第四話 禁
それはまるで、御伽噺に出てくる魔法のようだった。男――――テンを見上げる少年の顔がぱっと輝いた。
「狩り!? アンタ狩りをすんの! ねえねえ、テスの狩りはユーソーでアッカンなんだろ。どういう風にやるの!?」
「あ……、いや……、それよりお前について――――」
「いいじゃん、教えてよ! 頭ってコトはアンタはエラいんだろ!?」
「俺は幾つもある狩り組の一つで頭をやっているだけで、別に偉くは無――――」
「ええっ!? そんなにたくさん狩りをできるヤツがいるの! それにユミとかワナとか使うんじゃないの? どうやるのか見せてよ!」
目をきらきらさせ、好奇心に駆られて矢継ぎ早に質問する少年に、テンは戸惑っているようだった。興奮する少年を宥めようとする。
「ちょ……、ちょっと待て! とりあえず落ち着け! 今はお前の名と氏素性を訊いているんだ。俺は名乗った。だからお前も名乗れ!」
押され気味だったテンも負けじと言い返す。しかし少年は更に勢いよく捲し立てた。
「なんだよ、教えてくれたっていいじゃないか!」
「質問しているのはこっちだ。まず俺の聞いた事に答えろ! そうしたらお前の質問にも答えてやる」
「ケチ!」
「何だと!?」
お互いに自分の主張を喚くだけで話が一向に進まない。睨み合った両者の間に見えない火花が散った。
唇をきつく結んで眉を寄せていたテンは、いらいらと髪を掻き上げた。大きくゆっくり息を吐く。
「…………分かった。それなら別の事を教えてやろう。いいから最後まで話を聞け」
口を挟もうとした少年を、テンが身振りで制した。頬を膨らませた少年は、それでも一応は黙った。
「お前は盗みをして逃げ、ここで捕まった。そこまでは分かるな」
テンは一旦区切って返事を待つ。しかし、少年は何も答えずそっぽを向いた。
わざわざ言われなくても、少年にもそれは分かっていた。相手に答えてやる気は無かったのに、狩りと聞いてつい反応してしまったのだ。
一人頷いたテンが話を続ける。
「ここはまだ共同の縄張りで、村の者なら出入りは自由だ。だが、あそこは違う」
口調に含みを感じた少年は、渋々とテンの指差す先を見る。そこには茨の低木が生えていた。テンは少年が茨に目を留めるのを確かめた。
「茨の向こうは『入らずの森』。つまり禁足地だ」
「キンソクチ?」
疑問を口にした少年を一睨みしたものの、テンはそれ以上咎めなかった。
「入らずの森は、特に許された者しか立ち入れない地域で、禁を犯せば罪に問われる。そしてお前はそこに向かっていた。……捕まえるのが間に合って良かったと言っておく」
少年にもやっと話が見えてきた。この男は、盗みに加えて村の決まりを破るのを、自分が止めたと言っているのだ。
「村の掟では、禁足地へ無断で入るのは盗みよりも罪が重い。そこへ入ろうとしていたお前が、かなりまずい立場なのは分かったろう。だから、これ以上俺の心証を悪くしないためにも、質問には素直に答えた方が良いと思うぞ」
大人しくなった少年に満足したのか、テンは問いを繰り返した。
「お前の名は?」
「…………シメオン」
「ふむ、この辺では余り聞かない名だな。隣の王国の生まれか?」
「そんなの知らないよ!」
突然の叫びにテンは口を噤んだ。強い怒りを湛えた目は薄汚れた身なりと共に、それまでの少年の生き様を物語っているようだった。
テンは黙って少年――――シメオンを見返していた。謂れの無い自分への怒りを受け止め、少年が目を逸らすまで、ずっと。
怒りの静まったシメオンは、前にも増して膨れ面をしていたが、次の質問にキョトンとする。
「……東ガラットに来たのは誰かの指示か?」
「それ、どういうイミ?」
今度はテンが探るようにシメオンを見ていた。見詰められて居心地の悪くなった少年はもぞもぞと足を動かす。視線を外したテンが念を押した。
「他意は無い。そのままの意味だ。……お前は一人のようだが」
「そうだけど……。なんでそんなこときくの?」
「それが一番重要だからだ。誰かに命じられていないのなら何故ここに来た」
「オレ……。テスの狩りを見てみたかったんだ」
シメオンが素直に答えると、テンは豆をぶつけられた鳩のような表情になった。
―― ◇ ――
「…………つまり、お前は街の噂で聞いたテスの狩りを見るために、荷馬車に潜んで一人でこんな所まで来た。と……」
一頻りシメオンの話を聞いたテンは額に手を当て、文字通り頭を抱えていた。少年の言葉には真実の響きがあり、それが余計にテンを混乱させたようだ。首を何度も横に振っている。
誤魔化さず本当の事を言ったのに、呆れられたシメオンは不満顔である。
「なんだよ。悪いのかよ」
「悪くはない。……だが狩りを間近で見るのは無理だぞ」
ずばりと告げられた事実はシメオンを突き落とした。
「えっ……。どうして……」
「一つ、見るためには狩り組の縄張りに入らなければならないが、決められた組の者以外が縄張りに入るには許可が必要だ。二つ、流れ者のお前が許可をもらえる訳が無い。……勝手に狩り場をうろつくのは止めた方が良いぞ。縄張り荒らしも重罪だからな」
不穏な雰囲気で黙り込んだシメオンにテンが釘を刺した。
「そもそも狩り用の縄張りはかなり広いんだ。割り当てられた組衆以外は、どこに何があるのか詳しくは知らない。当てずっぽうで探しても、獲物を仕留める瞬間に出くわすのはまず無理だ」
「なあ、アンタは狩りの頭なんだろ? アンタの使ってるとこなら――――」
「断る。確かに俺は頭だが、縄張りは組として借りている。個人の縄張りと違って、俺の一存では決められない。それとも、組衆にお前の事を話しても良いのか?」
焦るシメオンを横目で見ながら、テンは疑問に答えて行く。
「じゃ……、じゃあ。その個人のナワバリってのはだれが持ってるんだよっ!」
「東ガラットで個人の縄張りを持っているのは、巫女と領主の二人だけだ。どちらも頼むのは無理な相手だな」
「…………!」
少年は一つ一つ説明しながら否定するテンが憎らしかった。相手の言い分が正しいのが余計に悔しい。深く考えずに山奥までやって来た自分にも腹が立った。
本当に、ただ珍しい狩りを見てみたいと思っただけなのに――――。
「そうしょげたものでも無いぞ。獲物を狩る所は見られなかったが、どうやるかは分かったろう」
「……もしかして、さっきオレにやったみたいに追いかけるんだ! すげえ!」
首を傾げていたシメオンが嬉しそうに叫ぶ。少年の様子にテンの口元も綻んでいた。
「でもさ、どうしてわざわざ走るのさ。ユミやワナみたいな道具を使わないの?」
「お前は本当に…………、知りたがりだな」
次々に疑問をぶつけられるテンは苦笑しているが、どことなく楽しげだった。
「アンタに名前を教えたら、オレにも色々教えてくれるって言っただろ」
「ああ、他にも教えてやれる事はあるだろう……。それよりも、さっさと決めないとならない事がある」
「なに?」
「お前をどうするか。……だ」
テンの指と視線が示したのはシメオン自身である。
盗みと禁足地への侵入未遂で捕まったのに、すっかり忘れていたとは。少年は心の中で頭を抱えた。
でも、テンは話をちゃんと聞いてくれたし、自分が聞いたことにも答えてくれた。見下して唾を吐きかけたり、殴ったりしなかった。
盗みを見逃してくれそうだとも思っていたが、口には出さなかった。
空を見ていたテンが呟く。
「そろそろ戻らないと皆が変に思うな。……最後に二つだけ答えろ」
「?」
「いつまでこの村に居る気だ」
「また荷馬車が出るときまでのつもりだけど……」
「お前が忍び込んだ行商は、いつも二、三日滞在して商売する。出て行く時に紛れるにしても、その間はどうするつもりだ。これ以上の盗みは論外だぞ」
「あー、そっか、そうだね。う~ん…………」
座って腕を組んだシメオンが唸る。しかしテンの言う通り、荷馬車が発つまでどこかに隠れて、食料や水をくすねて過ごすつもりだったのだ。
狩りの見物も出来ず、まんまと捕まった。…………ああ、もう! 悩んだ所でどうにもならないじゃないか!
そんなシメオンに、テンは意外な提案をした。
「村の掟を守ると約束するなら、俺がここで匿ってやろう」
「! ホント!? でも、どうして?」
「年端も行かない子供を罪人にするのは気が引けるからだ。何事も無く村から出て行くなら、俺はそれで良い」
それはそれでそれなりに問題があるような気もするが、少年には他に選べないのだ。
テンはシメオンに、掟に抵触する行為――――盗みや禁足地への侵入など――――をしない事を約束させた。
手早く必要な指示をすると、腰の後ろに着けた革小箱から小さな巾着袋を出す。取り上げたナイフと小袋をシメオンに渡した。
「お前が持ち逃げしたのと同じシカの干し肉だ。これと潰れなかった食料があれば、とりあえず大丈夫だろう」
「明日の午後、同じくらいの時間に様子を見に来る。それまで大人しくしていろよ」
そう言い置いてテンは去った。もちろん、シメオンがここまで『運んで』来た干し肉の袋と一緒にだ。
もし約束を破ったらテンはきっと容赦しないだろう。少年にもそれは分かった。もらった干し肉と野菜があれば、数日なら盗みをしなくても済むはずだ。
別に好きでやってたわけじゃない。一人で生きて行くために食べ物を盗んだ。それだけだ。親切そうなヤツに気を許して、何度も怖い思いをしたんだ。
簡単にテンのことを信用しちゃいけない。
陽の傾いた森の中で、少年は何度も自分に言い聞かせた。