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第八話  大樹

 自身の言葉通りテンは夜明けと時を同じくしてシメオンの元へ現れた。陽が昇る前から辺りは明るかったので、少年もとうに目が覚めていた。テンの後について沢までの道のりを「普通」に走り抜けた。

 山道と同じで水の流れもまた曲がりくねっていた。二人は女たちが集まって洗濯をしている場所よりもずっと上流へ遡った。沢幅も深さも一定では無いので、幅の狭まった頃合いの浅瀬を歩いて渡った。


 確かに巫女の縄張りは様相が違う。勾配が急になった他に、そこには『村』の入り口で見た森に似た空気があった。

 しかし、思いを巡らせる余裕はすぐに無くなった。


「少し休もう」

 そう言われたシメオンは、恥も外聞も無くその場に座り込んだ。彼の全財産が詰まった袖無しの上着は腰紐で括って背負っていた。身体全体で息をする少年と違って、テンは立ったまま数回深呼吸しただけである。

 汗だくなのは同じなのにと少年は悔しく思った。革袋に口を付け、美味そうに水を飲むテンを苦々しい思いで見上げる。沢を渡ってから一刻(一時間)歩いただけだった。少年は一定の速さで歩き続ける背中を必死に追った。


 油臭い自身の水筒から水をたんまり飲んだ少年は、ぷはあと大きく息を吐いた。すぐ横の小さな花に目を留める。地べたを這うように広がる緑の絨毯に、親指の爪くらいの薄桃色の花が点々と咲いていた。

 きれいだな、と思いながら指で突付く。

「花を見る余裕があるとは大したものだ」

 どうやら口に出していたらしいと思うとばつが悪い。それを誤魔化すためにテンに尋ねた。


「シカは見られそう? もっと歩かないとダメかな」

「調べて来る。ここを動くな」

 軽く膝を曲げた後、テンの姿が消えた。すぐに視線を上げる。高い枝へ跳んだテンの背中は、あっという間に木立ちに紛れて見えなくなった。始めてそれ――――『樹渡り』を見た時は心底驚いたが、狩り人とやらがそういうものだと今は知っていた。




 どうやるのかと質問攻めにすると、説明に詰まったテンは実際にやって見せた。シメオンよりもずっと背の高いテン二人分の高さ。その枝へひょいと、手も使わず助走も無しでテンは飛び乗った。数歩先へ足を伸ばすような自然な仕草だった。

 そして地上を走るのと変わらぬ調子で枝から枝へと飛び移る。その度に少年は「おお!」「すげえっ!」と歓声を上げた。少年を中心に何周かした後、元の場所へ下りたテンが立ち上がる前に少年は新たな疑問をぶつけた。


「それも狩り人の能力チカラってやつ? まるで人間じゃないみたいだ!」

 褒められたのかけなされたのか、複雑な表情でテンは言葉を継いだ。

「樹渡りはお前でもすぐに出来ると思うぞ」

「へ? なんで?」

「俺が捕まえようとした時に幹を使って走ったろう。あれは若衆が……、狩り人見習いがやる樹渡りの修練の一つなんだ」

 早速木に登って樹渡りを試そうとするシメオンを、修練にも順番があるとテンは止めた。




「――――近くにシカの姿はない。足跡や糞までは調べていないから、遭えるかどうかはお前の運次第だ」

 いつの間にか戻っていたテンが少年を見下ろしていた。汗を手で拭って雫を振り切っている。

「もう少しだけ奥へ行ってそこで日暮れまで時間を潰す。動けるか?」

 シメオンは返事の代わりに黙って立ち上がった。


 更に半刻ほど森を進んだ。柔らかく湿った土は歩き難く足を取られた。少年が遅れるとテンはその場で待っており、追い付くと再び前を歩く。やがて、辺りを払う雰囲気の大樹の傍でテンは止まった。

「よく付いて来たな。歩くのは終わりだ」

「朝っぱらから……、いい運動になった……よ」

 ぜいぜいと荒い息をつきながら精一杯の皮肉を言うシメオンへ、テンは自身の水筒を放った。日陰で寝転がっていた少年はだるそうに起き上がった。二つ分の革袋の水で喉を潤し、残りを顔に掛けてやっと人心地がついた。


 大樹から少し離れたところにしゃがみ込み、何かをしていたテンがシメオンを身振りで呼んだ。

「暫く居るから疲れたなら昼寝しても構わないが、その前に挨拶しておけ」

「アイサツって、だれにすんだよ」

 テンは長い指で地面を示す。

「山に……、巫女の縄張りのここに、だ」

 テンの前の地面には一抱えはありそうな岩が埋め込まれていた。表面は平らに削られて文字が刻まれている。その時、岩の上にはらはらと葉が舞い落ちた。


 テンはつまんだ葉を脇に捨てた。両膝をついて黙々と同じ事を繰り返す。傍らには取り除けた葉や枝が小山を築いていた。

 岩――――碑文――――の掃除を終えると、腰のポーチから小枝を取り出す。小指の爪くらいの赤黒い実が幾つも付いた枝を石碑の端にそっと乗せた。

 下を向いているだけで目を閉じてはいないが、供え物をし、膝をついたテンは祈っているようにしか見えなかった。


「……どうやるの?」

「ん?」

「どうやってあいさつすればいいの?」

 少年は戸惑っていた。今までの立ち居振る舞いからは、ひざまずいたテンの姿など全く想像がつかなかった。そのテンが何に敬意を払っているのか知りたかった。

 村人には当たり前の事だとしても、たまたま立ち寄っただけの自分には分からない。教えてもらうしかなかった。同じようにするのかと思ったがそうでもないらしい。膝の土を払ったテンが大樹へ近付く。


「これがこの縄張りの主、巫女の樹だ。好きなように挨拶すれば良い」

「好きなようにって言われても、よくわかんないよ……」

 幹に手を当て、大きく広がった枝を見上げたテンは嬉しそうに見えた。少年も真似をして同じようにしてみる。

「声に出しても良いし、心の中で呼び掛けても構わない。お前はテスの者じゃ無いんだ。仕来しきたりを気にする必要は無いさ。今日一日ここに居る許しと、……そうだな。シカに遭わせてくれるよう頼んでみたらどうだ」

 自分が何人居ればこの木を囲めるのだろうか。大人の男が三人なら両手を繋いで輪が作れるか。などと考えながら太い幹を上へ辿る。幾重にも重なった枝葉が濃緑色の屋根になって夏の陽射しを遮っていた。ずっと見ていると首が痛くなりそうだ。


 樹皮は意外に滑らかだった。ひんやりした表面から何かが伝わって来るような気さえする。これがテンの言っていた〈恵み〉――――生命の力なのだろうか。不思議な感覚だった。

 目を閉じて手の平から染み込む感覚に意識を向けると、少年の胸が暖かくなった。ずっと以前に思い出すのを止めたもので自分が満たされた。それは心だけでなく身体中へ徐々に広がった。


「シメオン!」


 誰かが遠くで呼んでいるのが聞こえたが、少年は返事をする事が出来なかった。

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