STAGE 5-0 紅蓮の戦神
STAGE5 開始時に、いつもの0が抜けていた理由は……内容を見れば分かります。
1868年 その日、新政府代表『西郷隆盛』と
旧幕府代表、最後の将軍にして徳川の末裔『徳川慶喜』の両名が、江戸城にて言葉を交わした。
日本の運命を左右し得る決断は成され、一滴の血も流さず江戸城は開け放たれる。対立した二つの陣営による、同じ民族同士の全面戦争は回避されたのだ。
「ふーっ……」
緊迫した政局を見守っていたのは、何も人間だけではない。自らが築き上げた秘境、幻想郷を管理する八雲紫にとっても、将軍の決断は極めて重要な意味を持っていた。
もし新政府軍と旧幕府軍が衝突した場合……日本の国力が低下した時期を見計らって、ヨーロッパ諸国に攻め入られる危険があった。そして日本を支配下におき、積極的に植民地化を目指そうとする。
そうなれば彼らの統治者は、自分たちが信じる神以外を、駆逐しようとするに違いない。妖怪も八百万の神も異形と言い捨て、日本の文化を否定し、蹂躙し、破壊しに来る光景は容易に想像がついた。
時と場合によっては、八雲紫直々の介入も辞さなかっただろう。上記の展開になれば幻想郷どころか、日本全ての妖怪と神々が死に絶えかねない。最高の機を計るため……その日八雲紫は江戸城を遠方に臨み、すべての顛末を見届けた。
決裂するであろうと八雲紫は考えていた。西郷を暗殺したり、逆に将軍を暗殺する危険も大きかった。けれど、長らく生きたスキマ妖怪の予想を上回り、彼ら両雄は和解した。真に国を憂いる二人は、諸外国の脅威を心得ていたのだ。
故に西郷は力での制圧を望まず、
故に将軍は未来を譲り託した。
容易な事ではない。権力の毒は万人を蝕む。世のため人のためと言い張りながら、いざその時には自腹を切れぬもの……
しかし、徳川慶喜は違った。本当に日本の未来を想っていた。自分が将軍の座を降りるのが最善と理解し、新政府の志士たちに「後は頼む」と国を託したのだ。
彼の勇気と善意を見届け、八雲紫はこの場を去ろうとする。もう介入する必要はない。新政府への反発勢力は出るだろうが、一番上の将軍様が刀を収めた以上、国を二つに割る事態にはなるまい。
不安に思っていた自分が恥ずかしい。この国の人々は、八雲紫の介入なしでもやっていける。表舞台に伸ばした手を引き、今後の幻想郷の在り方を問うべくスキマを開こうとした、その時だった。
彼女の視界に、一人の武者の幽霊が目に映る。六つの銭を兜に刻み、目の覚めるような朱塗りの赤の鎧、手にした槍を地面に突き刺し、江戸城を澄んだ瞳で見つめていた。
紫はまじまじと彼を見つめる。すぐに思い当たる名で話しかけた。
「あなたは……真田幸村……?」
初めて気がついたのか、二度瞬きをして棒立ちする。やがて礼を失した事に気がついたのか、軽く頭を下げてから名乗りを上げた。
「……いかにも。拙者は二百年前の亡霊です。この国の行く末を見届けんと、今日この日に馳せ参じました……あなた様も?」
「そんなところね。でも余計なお世話だったみたい」
「ですな。両名とも実に天晴れ。それでこそ日の本の漢だ。拙者たちが血を流した甲斐が、あったと言うもの……」
江戸城を見据える武者の瞳に、恨みや憎しみの色は感じない。紫には意外だった。彼が徳川の人間の称賛するとは……
「……怨みはないの?」
「思うところが全くない……とは言いませぬ。もし徳川幕府が最後まで悪あがきをするのなら、拙者は新政府側の兵に紛れ込んで、将軍に引導を渡したでしょう」
語るうちに、彼の気配が怨霊の気を帯びた。どうやら辛うじて幽霊、英霊に分類できるが、怨霊と化す一歩手前の状態らしい。
「ですが慶喜殿は己より……真に日の本のため、将軍として善い選択肢を実行した。この国のより良い未来を選んで下さった。そのような決断を為される方は、斬れませぬ」
「そうね……本当によくやったと思う」
表情を変えずに話を合わせる。しかし紫の脳裏には、一つの懸念が広がっていた。
真田信繁……いや幸村の怨霊化を想像する人間はそういない。実際は英霊か怨霊か、危うい状況に思えた。
多くの人々の印象が、歴史上の人物の偶像を作る。勿論人の世ではよくある事だが、偶像と実際の差が大きくなれば……「実像が忘れ去られた」事になる。
そうなれば、幻想郷へ入る資格があるだろう。しかし幻想郷において怨霊は、非常に扱いに困る存在だった。
妖怪にとって、怨霊は恐怖の対象だ。取り憑いて精神を乗っ取られれば、元の妖怪は死んだも同然。
人間に取り憑かれても厄介だ。村人同士での対立を煽り、疑心暗鬼を加速させ、場合によっては殺し合いに発展しかねない。
いずれにしても厄介者。幻想郷の秩序を乱す存在。今紫が思い浮かべる計画でも、人目のつかない場所へ怨霊を押し込める予定だ。幻想郷に入ることを許すが、自由に動くことは認可しない。一応は怨霊も怪異であるのだし、はじき出すつもりはなかった。
けれども……紫は幸村の在り方を見て、新たな危険を思い浮かべた。それは「強い力を持つ怨霊」を幻想郷に招いて良いものか……という懸念。
先程上げた例は、憑りついた相手が怨霊より弱い場合に成立する。弱小妖怪にとって特に脅威だが、紫のような大物クラスには屁でもない。
だが、真田幸村のような「大物人物の怨霊」が暴れれば……下手をすれば収拾がつかなくなる。
どんな相手でも受け入れる幻想郷は、対立勢力が生まれることも間違いない。八雲紫の理想郷として……すべてを受け入れつつ、かつ対立勢力同士の全面戦争を、回避しなければならないのだ。危うい勢力バランスを慎重に保たなければならない。
そこにもし、力を持つ怨霊が干渉しようものなら……対立煽りや、組織の中堅やトップに取りついたりしたら……? 果たしてそれで、秩序は保てるのだろうか? 楽園は楽園のままで在れるのだろうか?
観察する限り、幸村は理性が働いている方だ。けれど彼の様に、話し合いでなだめられる相手ばかりとも思えない。
(やっぱり、切り捨てるべきね)
理想のための背理。十のために一を切り捨てる決断。非情だ非道だ嘘つきだと、笑いたければ笑うがいい。
怨霊諸君……幻想郷のために死んでくれ。
冷徹な意思で決断した紫は、目の前の男に契約を持ちかけた。
「ねぇ、真田幸村……一つお願いがあるの」
「……? 拙者に何用で?」
「忘れ去られた幻想の楽園、その世界の……知られざる守人になって下さらない?」
今日この日、この場所に来たのなら、八雲紫の決断の重さが理解できるはず。栄光と怨念の境界を漂う彼なら、その真意をくみ取ってくれると信じていた。
誰にも明かせない『楽園の外』の話を、包み隠さず幸村に伝える。苦渋に満ちた表情を浮かべたが、彼は決して紫を罵倒しなかった。
「……身勝手な話だと思う。特に『力を持つ忘れ去られた怨霊』にとっては」
「………………確かに」
「そしてあなたにとっても。あなたなら幻想郷で暮らすことも出来る。その権利を奪うことにもなるわ。だから、断ってくれてもいい」
じっと見据える少女の瞳に、幸村は静かに一息ついた。
「……見え透いた嘘ですな」
「え?」
「本当は何が何でも、拙者に守人の役を申し付けたいのでしょう? 怨霊と英霊の境界にいる拙者なら、間違いなく適任です」
「……」
「初対面故の遠慮でしょうが……不要ですぞ。無辜の民のため、拙者が人柱となりましょう」
他意のない視線が眩しく、そして痛々しかった。やむを得ない事柄、ただの偽善と罵倒される行い。八雲紫の密かな非道に、彼は共犯になってくれると……
「……ごめんなさい」
目を閉じで、頭を下げるしかない紫。何の慰めにもならないのを承知でも、紫に出来ることはそれしかなかった。幸村は微笑む。
「そう嘆きなさるな。誰かが負わねばならぬ事です。それに……場合によっては拙者の武を試す、良い機会に恵まれるかもしれませぬ。あなたがすべて気負う必要はない」
「……ありがとう。大したことは出来ないけど……何か要求はあるかしら?」
「そうですな……たまに拙者の所に来て、幻想郷の様子を伝えて下されば幸いです。拙者が守っている世界の話を、あなたの声で聞かせてほしい」
本当に、頭が上がらなかった。こんな好条件で紫の嘘を、受け入れてくれる男は他におるまい。
幻想郷と現実の日本が隔離の直前、江戸と明治時代の境界線で、その密約は遂行される。
以降、約150年に渡って、その契約は維持された。
西本真也が『楽園の外』の怨霊を束ね、幻想郷に報復を始めるその日まで……
STAGE 5 END
次回 STAGE6突入。




