STAGE 5-20 地底解放作戦・5 妖刀霧散
一歩踏み出す度に大地が軋み、一手繰り出す度に大気が揺れる。
元々鬼には力自慢が多いが、その中で四天王と称され『力の勇儀』の二つ名を賜った怪力は、掠めただけで吹き飛ばされてしまうほどだ。
怨霊どころか、同族同士でも正面から受けるのは無謀。絶望的な暴力に晒される幸村は、しかし既に何合か凌いでいた。
「くっ! つぅっ!!」
苦悶を訴える声色。完全に押し込まれているが、彼女相手に即死しないだけ上等と言えた。十字の槍を翻し、防戦に回りながらも反撃を忘れない。十字の側面部分を振るい、鬼の踏み込みを鈍らせる。
意に介さず身をかがめ、懐に飛び込む勇儀。アッパーカットの構えを察した『彼』が、そのままの勢いでくるりと槍を掲げる。下段から突き上げられる拳が、上段から振り下ろす槍とかち合う。がきぃん! と、まるで金属が打ちあうような音を鳴らし、相殺しきれない力が互いを反発させた。
「すげぇ……星熊勇儀と勝負になってるぞ」
「流石戦神様だ」
固唾を呑んで見守る『彼』の配下たち。けれどそれは、あまりに的外れな感想であった。
勇儀は片手に盃を持ち、中に入った酒を零さぬよう戦っている。ハンデをつけているのだ。さらに言うなら、今までの数合は肩慣らしに過ぎない。鬼の身体が温まってくれば、恐らく一方的な戦いになるだろう……
それを正しく認識している幸村は、闘争に集中しようとする。けれどその度に、やかましく、恨みがましく、『村正』が耳元でわめきたてるのだ。
何たる無様だ。武将は己を叱咤する。自己の感情に由来するとはいえ、いい加減このつまらない戯言に……心底、うんざりしてくる。待ち焦がれた闘争の時であるはずなのに、どうしてこうもままならないのか……!
二手、三手とぶつけ合い、辛うじて凌ぎ切る幸村。冷や汗を滲ませる彼に対し、鬼はひどく退屈そうに、一つ大きなあくびを見せつけた。
「全く……何だいそのザマは? せっかく楽しめると思ったのに、期待外れもいいとこだ」
「……くっ」
露骨な挑発を受けても憤る事さえできない。槍を握る手に力がこもり、瞳を閉じて歯を食いしばる。鬼の四天王は、彼女自身の熱量を込めて叫んだ。
「そんなザマで負けて満足か? そんなザマで勝って満足か!? アンタのホントの望みは何だった!? 下らねぇモン全部捨てて……全力でアタシをぶっ倒しに来いッ!!」
鬼の一喝が魂に響く。ノイズだらけの思考の中でも、言霊は深く彼の心に突き刺さった。それでも耳障りに喚く『村正』を握りしめ――『彼』は全力で、刀を明後日の方向に投げ捨てた。
遥か過去、徳川を討ち損ねた時……彼はやけっぱちで『村正』を投擲した。
かつてと同じ行いは、意味を大きく変えて飛翔する。妖刀と共に怨念を振り払い、彼は呪いと無念と決別した。使い手を失った村正は、地面に落ちた途端砕け散る。
脳内に残る靄を祓うように、二度三度と槍を旋回させる。その度に怨霊としての気配が霧散し、漆黒の塗装が少しづつ剥がれていった。
純黒の膜から、鮮やかな紅蓮の鎧が姿を現す。もはや彼は怨霊ではない。ままならぬ時勢に槍を折らず、最後まで戦い、挑み続けた一人の英霊――
その所作、その挙動の鋭さ力強さは、怨霊としての彼とは比較にならない。待ちに待った好敵手の姿に、ぶるりと鬼は武者震いした。
「やれやれ……まさか妖に諭される日が来ようとは。拙者もまだまだ未熟者よ」
ふ、と自嘲を漏らす彼の顔に、先ほどまでの暗鬱はない。澄んだ闘気を身にまとい、瞳に炎のような戦意がある。周辺を囲う怨霊たちも息を呑んでいた。
「……イイ面構えになったね」
「いや全く、不甲斐ない姿をお見せした。ここからは……拙者も本気でお相手致そう」
紅の甲冑に闘志を漲らせ、ひゅっ! と風を切り裂き槍を構える。鬼は獰猛な笑みを浮かべ、強敵の姿に歓喜した。
彼女の意気に答えるように、大音声で彼が名乗りを上げる。
「拙者は信州、上田城城主……真田昌幸が次男、真田信繁! 後の世にて、真田幸村として謳われる者! されどあの伝承は、我が技巧の一部に過ぎませぬ。語られざる我が真価……とくとご覧あれ!!」
「応っ!!」
本来の姿を取り戻した強者が、真っすぐに星熊勇儀を見据える。退屈な余興はここで終わり、闘争を求める二人の戦士が、互いの力をぶつけ合った。
***
「! 真次! これって!?」
「ああ! 勇儀の姐さんが上手くやったみたいだな!」
同時刻、地霊殿正面の一夜城前――
星熊勇儀が『紅蓮の戦神』の怨霊化を解いた直後、怨霊軍の攻勢が明らかに鈍った。
恐らく、大将が無念を捨てた影響だろう。指示が届かなくなった影響か、それとも動揺かは不明だが、隊列が酷く乱れていく。
本当ならここで攻勢に出るのが最善手。だが誰もが持ち場を守る事に専念する。なぜならば――うっかりそれで勝負を決めてしまっては、星熊勇儀を激怒させかねないからだ。
もちろん皆は、地底を取り返したいのは当然だ。けれど、星熊勇儀が洞窟で宣言した通り、彼女は強者との一騎打ちを望んでいる。それを邪魔してしまっては、彼女の逆鱗に触れることになるだろう。
「そんなにヤベーの? 勇儀の姐さんの本気って」
「わたしも見たことないけど……必殺技は山一つブッ飛ばせる威力らしいよ」
「じょ、冗談じゃ……」
「鬼は嘘が嫌いだし……あの人は四天王、力の勇儀だからね。多分本当じゃないかな」
そんな怪力持ちを怒らせたらどうなるか……万が一その必殺を、真正面から受けようものならミンチである。いやあるいは、一瞬で血煙ではないか? 聞いただけでも身の毛がよだつ話だ。
「そいつは……敵に回したくねぇな。真田幸村に同情するぜ」
「まぁ、普段は力を抑えてるけどね。そうしないと愉しめないからって」
「どう見てもバトルジャンキーやんけ……」
「バ、バト?」
「あー……戦闘狂って意味だ」
「ああ、うん。大体あってる」
げんなりと肩を落とす二人は、不思議と息が合っている。合体スペカの一件といい、普通に話す分には馬が合うようだ。
「それじゃ、後はゆったり固めようか。わたしが弾幕張るから、怪我しちゃった妖怪を治してきなよ」
「助かる。ああでも、その前に建材を追加しとくぞ」
「いいねぇ。ちょっと削れてて不安だったんだ」
てきぱきと二人が共同作業で陣地を補強する。手慣れたもので、ヤマメが修繕したい箇所へ材料を運び、適切に壁を組み立てていく。怨霊の攻撃も何のそので、完全に抑え込めていた。
「予備も置いとく。不安なら使ってくれ」
「あいよ! 気が利くねぇ!」
戦闘を続ける妖怪たちに背を向け、負傷者の手当てに回る真次。
彼が歩み始めた直後、地霊殿の下で、激しい剣戟の音が響き始めた。




