STAGE 6-18 現実と理想
7月22日 17:30
診療時間が終わった室内で、ウドンゲが意味深な目線を送ってから、二人を取り残して去った。
赤みを帯びた夕日が床を染め、蝉の鳴き声が内部まで響いている。暫し虫の合唱だけが、真次と永琳の間に流れていた。
遠ざかる足音と、湿度の高い空気が唇を重くする。和解しなければと思うほど、自然な言葉が浮かばない。互いに目を合わせようとして、直視した途端目を逸らす。不毛な所作を三度ほどループしてから、ようやく永琳が声を上げた。
「昨日は……その」
歯切れの悪い言葉。真次は続きを遮る。
「……何も悪い事なんてない。永琳先生は、何も」
「ですけど、無神経でした」
「いや、だから……」
言い合いの気配を感じ否定を引っ込め、先に永琳の言葉を静聴する。
「どうして、気が付かなかったのでしょうね」
「……時間が少なかったんだろう」
共同で異変の患者と向き合ったとはいえ、今回の異変で真次の外出は多かった。対応に追われ、ゆっくりと話す機会は少なかった。
けれど、皆無ではない。お互いの医療事情について、詳しく話し合うことも出来たはず。それを怠ったのは……二人がお互いの能力を、疑わなかったからだ。
いちいち細かく説明せずとも、相手が察して正しく動いてくれる。話さずとも通じ合えた。だからこそ、深くまで踏み込まなかった。
「私は……傲慢だったんでしょうか」
「そんな訳あるか!」
医者の理想体の永琳が、傲慢なはずがない。叫んで否定した真次を睨み、悔し気に呻く。
「だって、だって私は知らなかった。救えない苦しみを、哀しみを知らなかった」
「……知らない方が良いに決まってる」
「あなたたちは……『現代の医者』は、知った上で前線に立ってるのに、私は」
「あんな経験は誰だってしたくない。避けれるなら……誰もが治って、笑って終われるなら、それが一番いいに決まってる。絶対だ」
「でも現代じゃ救いきれないでしょう? ……中には、壊れる人もいますよね?」
長々と深く息を吐いてから、真次は現実を告げた。
「…………………………いる」
一つ、二つと零れる命。その散り際に潔く在れる人の方が少数。
後悔を、未練を、悲嘆を、恐怖を、絶望を
どれか一つ。または入り混じった死に際の叫びを残し、多くの人は死んでいく。
医療の最前線は……人が如何に死んでいったかを、否応なしに『理解させられる』現場でもある。
初めて場面に出くわした新入りが、一撃で心が折れることもある。積み重なった呪詛で、折れて潰れる名医もいる。それでも歩き続け、救おうと努力するほどに、心に積み上がる呪詛の重みは増していく。
けれど呪いを無視するために、心を凍結させては医者失格と言われるだろう。患者を正面から診ない医者など、藪医者でしかないのだから。
ある種の矛盾と二律背反の中で、もがき続けるのが現実世界の医者なのだ。
誰もを治せてしまう永琳は、この苦しみを知らない。
そのことを傲慢と彼女は言うが、果たしてどうだろうか?
永琳の行いは、医療技術の究極点に等しい。投与した薬で誰もを救えるのなら、皆が助かるのなら、それが最善ではないか。
羨ましいと感じない訳じゃない。理想を叶えられる彼女に、妬ましさを覚えない現実の医者はいないだろう。
けれど真次は、真次には
「俺には、永琳を責める事は出来ない」
何故なら実は――西本真次も現代の医者と比較して、反則めいた特性を持っているのだから。
7月22日 17:51




