STAGE 6-16 未経験
7月21日 21:55
まだ湿気が残る夏夜の縁側で、パチ、パチ、と子気味良い音が響いていた。
月影を頼りに将棋の駒を動かし、真次が一人盤面とにらみ合っている。
誰もいない対面の陣形が、真次側の陣地を次々と破壊していく。苦い顔つきのまま、時折手順を戻して、一人でああでもない、こうでもないと唸っていた。
「反省会ですか?」
「あー……はは、見られちった」
遠目から永琳に声を掛けられ、真次は少し照れくさそうだった。再現しているのは椛との対局場面だ。ボッコボコに負けた悔しさのあまり、彼は一人で検証している。
「椛メチャンコ強かった……三勝ぐらい出来るかな~? なんて思ってたんだが」
「妖怪の山で、強いと有名な人ですよ。姫様ともたまに指すようです」
「そうそう、よ~やく姫さんがニヤついてた意味わかったぜ。椛の実力知ってて、俺がズタボロに負けるだろう……って笑ってやがったな!?」
「先生の全敗に賭けてましたものね……」
「だぁ~っ! 今思い出してもムカつくっ!!」
クスリと微笑む永琳に対し、癇癪を起した子供の様に真次が咆える。
その後こっそり抜け出した輝夜は、永遠亭の面々と、二人の勝敗を予測するゲームを行った。いわゆるトトカルチョである。
「しかもニアピン取らせちまったからな……もう一勝したかった」
「ふふ、私を勝たせてくれるんですか?」
「姫さんにドヤ顔されたくねぇからな」
ちなみにオッズは、てゐが真次の七勝、ウドンゲが五勝五敗、輝夜が真次の全敗予想で、永琳が二勝の予測だった。結果は十戦中、真次は一勝。ピタリは出なかったが、永琳と輝夜がニアピンで引き分けだ。
「一勝取っただけでも十分じゃないですか?」
「あー……分からん殺しが刺さっただけだ。あんまり褒められた勝ち方じゃない」
将棋は知略を競うゲームだが、実は『初見殺し』もいくつか存在する。防ぎ方を知ってれば怖くないが、知らないと一方的に潰される型……いわば奇襲戦法だ。
「いくつかぶち込んだが、刺さったのはパックマン戦法だけだ。なんで他の初見殺し捌けるんだよ……」
「経験値の差ですね」
「うん。本当に場数が違い過ぎた。いや将棋の場合は手合いが違う……だったか。まぁどうでもいい。ともかく強すぎ……」
話しながら手を動かすも、真次の心が折れているのか……全く状況が好転していない。一度勝てたとはいえ、彼も力量差を自覚している。
「でも一勝は一勝です。そこは胸を張って良いのでは?」
「……むぅ」
真次の返事は煮え切らない、喉につかえのある言葉だ。
そこで永琳は気がつく。よくよく見ると将棋盤の上の駒は、どこか的外れな動きに思える。反省会と称しているが、本当は別の事柄に頭を悩ませているのだ。
上の空で手を動かす真次。表情を読み、永琳が彼の内側に踏み込む。
「…………先生。もしかしてですけど、躊躇ってますか?」
将棋ではなく、異変について。先程の会話から、何に悩んでいるかは予想が出来た。
恐らく――今回の異変を、この形で決着をつけてよいか苦悩しているのだ。心象を読まれた真次が固まり、握った駒を盤外に落とす。
「ははは……ホント、敵わねーな」
駒を拾い直し適当に置いて、体を将棋盤から離した。
そして、彼は白衣の内側に手を入れ、一本のナイフを取り出す。パチュリーに託された切り札だ。その効力は、輝夜から永琳も聞いている。
直撃=勝利の逸品は、一撃で怨霊に致命傷を与える。当たれば勝ちの道具を見て……奇襲で勝って良いのかと悩んでいた。
「コレさえ食らわせれば、幻想郷の勝ち。でも……でもそれで解決、めでたしめでたしでいいのかなって」
「…………狡い勝ち方だと思ってます?」
「少しだけな。そうまでしてでも、勝たなきゃならない場面ってのは分かってるさ。けど……今回の異変の原因は」
「十のために、斬り捨てた一。忘れ去られ、封じられた怨霊の群れの報復……」
「それをやっつければさ、今この時は落ち着くだろう。俺がジジイになって死ぬまでぐらいなら多分持つ……でも根本からの解決に、なんのかなって」
彼の思慮に、永琳は目を細める。
言っていることは間違ってない。ここで怨霊を退けたとしても、それはもう一度……切り捨てた相手を拒むだけ。また過ちを繰り返すだけではないかと、葛藤が見て取れた。
「本音言うとさ。もっといい手ねぇかなって思ったりはする」
「……やっぱり、兄と戦うのは辛いですか?」
「あーいや、そこは全然」
「嘘……ではなさそうですね」
不思議な事に真次は、兄弟で争うことに抵抗がない。兄弟間で喧嘩も対立も常だったためか。
「わかっててもさ、必要でもさ、そこで眉一つ動かさずに、相手切り捨てちまったら人としてオシマイだろ。永琳先生だって経験あるだろ? 患者の……死に際の……」
「……え?」
月の頭脳ともあろう永琳が……否、天才の永琳だからこそ……真次の言葉が分からなかった。あらゆる薬を作れる彼女だからこそ、永琳にその経験がなかった。
「……何を仰っているんです?」
「は? 何って……患者の死に際の……あの叫びを聞いたことない訳」
「え? え? それは治るものを放置した、患者側の責任で……」
「いやまぁ、確かにそういうアホもいるが……全員が全員そうじゃねぇだろ? こっちが必死に手を尽くしても、死んでいくしかない人だって……」
「そんな人いません。全員治せばいいじゃないですか」
「んなこと出来るワケ……」
二人の間に、沈黙が降りる。
まるで別の言語をぶつけ合っているような……主張が悉く、急にかみ合わなくなっていく。
「もう一度聞くぞ永琳……患者の死に際の呪詛を聞いたことないのか?」
「……なんで聞くんです? よっぽど酷く病状が進行してなければ、私の薬で治せるのに……?」
永琳の能力は『ありとあらゆる薬を作る程度の能力』
どんな患者でも、どんな症状でも、本当に……手遅れなほど病気や傷が進行していなければ、永琳はどんな相手でも治療できる。できてしまう。
だから分からないのだ。真次の言っていることが。
だから知らないのだ。死に至るしかない人間の……魂の底から絞り出される「死にたくない」と叫ぶ声を。
困惑と混乱のまま、何事かを語ろうとして蠢く唇。けれど言葉も音も発せず、互いの顔をちらちらと伺うことしかできない。
今まで見落としていた断絶に慄き、二人の間を隙間風が通る。
そのまま何も話せずに、やがて永琳は、逃げ出すようにその場を去った。
7月21日 22:11




