STAGE 6-3 明かされる真実『封印の理由』『楽園の嘘』
「藍……今回の異変を思い出して。妖怪が襲われ負傷し、人間は不安に煽られ右往左往する……これが表向きの事情よ」
「それでも十分、大混乱でしたが」
無意識に腕をかばう藍。彼女もまた被害に遭った一人だ。真次も永遠亭に詰めかける妖怪たちを目にし、異変の重さを経験している。
だからこそ……次の言葉の恐ろしさが身に染みた。
「もし怨霊たちを封印せず、幻想郷に招き入れた場合……今回の異変で起きたことが、幻想郷の日常になっていたのよ」
「「!?」」
あの混乱と不安が、この世界の一部になると? どこからともなく現れ、妖怪と遭遇すれば傷を負わせ、人間なら憑りついて不安をばらまくのが日常に?
冗談ではない。現在も紫や霊夢に対して、不満を漏らす者はいた。しかしそれでも『いずれ異変は解決するから』『これが今回の異変だから』と人々が言い聞かせ、抑え込めていた節がある。今は耐えるべきと、堪えるのに必要な前提が存在していたのだ。
もし、それが無くなってしまったら――
「パニック……なんてもんじゃないな。時と場合によっちゃ、暴動や反乱が起きちまう」
「幻想郷が、忘れられたモノの楽園として成立しなくなる……ということでしょうか?」
「そうよ」
「……待ってください。でしたら、地底の怨霊はどうなるのです?」
確かに、と真次は感じた。
地底の奥深く、滅多に日の目を見ない領域だが……平素の幻想郷にも、怨霊が出没する地域はある。人も妖怪も寄り付かない場所だが、その場所でなら共存が可能ではないか?
「あそこの怨霊たちは、力の弱い怨霊たちよ。出現する場所は危険だから、近寄らないで……って言っていれば、無視出来てしまう程度の」
「そこに放り込めなかったのですか?」
「そんなことしたら……今回の異変で起きた地底の反乱が、地上にまで逆流するわよ」
紫は、幸村の方をちらと見てから答える。沈痛な面持ちの武士に追従するように、真次は顔を青くした。
幸村率いる怨霊の反乱は、地底妖怪総出でようやく鎮圧できた事。だが眼前の彼は、半分操られていたようなものだ。本気の戦闘でないにもかかわらず、地底は甚大な被害を受けた。
もしもこれが、最初から強い敵意をむき出しにして発生すれば……地底が負うダメージは深刻化しただろう。紫の言う通り地上へ出られたら、さらに広い範囲が脅威にさらされるのだ。
「力の弱い怨霊は、意思もそこまで強くない。指導する存在がいなければ……適当に漂ったり、地底の妖怪と騒ぐ程度の存在よ。言ってしまえば、幻想郷にとって弱毒なの」
「ですが……拙者のような扇動者がいれば、危険な火種に変わってしまいます。そのことは真次殿、よくご存じでしょう?」
「……あぁ。つい先日体験したからな」
激しい戦闘を思い返し、彼がぶるりと肩を震わせる。ほとんど裏方だったとはいえ、真次は地底戦闘を経験しているのだ。アレが幻想郷全土に広がる光景は、想像したくない。
「でしたら、最初から力の弱い怨霊も拒むべきだったのでは?」
「それだと……簡単に嘘が露呈するでしょ?」
「嘘?」
瞬きして、しばし藍は間の抜けた表情を作った。心当たりがまるでない様子だ。
それも仕方あるまい。幻想郷に暮らす者なら、すぐさまその事実には行きつけない。ましてや管理者の補佐をする藍の立場では、尚更の事だった。
楽園の外からやって来た真次が、歯を震わせる。今まで、八雲紫の行為を必要だと解釈していたが……それだと一つ嘘が出来る。幻想郷の大前提が成立していないことに。
「藍……この世界は何だった?」
「うん? 幻想郷だ。『現実世界で忘れ去れたモノの楽園、どんなものであろうと受け入れる』…………っ!」
「けれど真実は『幻想郷は、一部の怨霊を受け入れていない』……つまり『楽園はすべてを受け入れてはいなかった』」
それこそが、楽園の嘘。すべてを受け入れる楽園の欺瞞。幻想郷の秩序のため、そこに住まう者たちが暮らすために……『力を持つ怨霊たちは、楽園への入場を拒まれた』
「あ、あ、あぁ……そう、か、それが……嘘、か」
「けれど、全部の怨霊を拒絶すると『怨霊を受け入れていない』事が露呈する。だから弱毒の……害になりにくい怨霊を幻想郷の隅っこに住まわせて『それですべて受け入れている』と幻想郷の住人に錯覚させた……これで合ってるか?」
「……そうよ」
まるで罪人が懺悔するかのように……頭を重くうなだれ、八雲紫が瞳を閉じた。
理想のための背理を犯し、結果として彼女は、今回の異変の原因を作ってしまった。隠していた真実を受け止めた藍は、必死の形相で叫ぶ。
「し、しかし……不可抗力でしょう、これは! 他にどんな手があったのです!? 侵入して騒ぎを起こすたびに鎮圧しろと? それとも毎回怨霊の下に出向いて説得しろと? この世界が楽園であるためには、必要な事でしょう!?」
誰も、何も言えなかった。
秩序維持のため、世界の理想のため、十のために切り捨てた一。幻想郷の成立には、力を持つ怨霊を拒む必要があった。その行いが『楽園の理想』と矛盾するとしても。
なれども今回の異変で、拒まれた怨霊が幻想郷へやって来た。まるで今までの鬱憤を晴らすかのように、憎しみのまま報復を行った。恐らく紫は異変初期で、彼らの仕業と察していたのだろう。でも黙っているしかなかった。欺瞞を明かさないために、この後も幻想郷を維持するために。
「藍……でも、それは」
……これらの行動は、幻想郷視点での話でしかない。一欠片ほども怨霊側の事情を、考慮しない言動ではないだろうか? 彼等が異変を起こしてもなお、幻想郷側の都合を押し付ける言い分に思えてならない。
勿論道理だとは思う。一つの世界を管理するのに必要な残酷さだと。十のために一を切り捨てる経験は、医者の真次も身に覚えがある。
しかしだからこそ。
切り捨てられる側の断末魔を、彼らの怨念から耳を塞ぐのは、許されざる所業ではないか? 聞くに堪えない叫びでも、心に深くのしかかる呪詛でも、切り捨てる側は……それを受け止める責務が生じるのではないだろうか?
切り捨てておきながら、犠牲になったモノ達に見向きもしないから
あの怨霊たちは……自分たちの除け者にした世界に、その拳を振り下ろすのだ。
自分たちの居場所はどこにもない。なのに……その犠牲で居場所を得ている人々に向けて。
自死を意に介さずに……「お前たちも我々と同じように、居場所を失ってしまえ」と。
真次は藍を咎めようとした。感情的に、反射的に糾弾しようとした。
……けれど同時に、幻想郷側の主張も理解できる。
切り捨てた側と、切り捨てられた側の対立は
いつだって単純なのに、どうしていつも、やりきれないのか。
「……辛いな。本当に……悪い、こんな言葉しか出て来ない。でも、どっちがいいとか、悪いとか……簡単に決める事も……あぁ、クソ」
頭を抱えて、苦悶の表情を浮かべる。異変の元凶たちと何度も戦った真次は、彼らの怒りや憎しみと直接向き合った。
彼等彼女らが振るってきた激情は、到底許せるものではない。しかしその前提に――八雲紫の、幻想郷の嘘があった。先に被害を受けたのは、怨霊たちの方だったのだ。
でも幻想郷で暮らしていた人々は、真実を知る由もない。突然襲撃を受け、仲間を失う悲しみに敵意を抱いたに違いない。
両者の視点が出そろった今……真次は鉛を飲み込んだ気分だった。
肺が濁っているのか、それとも空気が澱んでいるのかわからない。ただただ悲しい現実が苦しく、咆えて叫んで風通しを良くしたい気分だった。何も変わらないとしても、このままじっと待っていたら潰れてしまいそうで……
なのに、一歩も踏み出せない自分が嫌になる。真実の衝撃に釘付けになり動けない。言葉を紡ごうとして纏まらず、もどかし気に唇を動かし、また固まる。
青年の心情をくみ取った英霊が、いたわるように事実を述べた。
「この手の事柄で……善悪を容易に断じる輩こそ、安易でありましょう」
「……幸村さん」
「拙者も似たような葛藤を味わいました……ちょうど楽園の外の守人として、決意を固める際に。
ですが、言い訳を承知で申し上げたい。あの男は……西本真也は、余りに想定外が過ぎた。拙者も紫殿もあんな怨霊は……いえ、あんな元人間を知りませぬ。かの者さえいなければ、あと二百年は封印できた。境界を失わせる式の中で、なぜああも自己を保てたのか……」
「……今度は、俺が話す番か」
真次にも理解の及ばぬ双子の兄、西本真也。クソ兄貴こそが異変発生の原因と言う。どれほど役に立つかは不明だが、真次は彼が知り得る限りで、兄の話を始めた。




