出されたってことで――
『パフッ!』
「うぉう!」
音も無くふわりと飛んできては、俺に向かって炎を吐き出してくるのだ!
しかしご主人様であるチョコはクスクスと笑うばかり。たぶん俺にこの悪戯をしかけろと命じているのだろう。うちの氷龍はあんなにフレンドリーだっつーのに……。
ぶつぶつ文句を言いつつ森の小道を並んで歩く。今日もくたくただし、夕食は何か滋養のあるものを……と思いながら進んでいると。
俺の直感がぴくんと反応した。
この先に、何者かの気配がする。
「……チョコ、アレは」
「ええ、分かってるわ」
チョコの館をぐるりと取り囲むこの森全体には、他人が侵入すると分かるよう『結界』が張ってある。おかげで空から落っこちてきた俺も速攻発見されたわけだが。
「どうやら完璧に壊されたっぽいわ。また張り直さなきゃね、面倒くさいったら」
いかにも不機嫌そうに唇を尖らせ、わざと大きな足音を立てながら進むチョコ。踏みしめた枯れ枝がバキボキと割れ、小柄なその身体からは仄暗い怒りのオーラが立ち上る。
俺はあらためて「初対面のとき土下座して良かった!」と実感。本気のチョコに勝てるのは、たぶんセバスチャンくらいだろう。
「今回はどこの国かしらね。アゼリア帝国ならとっくに襲いかかって来てるはずだし、西のディアスキア共和国かしら? いくら戦争貧乏だからって、私を無料で〝スカウト〟しようなんてふざけてること……まあ、ヨシキはいつも通り隠れていて。間諜じゃなく『タイマン』に来た冒険者なら、見届け人になってもらうわ」
「おぅ、いつも悪いな。俺ももうちょい強けりゃ、一緒に戦えるんだけど」
「気にしないで。後始末は頼んだから。じゃあ行ってくる」
風のように去りゆく紅いローブを眺めながら、俺は見知らぬ間諜に「ご愁傷様」と呟いた。
小さなチョコの身体には魔力も知識もぎっしり詰まっていて、それはまさに一騎当千、軍隊に匹敵するレベルなのだ。刺客ごときに負ける理由がない。
……なんて、呑気に考えていた俺は本当に甘かった。全然分かっていなかった。
どうして掃除も料理も丸っきり不得手なチョコが、〝ハウスキーパー〟も雇わず一人で暮らしていたのかを――
◆
「それ可愛いんだけど、無地ってのが寂しくね? 刺繍とかあった方がいいんじゃねぇの?」
魔女の家に来たばかりの頃、チョコに尋ねたことがある。俺の赤フンならぬ、チョコが愛用している紅いローブについて。
するとチョコはフン、と鼻先で笑って、
「バカなこと言わないで。この布はすごーーく貴重な物なの。なんてったって、魔術を完全にカットするんだから。物理攻撃も九割以上減らせるわ。撥水と防汚も完璧だから洗濯の必要も無いしね」
「じゃあ俺に貸してくれた後も、実は洗濯してな」
「――したから! ざぶざぶ洗ったから!」
若干涙目になったチョコが、鋭いツッコミならぬ裏拳を入れてくる。ちょー痛い。
「そ、それだけじゃないのよ、この布の最高なところは、持ち主の希望に合わせて伸び縮みするってこと!」
「ふーん。伸び縮みって、なんか生き物みたいだな」
「ふふっ、そうね。この子は生きてるのかもね。これを作れるのは『女神の道具屋』って言われてる一部の職人だけで、彼らは大陸の東の端の砂漠の民族だから、なかなかこっちまでは品物が入ってこないの。でも私は『歩く最終兵器』……じゃなくて、まあとにかく危険な立場だからって、わざわざ国王様から授かったのよ。本当は王城の〝防音カーテン〟として十年以上前から予約入れてたらしいわ。でも私のローブになった方が絶対活躍できるし、この子も喜んでることでしょう」
途中から話が自慢話っぽくなってしまったけれど、つまりはこういうことだ。
この布に加工をすることは一切できない。だから刺繍などできるわけがない、と。
その言葉を、今の俺は実感している。
「てめっ、ふざけんな! ここから出せやゴラァァァ!」
叫び、殴り、蹴り、爪を立て、齧りつき……あらゆることを試した結果、俺は無駄に疲れ果ててゴロンと丸くなった。
視界はどこまでも暗く、あたかも月が落ちた魔界のようだ。
柔らかくて軽くて温かくて肌触りが滑らかで……俺はそんな布の中にスッポリと包まれていた。
色は深紅ではなく、漆黒の。