STAGE 5-27 宴の席 2
7月18日 12:35
「そう身構えるな。戦闘の意志はない」
他の飲み仲間に呼ばれたのか、勇儀は別の妖怪と飲んでいる。男三人で固まった酒の席は、そこだけ剣呑な空気へ変わった。
噂や各所から流れてくる情報で、兄が怨霊化していることは確信していた。幸村の反応を見ても、異変の中心人物なことも間違いない。真次が思い当たる動機は一つ。
「……口を封じに来たのか?」
真田幸村は怨霊集団に属していた。半分支配下にあったことを考えれば、彼は異変の内情を把握している。それを漏らされる前に抹殺――というのは、十二分にあり得ることだ。
真次の兄は、声を上げて首を振る。
「まさか。黙らせるなら遅すぎだ……その様子だと、まだ真実を話していないのか?」
「……話していないのではありません。拙者は『話せない』のです」
真次が瞠目する。この呑みの席がひと段落したら、彼から真相を問いただす予定だったが、不可能なのか? 驚愕する真次をよそに、怨霊の長はくっくと嗤う。
「成程。八雲紫の用心深さが仇になったか。いい気味た」
手ごろな酒をぐいと煽り、皮肉と自信に満ちた笑みを浮かべる真也。見た人間に不快感をもたらす顔に、悪態をついて真次が突っかかる。
「嫌味言いに来たのかよ、わざわざ?」
「それも否だ。確かに『紅蓮の戦神』と言葉を交わす意志もある。しかし本題ではない」
「周りくどいな相変わらず」
「そう睨むなよ、愚弟。わざわざお前と酒を飲みに来たというに……ずいぶんな歓迎じゃないか」
「は? ……はァ!?」
いよいよもって意味が分からない。自分の立場をわかっているのだろうか、こいつは。異変を起こし、幻想郷を混沌に陥れた大悪党が、その最中に弟と酒を飲みに来るのか?
何より真次が不気味に感じたのは、兄は誰かと仲良く酒を飲もうなんて言い出さない。絶対に断言できる事だ。
「お前……気でも狂ったか?」
「元からだろうそれは」
「イカレ野郎がさらに壊れたのか? って聞いてんだよ」
ぎろと睨む目線に、兄が臆した様子はない。視線を宙にやり、弟の言葉を反芻している。変化に自覚がなかったのか? 独り言のように呟く。
「まぁ、少なからず変わったのだろうな。確かに、以前の私ならこの行動は取らない。一般的な感覚を持っていた怨霊から、共有したのだろうな」
「何を言ってやがる? 共有した?」
「我々以外には理解不能なことさ。いや、酒を飲む動機はお前にもわかるだろうな。何せ……この機を逃せば、もう二度とお前と酒を飲むチャンスは訪れない。故に来た」
「………………身勝手な野郎だぜ。前言撤回、相変わらずクソだお前は」
と言いながらも、真次は真次で酒瓶を手に取る。不愛想な顔で兄の酒器に液体を注ぎ、不敵な笑みで真也も飲み干す。
「ふふ、こうして酒を飲むのは初めてだな。悪くない」
「あぁ確かに。けどな……どっかの誰かが成人前に自殺してなけりゃ、現世側で出来た事だろう。なんで死にやがった、お前?」
真次の双子の兄、西本真也は七年前に自殺した。
ちょうど海外に留学していた真次は、その知らせに言葉を失ったものだ。全く動機も理由も不明。それを既知していたであろう人物は、三男の参真ただ一人。けれど彼は彼で、真次が帰国する頃には消息を絶っていた。
取り残されたのは帰国した真次と、一族の父である西本 平家のみ。誰から見ても狂人だと、指を刺される長男とはいえ……双子の兄であることは違いない。家族愛と呼べるほど立派な感傷は湧かないが、全く気にしない関係でもなかった。
「参真から聞いてない?……お前に会う前に家を出てしまったか。私も助言したが、そこまで速く行動するとは」
「アレはお前の仕業だったのか!?」
「……私なりに参真を気遣っての事だ。恨みを抱いた同志として、な」
……思い当たる節はある。
参真は絵を描く技術に優れ、業界ではそこそこ名が売れていたそうだ。
しかしある種の……人の悪意に晒された結果、その世界から追放に近い処分を受けている。ここの話も留学中故、真次は後から父親つてに知ったのだ。兄が続ける。
「あの時の参真は……怨みさえも絵として表現していたよ。目にした人間に呪詛を残す絵だった。芸術にさして興味はなかったが、あの弟の憎悪は深く共感できる物だった」
「…………」
「だが同時に、あの絵眺めて……怨みに憑かれた弟を見て、私は己の姿を知ってしまった。私は全てを怨んで呪って、人の足を引っ張るばかりだが――あいつはそこから創造できる。
暗闇の中で泣き喚きながら、他人を引きずり落とそうとする私と、
暗闇の中で絶望しながらも、一人黙々と絵を形にする参真……
そのどうしようもない差を、まじまじと見据えてしまったことが自殺の原因だ」
なんて身勝手な動機か。残される人間の事が、これっぽっちもありはしない。真次は腹を立て、肺腑に溜まった息を吐きだし……同時に、酷く兄らしい動機だと納得した。酒器を突き出し、兄に酌を求める。真也は苦笑し、酒を注ぎ、真次が飲み干す。
「参真の在り方に、勝手に打ちのめされたのか」
「主な要因はな。それにあのまま私が生きていれば、間違いなく参真の足も引っ張ろうとする。私は私のクズっぷりをよく理解していたからな。それを阻止するには自殺しかなかった」
「………………極端過ぎるだろ」
つまり……まだ立ち直れる参真を邪魔しないために、もう立ち直れない真也は命を絶ったという。他の手段もあったのだろうが、元々破綻していた人格が、参真を眺めてさらに壊れたのだろう。けれど兄の目に憎しみはない。故に真次は尋ねる。
「……だったらアイツと酒呑んでやれよ。俺より話すことあるだろ」
現に今も、二人は完全に喧嘩腰の口調だ。生前も水と油で、ロクに話がかみ合わず……幼いころは取っ組み合った中である。成長してもちょくちょく激突はあった。
酒を飲むならそんな兄弟より、少なからず情を持った相手の方が良いだろう。順当な質問に、兄は顔を微かに歪めた。
やり切れないような、後味の悪い胸のつかえに触れた顔。表情を冷たくして、真也は語る。
「隣に彼女がいなければ問題なかった。しかし我々の目的を考えれば、今のアイツとは分かり合えない」
「目的?」
「ふふふ、聞いて驚け? 我々の目的は……幻想郷の完全破壊だ」
「何言ってんだ……?」
イカれてると理性が断じる。けれど今まで見た異変と重ねると、ただの誇張ではないとも断言できた。
ルール無視の弾幕で妖怪を殺傷し
幻想郷各所に襲撃を仕掛け
人里には黒い炎の病をばらまき、人間全体の不安を煽る。
ただの異変としてはやり過ぎな行動は『最初から幻想郷を破壊するつもりで動いていた』と定義すれば筋が通る。通るのだが……その場合致命的な結果を、彼ら怨霊集団にも招くのではないだろうか?
「それやったら……この世界の妖怪だけじゃない。お前らも消えちまうだろ」
「承知の上だ。いっそのこと我々は『消えてなくなった方がマシ』な仕打ちを受けている。今更自死なぞ恐れるものか」
「……無敵の人の幻想入りは、まだちぃと速いんじゃないかね」
「いつ如何なる時代、どんな世界にもいるだけだ。ババを全部押し付けられた結果、世界を怨む人間は。名前がついたのが最近なだけだろう」
渋々兄に酒を注ぐ。表情を変えずに、怨霊の長は喉を鳴らした。
「……機会がなくなるってのは、そういう意味か」
「あぁ。幻想郷が滅びれば、当然私も、我々も消滅する。万が一我々が敗北したとしても、私は恐らく死んでいるだろうからな」
「…………」
止めたらどうだ、などとは言えない。怨霊たちはこの世界に血を流しすぎたし、最初から全面交戦を選んだのだ。今更矛を収めるとは、到底考えられぬことだ。
それだけの憎悪を何時、どこで抱いたか。尋ねたい欲求はあるが、解答を求めても無駄だろう。代わりに真次はちらりと幸村の方を見た。内情を知る英雄の反応を、現代人が注意深く観察する。
彼は苦々しく口を結び、眉を歪めて目を閉じていた。怒りを抱く様子はなく。苦しみと悲哀を無言で物語っている。話せなくとも分かる。あれは――二つの言い分に、板挟みになった人間の顔だ。それも、双方一理ある事柄の……
「…………本気なのは、分かった」
「物分かりが良くて助かる」
「けれど思い通りにはさせねぇ。お前の野望は絶対止めてやる」
ぐいと酒瓶を押し付け、真次は鋭く睨みつける。溜息まじりに兄が受け取った。
「やれやれ……お前はこの世界に愛着もないだろうに。それでも立ちふさがると言うのか?」
「そうだな。こっちの暮らしは長くねぇ。ただ……ここの住人は現世じゃ生きられねぇから、ここで暮らしてただけじゃねぇか。そりゃ全員が全員公平に暮らしてないけどさ、幻想郷流なりに生きてるだろ。それを荒らし回りやがって……」
怒りを込めた言葉を受けた真也は……低い声で嗤い始めた。悪意を切り離す能力を持っている真次にさえ、うすら寒い物を感じさせる濃密な悪意が、怨霊の集合体から発せられる。今にも暴発しそうなほどの悪意を、辛うじて兄は言葉にしてまとめた。
「幻想郷が生きている。それこそが我々に犯した罪なんだよ」
「…………は?」
「真次……我が愚弟よ。お前は今回、我々の異変に何度も関わった。恐らく八雲紫から真実を聞かされるだろう」
無数の怨霊を集めた男が、がしゃどくろと化した兄が酷薄な笑みを浮かべ、酒の席から立つ。発した存在感に妖怪が気がついたからだろう。ややこしい事になる前に、異変の元凶が抜け出そうとする。気配が闇に消えゆく直前、一度だけ振り向き言い残した。
「その時が楽しみだよ兄弟。お前は楽園の真実を知ってなお、我々の敵でいられるかな?」
引き留める間もなく怨霊が消え去る。宴の喧騒が周囲を包む中、真次と幸村だけは盃を握る手が震えていた。幻と疑いたくとも、空いた瓶と残った酒器が現実と物語る。
「くそ……酒が不味くなっちまった」
「……全くです」
一気に酔いが醒めてしまった二人。改めて飲みなおす気分にもなれず、首を落として盃を見つめる。
器の中で震える液体は、暗い表情の顔を映しだした。
7月18日 13:58




