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第九話  夢

 乾いた土地。実りの少ない畑。隙間風の入る粗末な小屋で何人もが寝起きしていた。丸一日働いても、塩気の足りないスープには野菜屑すら入っていないのが当たり前だった。

 そんな貧しい食卓にある日突然ご馳走が所狭しと並んだ。パンに鶏肉、チーズも二種類あった。肉厚な鶏肉は脂も汁気もたっぷりで、納屋にいる痩せた家禽を潰した時と違って旨かった。

 夢中で食べた。こんなにたくさん食べたのは生まれて初めてだった。腹一杯で寝床の隅へ潜り込んだ。次に目を開けた時はとうに夜が明けていた。寝坊したと急いで起き出すと、怒鳴られるどころか川で身体を洗って家にいろと言われた。


 不思議に思いながらも言い付けに従った。髪が乾く頃に知らない男がやって来て、重そうな小袋を食卓に置いた。男は手を引いて出て行こうとした。

 訳が分からずにいると肩を強く掴まれて痛かった。振り返って助けを求めても無駄だった。どんなに叫んでも声は届かず、箱のような馬車の荷台に閉じ込められた。どのくらい経ったのか、どこへ連れて来られたのか。揺れる馬車が止まった時には泣き疲れて眠っていた。


 どこかの街の大きな建物の裏口で降ろされ、これからはここで寝起きして働けと、そうすれば食べさせてやると言われて従うしかなかった。

 その宿で雑用をする日々がしばらく続いた。始めは勝手が分からずによく殴られたが、すぐに慣れて痛い思いをする事は減った。

 一日二回の食事は一切れのパンとチーズ、肉や魚の味がするこってりした汁物が椀に一杯だった。満腹にはならなかったが飢える事は無くなった。おかげで骨と皮ばかりだった身体にも肉が付いて背が伸びた。


 二度目の春を迎えた頃、仕事中に誰かの視線を感じた。その翌日に使用人頭に声を掛けられて、掃除の行き届いた部屋へ連れて行かれた。偉そうな男女にじろじろと見られて居心地が悪かった。二人が頷くと、今度は奥の風呂で身体を洗われた。

 新品の服を着せられた後、小部屋へ閉じ込められた。寝台が一つ置いてあるだけのそこは、暗くてじめじめしていてとても嫌な感じがした。

 そして再び開いた扉から、高そうな身成りをした太った男が入って来た――――。



―― ◇ ――



 しっとりした柔らかい寝床で少年は目を覚ました。小さな陽射しの欠片がたくさん天井から漏れていて眩しく、しかも暑い。顔に当たる濡れたモノは生暖かくて鬱陶しかった。

「――――気が付いたか?」

 隣からした男の声に驚いて少年は飛び起きた。額に乗っていた布が膝に落ちる。すぐさま上下が逆さになったような不快感に襲われた。


「気分が悪いなら無理せず横になっていろ。水を飲むか?」

 首を横に振ってから後悔したが遅かった。両手をついてぐるぐる回る頭を動かさないようにしながら、やっとの事で口から言葉を押し出した。

「……いらない」

 粟立つ肌を冷や汗が流れ落ちる。嫌な夢を見たせいか、腹の中に生焼けの冷たい肉の塊があるようだった。


「薬だと思ってこれを食え。吐き出さずに絶対に飲み込むんだ」

 小さな木の実を見せ、それを一粒シメオンの口に含ませた。少年が舌で押し潰すと果汁が口腔内に飛び散る。酷い渋味の元を吐き出すのを必死にこらえた。唐突に取って代わった濃い甘味に驚きながら嚥下する。甘さはすっきりとしていてくどさは無く、後には爽やかな酸味と香りが残った。


「手を貸すから横になれ」

 力強い腕が少年の肩と首を支えて横たえさせた。落ちた布の土を払い、改めて水筒の水で湿らせるとシメオンの額に乗せた。

 ひんやりした感触にほっとして緊張を解くと少し気分が良くなった。意識してゆっくりと呼吸すると、頭と一緒に引っくり返った胃も徐々に静まって来る。




 天井だと思っていたのは濃緑色の葉を沢山付けた木の枝だった。折り重なった枝葉が屋根のように夏の陽光を遮っていた。少しずつ自分と周りについて思い出して来る。

 ここはテスの山の巫女の縄張り。そしてそばにいる無駄の無い身体つきをした黒い男――――髪も服も黒く肌も日に焼けている――――の名はテン。久しぶりに自分を人として扱ってくれた相手。

 シメオンは大樹から少し離れた石碑近くの地面に寝かされていた。木陰を通り抜ける風は涼しかった。


 隣に座るテンはいつもの時間潰しをしているようだ。黒いズボンに白っぽい木屑が散らばっている。少年の元を訪れた際も、手元が明るければナイフで木切れを削っていた。

 うるさく構う事も無く、かと言って放り出さず。適度に距離を置き、馴れ馴れしく身体に触れようとしないのも少年には気が楽だった。

 しかし今は、どう接するかを迷っているのが伝わって来る。せっかくのちゃんとした話し相手なのだ。テンとぎくしゃくしてしまうのを恐れた少年は、不安と疑問をいつもより控えめに口にする。


「オレ、ねてるあいだになにか言ってた?」

「……話せるくらい気分が良くなったんだな」

 木彫りの手を止めたテンは少年の質問には答えなかった。

「なにを言ったか教えてよ」

 ややあってから眉根を寄せ、顔をしかめたテンがぽつりと答えた。

「苦しそうにうなされてうわ言を漏らしていた。……それだけだ」

 身体を起こすとテンが手を貸してくれたが、肩を掴む手の躊躇いは見逃さなかった。あれこれ尋ねないテンに心の中で感謝した。


「……さっき食べた実は甘かったか?」

「よくうれてたみたいですごくうまかったよ。しぶかったのは皮かな」

 テンなりに気を使っているのだろうと察した少年も、それ以上自分の寝言について聞くのを止めた。

 渡された木の実を再び口に放り込む。めまいと吐き気は殆ど治まっていたから、甘い木の実は大歓迎だった。

「これははずれかな。さっきのがずっと甘かった」


「そうか。なら良かった」

 未熟な木の実を食べたのを皮肉っているのかと、少年はまじまじと隣を見た。テンの笑みは少し強張っていた。

「ルルの実は食べた者の体調によって味が変わる。最初は不味くて後で甘くなったら、体内の恵みの力がおかしいんだ。味が薄いと感じるなら治ってきた証拠だ。喉が渇いた時に飲む水が特に美味いのと似たようなものだ」

 シメオンは実を付けた小枝を感心して眺めた。そしてそれが先ほど石碑に置かれたものだと気付き、供え物をくすねたのかと目をしばたかせる。


「あの……、これ……、オレが食べちゃっても?」

「お前はサヤナに気に入られた。食べても彼女は怒らないだろうさ」

 聞き覚えのある名前だった。確かテス族の一人だったはずだ。

「サヤナってすごくむかしの人だろ? とっくにくたば――――、死んでるんじゃ……」

「そうだ。サヤナはもう生きてはいない。とっくに亡くなっている」

 跪いて祈っていたかと思えば、それに対しての不遜な発言も意に介さない。苦笑するだけで聞き流すテンは変わり者なのかも知れない。

「なのに『気に入られた』の?」


「お前が気を失ったのは、たぶん巫女の樹に感応したせいだ」

「カンノー?」

「ええと……、お前の心と樹の心が繋がったと言えば分かるか?」

 額に手を当てて苦労しながら説明するテンに、少年は呆れたようだった。

「樹に心があるっての? そんなのヘンだよ」

「俺たち人間が気付けないだけで、生き物はもちろん、山や土地にも心はあるぞ。だから、代々の巫女はあの樹のあるここを縄張りにする。あの大樹の根元にはサヤナの一部が埋められていて――――」


 『一部』と聞いて少年は嫌なモノを想像した。慌てたテンは顔を歪めたシメオンの誤解を解こうと必死だ。

「――――違う! 髪だ。遺髪を一房残したんだ! サヤナの遺体はちゃんと東ガラットの聖地に葬られている。それでもこの地を愛した彼女の想いは、あの樹を中心にした縄張りに強く残っていると言われている」

「……ねえ、ここってとくべつな場所なんだよね。どうしてそんなだいじな場所にオレをつれて来たりしたんだよ」


「豊かで美しい森をお前に見せてやりたかった。それともう一つ、今の東ガラットに巫女はいない。つまり、主不在のここには誰も入って来ないから、隠れるには丁度良いんだ」

 にやりと笑う顔は悪戯を企んでいる子供のようだった。自分とそれほど年が変わらないのに、特異な能力で金を稼ぎ立派に自活している。大人の世界にいるテンが羨ましかった。やっかみ混じりに口を尖らせてぶつぶつと漏らした。

「じゃあ、ずっとここにいるほうが良いんじゃないか」 

「それは駄目だ。しょっちゅう人の手が入るとルルが実らなくなってしまう」


 種子を含んだ果実は、もともと強い生命力を内包している。鳥や獣、人に食べられる事無く結実し、更に強い祝福まで宿したそれを体内に取り込むのは自然と同化するに等しい。聖地や巫女の縄張りのように山の霊気が強い土地でも、恵みの力をたっぷりと貯め込んだ特別な実は滅多にらないのだそうだ。

 見付かったルルは〈自然〉が人の姿を取った者――――巫女が管理し、祭事には彼女の身を飾り、また、食される。

 巫女だけのご馳走かと思ったがそうでもないようだ。自然の代弁者である巫女から、それを分け与えられる行為そのものがテスの民にとって大事らしい。


 いつもの手順になった問い掛けの視線にテンは丁寧に答える。

「決まった種類はないから色々な〈祝福ルル〉の実があるぞ。さっき縄張りへ捧げたルルをお前に食べさせたのは、巫女の力に当てられて気分が悪くなったのなら、使っても構わないと思ったからだ。そうだな……、お前の中に入り込んだサヤナを追い出すのに、自然の力を借りたと考えればいい」

 一応頷いては見たものの、分かったような分からないような説明だった。しかし、ルルの実のおかげで気分が良くなったのは間違いなさそうだ。

 

 シメオンの腹が健康的な音を立てた。両手で押さえたのに訴えは止まず、空腹を自覚するとひもじさに拍車が掛かった。食べ物の話をしていたせいで余計に腹が減った気もするが、寝ている間に正午近くになっていたようだ。取っておいた昨日の差し入れを食べても良さそうな頃合いだろう。

 いそいそと食料の包みを開けると、テンも腰の後ろの革小箱ポーチの一つに手を伸ばした。そこは干し肉をしまっているポーチだったが、別の物がこぼれ落ちた。


 折り畳んだ羊皮紙の切れ端に何か書いてある。手紙のようだ。気付かずに干し肉を噛み千切るテンに少年がそれを差し出した。

「はい、これ。おとしたよ」

 さっとテンの顔色が変わった。小片を握り締めて元の場所にしまい込むと、シメオンを探るようにめつけた。

「…………見たのか?」

「見てないよ」

「本当か!?」


 今まで自分を心配してくれているとばかり思っていたのに、手の平を返したように態度を変え、責められる理由が少年には分からなかった。

「ちらっと見えたけどなにが書いてあるかまでは知らないよ! ……なんだよ、見られたくないなら持って来なきゃいいじゃないか!」

「昨日受け取ってそのまま忘れていたんだ。好きで持って来た訳じゃない!」


 こいつも他の奴らと同じだったのかと、親切心で手紙を拾った少年は傷付いた。唇を固く引き結んで顔を背ける。

 しばらく続いた重苦しい沈黙を破ったのはテンだった。

「……本当に読んでいないのか?」

「そんなにシンパイしなくても大丈夫だよ。…………オレ、字がよめないから」


「! 親か誰かに教わらなかったのか?」

 テンが目をみはって驚きの声を上げる。少年は目の前の柔らかい地面をならすと、たどたどしく指で数字を書いた。

「…………そんなのいない。でも、数は分かるし計算はとくいだからヘイキさ」

「そう……、か……。その…………、疑って悪かった。お前の言葉を信じよう」

「…………いいよ、別に――――」


 テンが干し肉の欠片を口に放り込んでしがみ始める。少年は膝にあった布包みを二人の間に置いた。二つしかない包み焼きの一つと炙り肉の切り落とし、迎えが来る前に集めておいた野草の半分をテンの方へ押しやった。

「干し肉とこうかんしてよ。シカ肉が好きなんだ」

 テンもシメオンに倣って干し肉を布の上に置いた。邪魔にならないよう少量しか携帯しないのでそれで全部だった。

「明日もっと持って来る」

 少年が乾燥肉に噛り付いた。ゆっくりと咀嚼すると、唾液を吸って柔らかくなった赤茶色の平たい肉は、塩気と旨味で口腔内を満たした。


 俯いたまま顔が上げられなかった。『信じる』と言われるなんて夢にも思わなかった。

 とても……、とても嬉しかった。

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