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その6 天才魔術師の苦悩

 ――チョコの両親は、先の魔王のせいで死んだ。

 予想していた答えにも拘わらず、俺の胸はズクンと痛んだ。

「その日私は別の場所にいたから、事件の詳細は後から聞いたの。目撃した人曰く、突然空に〝穴〟が開いて、巨大な鳥の魔物が現れたって。お母様の遺体はその場で見つかったけれど、お父様は未だに行方知れずのまま。……だから私は、お父様は魔界に連れて行かれたんじゃないかって疑ったわ。でも手がかり一つ掴めなかった。そんなとき、カカおじさま――私がお世話になってる人が、王都の学校へ送り出してくれたの。『辛いだろうけれど、しっかり勉強して〝家〟を継ぎなさい、それが両親の望みだから』って。でも私はどうしてもそんな気になれなかった。十年間ずっと探し続けてきたの。魔界へ行く方法を」

 そこまで一息に語って、チョコはふっと表情を和らげた。言いたいことは全て言ったというように。

 それでも俺は、身じろぎ一つできなかった。何か気のきいたことを言いたかったけれど、何も思いつかなかった。

 満杯になった胃袋が、さらに重くなるような話だった。

 チョコにとって空を飛ぶことは、甘い夢なんかじゃない。魔界に行き、両親の仇を討つということだった……。

「ねぇヨシキ、あの龍は氷じゃなくても作れるのかしら? たぶん太陽に近づくと溶けてしまうわよね。でも炎や風じゃ無理だし、木や土だと重そうだし。何がいいと思う?」

「あー、ちょっと待ってくれ。一つ質問」

「なに?」

「チョコが魔界に行きたいって理由は分かった。でも実際に行けたとして、そこで何をするつもりだ?」

 なるべくゆっくりと、落ち着いた口調で問いかける。真っ直ぐにチョコを見据えて。

 チョコは予想外の質問だとでもいわんばかりに、大きく目を瞠った。ゆるゆると首を横に振り、頬へ零れたおくれ毛を耳にかけながら、消え入りそうな囁きを漏らす。

「分からない……だって、誰にもそんなこと訊かれなかった。カカおじさんも、学校の先生も、女神に仕える神官ですら、魔界があるってことを本気で信じてない。だから」

「なら俺が選択肢を考えてやる。魔界で父親を探したい? 魔物を殺して仇を討ちたい? それとも千年前の勇者みたいに――魔王を倒したい?」

 俺の言葉は、見えない刃となってチョコに突き刺さった。

 チョコは悲痛な面持ちで俺を見つめるけれど、俺は目を逸らさない。戸惑いに揺れていた瞳が、しだいに凍てつく氷の眼差しへと変わる。

「もしかして、ヨシキは」

 ――魔物の味方なの?

 そんな声が聴こえた気がした。チョコの心に根を張った、魔物への憎しみと共に。

 それでも俺は目を逸らさない。

 あそこには、俺の大事な女の子がいる。唯一の同胞であり、心の支えでもある〝妹〟が。

 もしチョコが本気で魔王を狙うなら、俺はもうチョコの傍にはいられない……。

 絡みつく視線のバトルに、俺はかろうじて勝利した。

 チョコは静かに瞼を閉じて、ふうっとため息を吐いた。固く握りしめていた手を解いて。

「さっきの質問に答えるわね。まずは一つ目。あれから十年も経つのよ、お父様が生きてる可能性は低すぎる。ただ探せるものなら探したいとは思ってる。二つ目は、まあ一匹くらいは捕えてみたいけど、あくまで研究対象としてよ。魔物に特別な恨みはないわ。あと三つ目……確かに私は千年前の勇者様に憧れてる。でも自分がそうなれるなんて思ってない。魔物という存在を生みだしたという意味で、魔王が全ての元凶だとしても――私が倒すべき敵はそっちじゃなく、アゼリア帝国よ」

「アゼリア帝国……」

 俺は頭の中に世界地図を思い浮かべた。出会ってからすぐチョコに教わった〝最低限の常識〟の一つ。

 巨大な象に似た大陸の、ちょうどお腹の真ん中あたりにリュミエール王国がある。

 その東側に接しているのがアゼリア帝国だ。今俺たちがいるこの村からわずか三十キロほど東に行けば、国境線となる大河が流れている。

 チョコは大河を指差しながら、「アゼリア帝国には絶対近づいたらダメよ」と命じた。素直な弟子モードの俺は「ハイ、行きません」と返事をし、そのまま流してしまった。

 そんな隣国の内情が、初めて語られる。

「あの国は女神信仰が薄いのよ。だから悪魔のような行為を平然とする。怪しい魔術で獣を操って、人を襲わせたりね……。私の両親は〝辺境伯〟として、アゼリア帝国の侵攻を食い止める役割を担っていたの。だからきっとあの国が魔物を呼びよせて、両親を襲うように仕掛けたんだわ。つまりこれは魔王とか魔物の問題じゃなく、人間同士の戦争なのよ」

 戦争。

 平和な日本で暮らして来た俺にとっては、それこそフィクションの話だった。

 長閑なように見えたこの村も、立派な紛争地域なのだ。そしてチョコの両親は戦死したようなもので、娘であるチョコにも定期的に『刺客』が放たれている……。

 重く沈んでいく俺のメンタルに、チョコは追い打ちをかける。淡々と、何かの報告書を読み上げるような口調で。

「私が『魔界へ行きたい』と思うのは、ただの現実逃避なのかもしれない。それでも私は知りたいの。どうして両親がそんな目に合わなきゃいけなかったのかを。魔界って何なのか、魔物って何なのか、どうしてアゼリア帝国は魔物を操れるのか、そこに〝魔王〟は関与してるのか……何も分からないままじゃ、私はここから先に進めない」

「そっか……」

 やはりチョコは夢を見ていたかったんだ。空を飛んで魔界へ行くという甘い夢を。

 夢を見ているうちは、辛過ぎる現実を忘れられるから。

 それなのに俺は、パンドラの箱を開けてしまった……。

「でも私は成人になったから、もう逃げてはいられない。今は国境警備を兼ねてこの村で暮らしてるの。正式に〝辺境伯〟を継げば戦線にも立つわ。そしてたくさんの人や獣の命を奪うことになる。大事な人を守るためだって思っても、やっぱり……怖いの。どんな理由があっても、命を奪う者は女神に厭われる。私はきっといつか報いを受ける……」

 伏せられた長い睫毛の先から、ぽたりと涙の雫が落ちた。チョコは嗚咽一つ立てず、ただ静かに透明な涙を零し続ける。

 ようやく俺は、チョコの抱えている重荷の全てを理解した。

 今のチョコは、子どものように泣きじゃくることさえ許されないのだ。

 村人たちの笑顔は、自分を守ってくれる〝戦士〟への信頼の証であり、チョコという一人の女の子に向けるものではなかった。たぶんこの村だけじゃなく、国中の人々がチョコをそういう目で見ているのだろう。

 この国の未来が、チョコの肩にかかっている。わずか十六歳の女の子に。

 いくらスゲー魔術師だからって……そんなのあんまりだ。

「泣くなよ、チョコ」

 俺は腕を伸ばして、頭をくしゃっと撫でた。

「今までよく頑張ったな。お前偉いよ。もし俺ならとっくに逃げ出してる」

 上手い言い方なんて全然分からなかった。ただ思いつく限りの労わりの言葉と共に、グリグリと頭を撫で回す。

 あからさまな子ども扱いにも拘わらず、チョコは文句を言わない。黙って俺の手のひらを受けとめる。スンッと鼻をすすり、唇を強く噛み締めて、漏れかける嗚咽を堪えながら。

 そんなチョコに、俺がしてやれることは――

「けどさ、弱気になるなんて、お前らしくないだろ?」

「ヨシキ……」

 頭を撫でていた手を柔らかな頬に移し、透明な雫を乱暴に拭い去る。そしてテーブルの上に置かれたチョコの手をギュッと握りしめる。地球流のシェイクハンドで。

 煌めく宝石の瞳が、驚愕と共に見開かれる。俺はその瞳を真っ直ぐ見つめながら、ハッキリと告げた。

 追い詰められたチョコの心を解き放つ、魔法の言葉を。

「俺が連れてってやる……いや、そうじゃねぇな。俺と一緒に行こう――魔界へ!」

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