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第二話  村

 薄暗い中で目覚めた少年は、自分が何故鬱蒼とした森の中にいるのか、瞬き一つの間だけ迷った。すぐに昨夜の事を思い出して周囲を確かめるが、濃い朝もやで何も見えなかった。

 警戒して低い姿勢のまま木の陰から街道の方向を窺う。視界は通らないものの、行商の一家はまだ休んでいるようだ。

 安心した少年は静かに起き上がった。幹に背を預け、指折り数えながら無言で考えを巡らす。

 近くの大きな街――――確かマリダポールと言う名だった――――から馬車で二日の農村にいた。そこから森へ入って一日経った朝。


 行商の一家は、少年が荷台へ潜んでからはどこへも寄らず、ひたすら森の街道を進んでいた。リョウシュさまの住む村と街は馬車で三日らしい。街で聞いたウワサが本当なら、今日中にはテスの村へ着くのだろう。

 少年はうきうきと期待に胸を踊らせ、テスの狩りがどんなものかを想像した。日が昇って明るさを増していく空と、薄れる朝もやの向こうで一家が動き出す。

 浮かれ過ぎて自分が居るのがバレてしまっては困る。気を落ち着けた少年は、一家と離れた場所で出発の準備を済ませた。

 



 少年は昨日と同じように馬車に付いて行く。街道からは約十メートル、馬車の後方二十から三十メートルの距離を空けていた。

 透明な刃のように肌を刺す強い陽射しも、森の中では余り届かない。少年の頭上の枝葉が折り重なって、日陰を作ってくれているようだった。時折吹いて来る風もひいやりしている。


 木から木へと身を隠しながら数刻(数時間)歩き続けた。森の中がいくら涼しくとも、動き続けていたので身体が熱い。

 革の水袋を取り出して少しだけ中身を飲んだ。落ち着いていた汗が噴き出し、身体中がむず痒い。もう中身は少ししか残っていないので、本当は取っておきたかった。

 町や村にいれば苦労せずに清潔な飲み水が手に入る。人が住んでいるなら、そう遠くない場所に水場があるからだ。

 しかし、今のような移動中は飲み水の残りに気を付けなければならない。あちこちを渡り歩く間に少年はそれを知った。




 少年は山道にも、長歩きにも慣れていなかった。第一、自分の足で歩けば余計に腹が減る。それに右の靴底が磨り減っているので、時々尖った石が足の裏に当たる。これ以上歩きたくなかった。

 テスの村はまだなのだろうか。歩き出してから何度そう考えたか知れない。長く緩い坂を登っていると、疲れた両足をもっと重く感じる。汗を拭った手の平をズボンに擦り付ける。


 改めて進む先に目を向けると違和感があった。足を止めて前方を睨む。

 木立ちの隙間から見えたそれは、木材を組んで作った見張り台だった。即座に少年は身を隠した。幹に背中でへばりついて耳を澄ます。


 ばくばくする心臓の鼓動が邪魔だった。一呼吸、二呼吸、三呼吸――――。

 ゆっくりと五つ数えても、警報の太鼓や鐘、警告の叫びは聞こえない。そっと様子を窺うとやぐらは無人だった。

 見張り台の足下にはやはり木材の柵がある。先を尖らせた木材を組み合わせて、自分のような侵入者を阻んでいた。きっと村をぐるりと囲んでいるのだろう。


 道と交わる部分に柵は無く、土中に埋め込まれた太い丸太が二本建てられていた。その上部には大雑把な透かし模様の入った半円形のアーチがある。

 順繰りに見ていくうちに、緊張した少年の身体から力が抜けていった。リョウシュの住む場所だというからには、山の中でももっと賑やかだと思っていたのだ。丸太の門といい、木製のアーチといい、ただの田舎の村そのものだった。




 腰の後ろに武器を帯びた門番二人と、先導馬車の御者が門の所で話している。後ろの馬車の若い御者も親しげに手を振って挨拶していた。

 行商の一家がこの『村』に来るのは初めてでは無いようだ。少年は少しずつそちらへ近付き、切れ切れに話が聞こえて来たその時だった。


「ん……? えた汗か肥溜めみたいな臭いが……」

 門番の片割れが顔を上に向けてしきりに鼻を動かした。男はあちこちへ首を回し、最後に森の方へ怪訝な表情を向けた。既に木の影で息を殺していた少年はどきりとした。

 風呂嫌いの当人は慣れているが、他人はこの臭いを嫌う。気にしないのは裏町の連中くらいなのを忘れていた。数刻歩いて汗をかけば余計に臭うのは当たり前である。


 土を踏む足音が近付いて来る。警戒の色濃い気配が一台目の横を過ぎ、後列の馬車に差し掛かる。

 動けば自分の居所が知れる。見付かれば捕まる。幼い顔を険しく歪めた少年は激しく迷った。

 このまま見付かるよりはと、一か八か飛び出して全力で逃げようとした。しかし、嬉しそうな行商人の言葉が場の空気を変えた。


「おお、さすがですね。今回は上物のベルンゲネもあるんですよ」

「! あの『腐れ魚』を持って来たのか!?」

 臭いと言った男が悲鳴を上げる。いきなり真横の荷台を睨み付けて一嗅ぎすると、急いで両手で鼻と口を押さえて門の中へと駆け戻った。余程馬車から離れたかったと見える。


 それは森からも遠ざかる事となり、姿を見られずに済んだ少年は、止めていた息をゆっくりと吐き出した。

 少年もうんざりした臭いの元がベルンゲネらしい。思わぬ助け舟にほっとしたのも束の間、少年は更に嫌な気分になった。身体や服に染み付いた干し魚の臭いは洗わなければ消えないだろう。


「好き嫌いが分かれる珍味ですが、ガリ=テスはお好きですから……」

「そういえばそうだったな。テスに挨拶をしてから商売をするんだろう? 中へ入ってくれ……。東ガラットへようこそ!」

 もう一人の門番が通行手形を返して、歓迎の言葉と共に二台の馬車を迎え入れた。



 ―― ◇ ――



 午前半ばの村の広場には人気が無かった。農村でも畑仕事に出ている時間である。女子供も皆何か仕事をしているはずだった。

 ただの空き地にしか見えない広場へと乗り入れた馬車は、門番二人と広場の隅へ移動する。


 門を入った左側は、広場を囲むように石造りの平屋が数軒並んでいる。民家にしては変に細長い形をしていた。広場に面した扉を開け放っているし、よく見えないが絵が描かれた看板も掲げている。奥を住居とした店のようだ。

 その後ろにも数軒ずつ建物が見える。そちらは他の村や集落、町の裏路地で見慣れた小さな煙突のある民家だった。




 門番がいるなら見回りもするはず。そう思った少年は再び門から距離をとった。

 木々の合い間から柵が見えるぎりぎりまで離れると、街道に背を向けて柵伝いに歩き出す。村の裏手へ回るつもりだった。

 

 テスの村は普通の『村』とは違う。普通は家々の間にあんなに木があったりしない。切り倒した方が沢山家を建てられるのに、まるで木を避けているみたいだった。

 特に、広場を挟んで門と向かい合う石造りの大きめの建物。門からその建物を見て、右と左では雰囲気が違う。

 行商の荷馬車は店らしき建物の前を避けて、広場の向かい――――右側に落ち着いた。その後ろには建物は一つも無かった。ただただ森が見えるだけだった。


 だから少年は門の左へ足を向けた。人が住んでいるなら水も食べ物も必ずある。納屋や物置があれば、今夜は屋根のある場所で休めるかもしれないからだ。

 また臭いで見付かる前に、服ごと自分も洗いたかった。ぽっかりと口を開けた深い闇のような森に背を向けて、痛む足で精一杯急いだ。

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