STAGE 5-24 地底解放作戦・9 三歩必殺
一歩踏み出す度に大地が悲鳴を上げ、一手繰り出す度に大気が荒れ狂う。
余波だけで気絶しそうな、圧倒的な暴威を引き起こすのは……鬼の四天王、力の勇儀その人だ。拳の圧が周囲の建物に傷をつけ、繰り出す足は地面を凹ませる。
こんなのと闘うなんて正気ではない。今の星熊勇儀は暴威の権化だ。敵対したら命がいくつあっても足らないだろう。誰もが同じ感想を抱く光景の中で、紅蓮の鎧武者は生存していた。
否、ただ生き残っているのではない。人も、妖怪も、同族の鬼さえ恐れさせる怪力の嵐を受けながら、真田幸村は鬼に立ち向かっていた。
「はああああああっ!!!」
槍を突きだし、足さばきで剛腕をいなす。避け切れぬと見れば、巧みな受け身で被害を押さえ、同時に忍具を仕込み反撃する。一つ一つは小賢しい技でも、学び集め、修練を積み、己の身に刻み込んだ無数の武が、怪力乱神と拮抗した。
それは忍びの業であり、侍の業であり、農兵の業であり、舞の業であったモノ。彼が体験し、学び、身に着けてきたすべての業を束ねて、純粋な暴力に対抗する。業の権化と力の権化は……お互いに、笑っていた。
「ははっ! ははははっ! あはははっ!!」
「うおおおぉぉっ!!」
真価を発揮できず、誰にも技能を見せることなく燻った『紅蓮の戦神』と、圧倒的な怪力故に、誰にも正面から挑まれなくなった鬼神が激突する。性質も経緯も逆なのに、闘争への願望だけは酷く似通っていた。
正反対の型の相手を、討ち果たそうと全力で争う。血を滾らせ、汗を蒸発させ、肉を唸らせ、魂を削りあい……自身のすべてを吐きだしても、敵対する相手は潰れないのだ。
それが楽しくて仕方ない。それが嬉しくて堪らない。傍から見れば死線をぶつけ合う攻防でも、二人にとっては対話に等しい。言葉を介さずとも……駆け引きや肉体のやりとりで、お互いの意志が魂魄に響く。その結果傷や疲労が生じても、己を賭けたやりとりは止められない。ようやく得た舞台から降りる気なぞ、起こり得る筈もなかったのだ。
それはもはや、二人にしかわからない世界。けれど、それで良いと二人は思う。この戦いの歓びを知っているのは、目の前の戦士一人で良いと。
周囲の構造物が荒れるにつれて、勇儀と幸村の挙動も鈍りだす。全身全霊を注いだために、肉体にも精神にも異常な負荷がかかったのだ。このまま根競べを挑むのも一興だが……二人は示し合わせたかのように、大きく間合いを取る。互いの必殺をぶつけ合って、決着をつけることを既に了承していたから。
星熊勇儀か構えるのは、山一つ消し飛ばす彼女の奥義。
怪力乱神の力を集束し、三歩の間合いにいる相手を必ず殺す力技――
「四天王奥義……三歩必殺!」
一つ足を踏み鳴らし、片足を地面に固定する。それは例えるならば、弓の狙いを定める動作。辺りの建物がぐらりと揺れたが、そんなのはただの余波に過ぎない。
二つ足を踏み鳴らし、右の手をぐっと引いて腰を落とす。構えた弓に矢を遣え、きりきりと弦を引き絞るように力を溜めた。
三歩必殺の内二歩は予備動作。怪力乱神の力を右手に束ね、全身を必殺の投射機へと変える。血管が浮き出て禍々しく脈打ち、折れるほど歯を食いしばり自己の力に備えていた。必殺技へ注ぐ力は常識を超えており、星熊勇儀の肉体にも少なからずダメージが入る。そのために構える必要があるのだ。
……真田幸村は、動かない。
四天王の必殺に備えているのだろうか? じっと観察の目線を注ぎ、槍を握る『紅蓮の戦神』は身じろぎ一つしない。一見勝負を投げたかのような姿勢だが、鬼だけは真意を知っていた。
ここにきて、力の差を理解した程度で、真田幸村は勝負を投げる男ではない。何らかの応手を用意しているに違いない。静かに何かを溜めている……その気配を勇儀は感じ取っていた。
背筋を走る電流は、果たして悪寒か恍惚か。男もまた腹をくくって備えている……鬼の四天王を倒し得る必殺の構えに、恐怖を感じているのか、武者震いかの判別が出来ない。
それが、堪らなく嬉しい。久しく感じた死の匂いさえ愛おしく、増々勇儀は滾ってしまう。魂を込めた一撃を、三歩目と同時に繰り出そうとした。
その刹那……『時間が静止した』
必殺を放つか、放たぬかのそのわずかな間。進むことも引くことも許されず、全身は疎か空気さえ重い。思考だけが高速回転する中、勇儀はその絶技を目撃する。
一体如何なる技法を用いたのか? 必殺を構える勇儀の懐に飛び込み、その首を刎ねんと忍刀へ持ち替えている。槍を置き去りに飛翔した、喉元に迫る赤備えの姿に絶句した。
全く……認識できなかった。
槍を捨てた瞬間も、忍刀に持ち替えた瞬間も、この距離を詰める動作も……その一切合切が鬼の脳裏に残っていない。文字通り『気がついたら眼前に居た』としか表現できなかった。
このままでは……必殺を放つ前に首を落とされるだろう。
何たる技能、そして何たる度胸か。今、この刹那の思考は意図的でない。人間で言うところの走馬灯だ。絶命間近の脳が死を拒絶せんと、その演算処理を急激に高めているに過ぎない。
星熊勇儀が人間なら……いや凡百の鬼であったなら、このまま首を差し出したのかもしれない。しかし彼女は鬼の四天王……怪力自慢の鬼の中で、力の勇儀と呼ばれた鬼神だ。彼女もまた、諦めるようなマネはしない!
時の鎖と、己の型に囚われた肉体に、強引に動けと鬼が命じる。それでも動作しない身体へ、右腕に溜めた力を分散させた。
怪力乱神の暴威が逆流し、星熊勇儀の肉体を焦がす。構えが崩れ、三歩必殺の威力は大きく削がれ、自身の筋力が骨と内臓を軋ませた。
殺到する痛苦に魂を焼かれながら、絶叫を上げて時の拘束を引きちぎり拳を叩きこむ。
二つの必殺が激突した瞬間……地底中の大気が爆ぜた。
我流秘技「霧隠・唯の閃」を放った瞬間、真田幸村は勝ちを確信した。
その知られざる秘術の要諦は二つ。忍びの隠形と侍の瞬歩。
幸村は忍びの修行も重ねたが、唯一隠密の技術だけは会得できなかった。彼は存在感を示し、覚悟を示し、人心を束ねる能力に長けるが……気配を殺す技術はこれの真逆。己を殺し、存在を殺し、誰にも知られず気づかれない技能は、真田幸村の性質と大きくかけ離れている。精々習得できたのは、ほんの数瞬だけ気配を殺す程度だった。
恐るべきは……その未熟な隠形を、侍の歩法と組み合わせたことだろう。
『瞬歩』の通称を持つその歩法は、鎧を纏い、刀を構えていようとも……一瞬の間に距離を詰める脅威の技。凶悪極まる戦闘術だが、予備動作に癖があり、知っていれば捌くことも出来るだろう。
だが……瞬歩の構えや、発動の瞬間を認識出来なければどうなる? 一瞬の内に距離を詰める技と、一瞬だけ存在を絶つ技を組み合わせたら?
それこそが、彼の秘中の秘。刹那の内に距離を詰める前兆さえ、相手に悟らせず首を落とす、侍と忍の技術の融合技……『瞬歩を越えた瞬歩』。
例え人知の及ばぬ鬼であろうと、反応を許さない必殺技。相手が並みなら勝負がついていた。
だが……次の瞬間、幸村はぞわりと産毛が逆立った。
鬼の表情の変化に気づく。察知不能のこちらの姿を認知し、顔の筋を強張らせていた。全身の筋肉を強引に鳴動させ、ぷちぷちと己の血管を引きちぎってまで拳を振るう。
幸村も速度を上げる。奔る刃は首ではなく拳を狙い、その腕を切り捨てんと全霊を込めて叩きつけた。
二つの必殺が激突した瞬間……地底中の大気が爆ぜた。




