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第六話  密談

差別的内容が含まれています。そういった言葉に過敏に反応する方は閲覧をご遠慮ください。

「長く待たせて済まなかった。さあ、入ってくれ」

 やっと仕事に区切りを付けた部屋の主が、ずっと外で待っていた者を中へ招き入れた。

「急に時間を作ってくれと言ったのはこっちだ。今日中に会えて良かった」

 皮肉ではなく単に事実を述べただけである。明日にしてくれと断るガリに、幾らでも待つと面会をごり押ししたのはテンの方だったのだから。


「麗しきサヤナの末裔にしてこの地のあるじ。偉大なる名を継ぐ我、ガリ=テスにどんな用かな弟よ」

「…………疲れているかと思ったが、人をからかう元気は残っているようだな」

 さほど広くはない部屋の中央に立ち、大仰な仕草と物言いで高らかに宣言するガリ。蝋燭の灯りに明るい金の髪を煌めかせ、芝居小屋の役者のように振る舞うガリに、眉根を寄せたテンが呟く。

「以前は『弟』と呼べば喜んでいたのに、こんなに可愛げが無くなってしまうとは……。おお、何と嘆かわしい!」

「それは十年以上昔の話だろう! いつまでも子供の頃と同じなものかっ」


 けらけらと笑ったガリは普段の口調に戻した。

「狩りの組衆とは上手くやってるようだな。カクとタカと、……もう一人と四人組だったか」

「俺と一緒に『止め』をしているのはヤスだ。あの兄弟は『横手』をしているが、『囮』も出来るし、どの役割を任せても問題は無いな」

 飾り模様が施された一枚板の扉を閉めれば、中にいるのは二人だけである。仕事が小山になった机の端に行儀悪く並んで腰を掛け、ガリは歳相応の青年らしい態度で幼馴染みと話していた。明るい表情は腹蔵のない会話を歓迎し楽しんでいる証拠だった。




 始祖テスは晩年、ドルディア自治領を自らの五人の子に分割統治させた。東ガラットは唯一の女子、巫女サヤナが根を下ろした土地である。

 サヤナ=テスの血統のおさにして分割自治区東ガラット領の王。そこに住まう為政者一族の最後の一人。部族の名〈テス〉で呼ばれる存在。それがガリだった。


 共同の施設が集まった一帯を『村』と呼び、東ガラット領の行政の中心としている。ここは村の広場を挟んで門の正面にある石造りの建物の中である。役所の最も奥まった一室が〈テス〉の執務室として使われていた。

 どっしりした木製の机上では、皮や紙の束、木片などが木箱に分けられていた。全てガリの決済が必要な書類や通行手形の類である。

 出来るだけ振るい落として他へ回しているが、それでも領主が目を通す案件が山となって届く。数日後には街へ出向くので、それまでに村の仕事を出来るだけ片付けておかねばならない。


 マリダポールも東ガラット領なのでテスの管理下にある。領主の代理として執政官という役職を常駐させ、街での仕事の殆どを任せていた。それでも領主本人が目を通して決定しなければならない事は尽きなかった。


 『領主』という割りにガリが身に着けているのは、隣に座るテンと同じ麻のシャツとズボンに革の靴。大きな違いは鉈や革小箱ポーチを着けたベルトを腰に巻いていないのと、服の生地が比較的新しいというだけだった。

 襟や裾に刺繍を施した上衣は「暑い」という理由で横の予備卓に放り出してある。



 

「お前に見下ろされるようになって随分経つな。もう背は伸びていないのか?」

「大分前に止まった……、と思う」

「ふむ……。ちょっと服を脱いで身体を見せてみろ」

 シャツの裾をまくられたテンはガリの手を払った。しかし、何事も無かったようにガリは再度服の裾を引く。「やめろ」とまたもその手を払うテン。

 幾度かそれが繰り返され、結局テンが根負けした。露骨に嫌な顔をしながらシャツを脱いで上半身を晒す。


 若き領主は突然舞い込んだ幸運を密かに〈自然〉に感謝していた。若衆に入ってからのテンと個人的に話す機会は殆ど無かったのだ。

 若衆を出る時に新しい狩り組を作り、そこで頭をしているテンは、ガリよりも三つ年下の一六歳。青年期へと移りつつある細身の若い肉体は、窓を開け放していても蒸し暑い室内で軽く汗ばんでいた。


 拳を握った腕の動きに合わせて、肌の下で筋肉の束がうねる。ズボンの上から手を当てて足も力を入れさせてみる。最後にテンの全身にくまなく目をやったガリは満足そうに頷いた。

 若衆に入ったテンは始めはゆっくりと、ある時唐突に背が伸び出した。成長に伴って食事量が増えても肉付きが追い付かず、一時的に骨と皮のような体型になったのだ。未だ筋肉が層が細めなのも問題は無い。

 狩り場に出るようになって一年でこれなら順調だ。数年後――――二十歳はたちくらいにはもっと逞しくなっているだろう。

 肉体からだの検分を終えたガリが率直な意見と賞賛を伝える。シャツを被り直したテンは「そうか」とだけ答えた。


 「ああ」「そうだな」と段々と口数が減り、とうとう下を向いて黙ったテンに、ガリは心中で苦笑した。

 夕方になってから急に会いたいと役所を訪れ、陽が落ちた後も更に数刻(数時間)待たされたというのに、何を迷っているのか。

 細かい表情や仕草から相手の心情を読み取るのもガリの職分だ。領主は東ガラットの裁判官として揉め事の仲裁もするのだから当然である。


「一体どうした? 遠慮せずに話してみろ。その為にずっと待っていたんだろう」

 それでもテンは躊躇っていた。ガリは領主として最初に身に着けた、相手を力づける表情をして見せる。いつものように努力しなくても、テンが相手なら自然にそうなった。

 身体の検分などと若衆並みの扱いをしたのに、大人しくからかわれていたのは大事な用があるからだろう。

 お前の力になりたい。俺に出来る事なら何でもしてやる。だから話してくれ!


 心の声が聞こえたようにテンが口を開いた。聞き進むうちにガリは片眉を上げて驚きを示した。しかし、口元の笑みは絶やさずに、不快ではないとも伝える。テンは時折こちらの表情を確かめている。

 言葉を選んで止まりがちになるので、先を促すのも兼ねて質問をしながら話を引き出した。最後にガリが大きく頷くと、緊張で強張っていたテンの表情が緩んだ。


「ふむ……、〈恵み〉の力を使える子供か……。すぐに街で調べさせよう。手紙を書くから少し待ってくれ」

「すまない。本当はこんな風に頼りたくは無かったんだ……」

 悔しそうなテンに「気にするな」と言いつつ、頭の中ではマリダポールの執政官へ指示する内容を整理し、手は机上に埋もれたペンやインクを用意する。

「子供の身元を調べるのはお前には無理だろう。盗みや村へ忍び込んだ件についても、密猟者の一味かどうかの判断も組頭の裁量を超えている。だが、王国風に『シメオン』と名乗ったのなら、お前の言う通り逃亡奴隷の可能性が高いな」




 ドルディア自治領と堺を接する『王国』では、金銭で売買される奴隷が黙認されている。親が口減らしのために売る他に、元手の掛からないやり方をする、いわゆる人攫いも多かった。

 そうした者たちが何かの拍子に足枷や鎖から逃れて国境を超える。奴隷制度を認めていない自治領こちらへ逃げて来るのだ。市井に紛れてしまえば、裏町で慎ましく生きるのはそう難しくはない。

 保護を求めて役所の門戸を叩くだけの知恵があれば、審査の後に自由民として認められる場合もある。


 流れ者の能力者は諸刃の剣と同じだ。特殊な能力を正しく使うよう心身を訓練すれば、自治領の治安を守る兵士になる。

 しかし、敵対するとこれほど厄介な相手は居ない。逃亡奴隷が自由と引き換えに密猟者の言いなりになる事例も多かった。

 善悪の価値観がずれていても幼いうちなら矯正出来る。残念ながら〈祝福〉が『歪んで』しまって狩り人になれなくとも、健康な男子なら農村へ里子に出すのも容易だった。犯罪に手を染めずとも真っ当に働いて生きていけるのだ。


「王国で俗に言う『先祖返り』なら、保護するのに異論は無い。……それより、急に子供の世話をしようなんてどうした。養子にして跡継ぎが欲しいという年齢としでもあるまいし」

「もしかしたら、親かそれに代わる者が探しているかもしれないだろう。誰かが待っているのなら……、帰れる所があるのなら、帰してやりたいと思っただけだ」


 再度からかったのを後悔したガリが口をつぐむと、その隙にテンが立ち上がった。

「忙しいのにわずらわせてすまなかった。とりあえず、失せ人の届けが出ているかどうかは調べてやってくれ」

「……久しぶりなのにもう帰るつもりか。飯を食ってる間の話し相手くらい――――」

「個人的な頼みはこれきりだ。もう、こうやって話をする事は無い」

 背を向けたままのテンにガリはほがらかに告げた。

「それはおかしいな……。お前はこれから毎日ここに顔を出すのに」

「!?」

 部屋を出ようとしていたテンが驚いて振り返る。


「その子供がかろうじて気を許しているのは、たぶんお前だけだ。食事を運ぶついでに様子を見に行くんだろう? 狩りについて当たり障りの無い事を教えて、向こうからも話を聞き出してくれ。生まれた土地、立ち寄った町や村、身元の手掛かりになりそうな事なら何でも!」

 胸の前で腕を組んだガリは、一見するとのんびり言葉を継いでいる。しかし、絶妙の呼吸と間合いでテンに口を挟む暇を与えない。

「組頭殿の代わりに領主様が直々に足をお運びになられましても、領主様と面識をお持ちでないシメオン殿は何もお話しくださらないと存じます」


 馬鹿丁寧な言葉を羅列し、最後に片目をつぶって見せると、テンは不満そうに横を向いた。

 拗ねる時の顔は昔と同じか。しかし、今回は折れてもらう。

「そういう事だからお前が毎日報告に来い。ああ、帰り掛けに、街への早飛脚を引き受けてくれる狩り人を頼んでここへ寄越してくれ。換金所のアシュトンに領主おれからの依頼だと伝えるのを忘れるなよ。気を付けて帰れ。それじゃあまた明日」

 勝手に決めてしまうと、広い机の僅かな隙間で執政官への手紙を書き始める。何か言いたげだったテンも「分かった」と渋々頷いて執務室を後にした。




 独り残って、書き取りの手本のように整った文字をしたためていたガリの手がふと止まる。そこは少年の特徴を記した一文だった。

 『黒髪で背が小さく、痩せた十歳前後の男子』

 くだんの少年の容姿を改めて想像する。ガリの脳裏に浮かぶのは『弟』と呼んだ幼馴染みのかつての姿だった。

 差し伸べられる事の無かった救いの手。暖かい言葉。テンが本当に弟だったならと何度思ったか知れない。

 過去に得られなかったものを、昔の自分と重なる少年に与えようとしているのか?

 重く長い溜め息がガリの口から漏れた。


 その時、控え目に扉を叩く音がガリの物思いを妨げた。やって来た男衆二人を中で待たせてさらさらと手紙を書き終えた。封蝋をして革の覆いにしまった書類と伝令用の木札、仕事の報酬とは別に少々の心付けも添えて送り出す。

「返事を持ち帰る必要は無いが、必ず執政官補佐のオズバルドに手渡してくれ。役所裏の官舎住まいだから門衛に部屋まで案内させろ。寝ていたら叩き起こして構わない」

 彼ら狩り人は荷馬車で三日の道程を半日足らずで走り切る。夜半に起こされるオズバルドには悪いと思うが、彼はとても優秀なのだ。自分の依頼を遂行すべく全力を尽くしてくれるはずだ。




 再び訪れた静寂の中でガリの心は過去へ飛ぶ。

 生まれた時からテンは周囲に疎まれていた。いや、その存在自体を否定されたと言うべきか。

 父なし子。私生児。投げ付けられる侮蔑の眼差し。心を切り裂く刃のような言葉。責められるべきは父親について沈黙を通し、そのまま逝ったテンの母親ではないのか。

 結果として遺されたたテンに全ての避難が集中した。唯一の身寄りを失くし、行き場の無い孤児みなしごは領主の館に引き取られた。若衆として寮に入るまでの数年間、ガリとテンは同じ屋根の下で暮らした。


 父親が分からないのはテンのせいじゃない。

 先代のテスだった自分の父や、同じ年頃の遊び友達。言葉を尽くして庇った分だけ風当たりは強くなり、テンは余計に心を閉ざして行った。

 やり場の無い怒りを抱えて不機嫌に黙り込む幼馴染みに、何もしてやれなかった無力な自分。




 でも、今は違う。

 そう、今のガリには権力ちからがある。自分まで避ける理由を問い詰め、「恥さらしはお前のそばにいないほうが良い」と言われて絶句したあの頃とは違うのだ。

 他人との関わりを避けていたテンが気に掛けた存在。狩り人になれるかどうかは『シメオン』の気持ちと素質次第だが、家庭を与えるのがテンの望みなら、領主の肝入りで里親を探してやれる。

 遠ざかっていたテンが自ら歩み寄って来た。この機会を逃してはならない。

 弟と呼んだ友を取り戻せるのなら、ガリは何でもするつもりだった。

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