幕間 それぞれの戦い
四季映姫は考える。
浄瑠璃の鏡は、彼がここに来るまでのすべての行いを映し出していた。
つまり真次の視点越しに、彼女は今回の異変を体験したことになる。今に至る状況を知った四季映姫は、険しい顔で黙考した。
――死後の魂を裁く閻魔の目線でも、今回の異変はかなりの異常だ。
幻想入りが考えにくい、現世側に未練を残したであろう怨霊の異変。実像との解離が、幻想郷へ入る条件を満たしたのだろうか? ならばなぜ幻想郷へ敵意を向ける? 現世で怨霊になったのなら、憎悪の矛先は現世のはずだ。
だが現実は、彼らら彼女らは口々に『幻想郷が憎い』とか『八雲紫が憎い』と叫んでいる。地獄側になんの説明も弁明もないことから察するに、恐らく八雲紫個人の落ち度だろう。紫は四季映姫の能力を苦手としている節もあり、他に理由が考えられなかった。
しかし、怨霊の異変であるのならば、地獄側に不備がある可能性も否定しきれない。一度地獄側に向かって、管理状況を確かめる必要がある。庭渡 久侘歌と顔を合わせ、そのことを告げた。
「私はこれから、地獄の状態を確かめてきます。それと西本真次へ、非常口の使用許可は特例処置です。また、浄瑠璃の鏡の内容もプライベートな情報が多分に含まれます。基本口にしないように」
「かしこまりました映姫様……ところで、西本真次とは? 鳥頭なもので、もうよく覚えておりません」
おどけているようで、実に頼もしい反応だった。実際久侘歌は覚えているだろうが、忘れたと言い張れば、追及できる輩はいない。
「その調子でお願いします。……私の情報筋では、敵は無差別に攻撃してくるようです。あなたも身辺には気をつけて」
「はい」
互いの領域へ、戻っていく二人。
果たして八雲紫は、いったいどこで何をしているのやら――
***
白玉楼に戻った幽々子を待ち受けていたのは、一触即発の空気だった。
彼女の従者、魂魄妖夢と
彼女の友人、八雲紫が鋭い気迫で向かい合っている。
今にも本気で戦い始めかねない空気は、二人が幽々子の帰還を察知したことで和らいだ。
霧散しかけた緊張感を、亡霊少女が繋ぎ止める。
「答えて。どうして二人とも戦うつもりだったの?」
妖夢と紫の関係は悪くない。二人とも幽々子と接点があり、顔を合わせる機会も多い。普段は幽々子が席を外したぐらいで、険悪になる間柄ではないのだ。
主の言葉に、従者は怒気を含む声を発した。
「……怨霊の一人と刃を交えました。彼女は大層、紫様も怨んでいた。嘘を吐いているようにも見えませんでしたし……今回の異変、紫様の対応も鈍すぎます」
「……言いたい事、わからなくもないわ妖夢。けれどね? これだけの事が起きて、紫が何もしていないなんて、ありえないわ。私のところに顔を出さなかったのは……応対に追われてたのと、私を異変に巻き込まないようにするためでしょう?」
気心の知れた仲だからこそ、話せない事柄もある。友人の苦しみを察し、幽々子は代弁するような口調で妖夢を諫めた。
紫は諦めたように、ひどく疲れた表情で呟いた。
「……かなわないわね、幽々子」
「何年あなたの友人やってると思ってるの? これぐらい当然よ」
「そうね……あなたとは、長い付き合いだものね……」
そして紫はぽつぽつと、『今回の異変が何なのか』を語りだす。
概要さえ知ってしまえば、なんてことはない。忘れ去られ、最後の楽園にさえ拒まれた者たちの報復劇。すべてを受け入れる幻想郷の欺瞞――それが今回の異変の核だった。
「なんて、こと……なんてことを……!」
「やめなさい妖夢。幻想郷ができたころから『あんなの』が好き勝手していたら……この世界が楽園になったかどうかも怪しいわ。でも……封印に使った道具は、紫の能力で何重にも防護してたのでしょう?」
妖夢は憤慨し、幽々子は疑問を投げかける。紫が封じるのに用いた『壺』は、この場にいる全員より前に作られた物だ。その取扱いを誤ったとは思えない。けれど、紫は深く悔いた様子で、大きく息を吐いた。
「……多分、無駄だったのよ。この道具は最後、必ず封が解かれてしまう。中身の厄災が世界を犯す……そういう因果を持った、呪いの神具だったのよ」
遥か古来、神代の時代に作られたその道具の名は――○○○○の○
現代では容器が取り違えられ、原点は幻想郷へ到達した神具だった。
***
木々の合間、影と影を躍る狼たち。
次々と妖怪たちを手にかけ、屍の山を築く姿は、動く厄災そのものだ。
中心にいる男が、瞳の色が異なる少女の首を掴み、喉を圧迫しながら持ち上げる。高圧的な愉悦を浮かべながら、漆黒の瞳が尋問する。
「知っているのならば答えろ。結界の起点はどこだ?」
有象無象を蹴散らしながら、男は気まぐれに尋問する。その答えがどうあれ、彼等は誰も許しはしない。道草を適当にちぎって、投げ捨てる子供のような感覚で……彼らは幻想郷に牙を剝く。
呻く少女の苦しむさまを、クククと嗤って鑑賞する。首の骨を手折られる寸前で、横からの弾幕が男に直撃した。
腕から解放された少女がせき込む。かばうように弾幕を放った人物が、男と狼の群れに割って入った。
――互いを認識した二人の男は、お互いに絶句する。硬直し、混乱したまま、言葉を交わした。
「西本 参真……か?」
「真也兄さん!?」
真次の兄と、真次の弟。世界を越えて、彼等もまた再会を果たした。
あっけに取られる弟を尻目に、兄は思考を巡らせて、独り言のように呻く。
「そうか……確かお前、地底で死にかけた時、あの世側と一瞬混線していたな。全く運のいいやつだ。『紅蓮の戦神』と遭遇しなくてよかったな? まぁ……残念なことに、お前はもう我々の敵なのだが」
「……兄さん」
かつての見知った相手に、参真はためらい、真也は戦意を漲らせている。ちりちりと焼けるような空気の中、かばわれた少女、多々良 小傘も震えていた。
「本当に、本当に残念だ。忘れ去られるほど現実から距離を取り、憎しみを臓腑に染み込ませた頃のお前なら、同朋と呼べたものを――!」
膨れ上がる力。推し量れずとも、途方もないエネルギーが破裂する刹那……遥か上空から鋭い光が怨霊を咎めた。
はっきりと舌打ちを零し、男が「撤収!」と宣言する。怨霊たちも素直に従い、蜘蛛の子を散らすように逃げていった……
***
「ごめんお母さん。また逃げられちゃった」
ニアからの通信が、にとりの耳に届く。
彼女は妖怪の山を飛び出し、怨霊たちの動向をきっちり監視している。派手な動き……つまり誰かが積極的に襲われた場合、レーザー砲で援護し窮地を救っているのだ。
遥か上空からの監視活動は、妖怪の山全体にとっても有益で、もし侵入者が縄張りに侵入すれば、即座にニアが通報してくれる。まだカメラ精度も荒く、警備の天狗たちへ通達する手段も少ないが、ニアを妖怪の山の一員として迎え入れる空気になっていた。
とはいえ、にとりとしては心配な所も多い。彼女は初めてレーザー砲を用いた時から、一度も地上に戻ってきていないのだ。
「ニア。そろそろ私のところに帰って来て」
「……大丈夫。まだ追えるよ。元々私、心もないし、疲れもしない機械だし」
本気で口にしている娘の言葉に、技術者のにとりでもカチンと来た。
「それは昔の話! 今のニアは心があるの! もうずっと無理してるんでしょ!? 声にノイズ混じってるし!!」
「えっ!? 嘘!?」
「そうだよ。今のは嘘! でも引っかかったってことは、やっぱりニア疲れてるんじゃん!」
「……うぅ」
「あれだけ牽制入れておけば、向こうも迂闊に動けないよ。メンテナンスも必要だし、戻ってきて?」
にとりの声に感極まった様子で、ニアは小さく「うん」と呟いた。宇宙を独り突き進む運命だった彼女は、初めて誰かの元へと帰還するルートを取った。
「けど本当に大丈夫なの? あの人たちから目を離して」
「とある筋の情報だけど、八雲 藍が動いているみたい。だから大丈夫! それよりも、ニアが倒れたりしたら……私泣くよ?」
「大げさじゃない?」
「大げさじゃないよ。新しい装備も開発してるから……ちゃんと顔みて話そう。通信機は便利だけど、やっぱり味気ないからさ……」
まるで子離れできない親のよう。にとり本人も意外なほど柔らかい口調で、ニアとはやりとりしてしまう。らしくないなと仲間に指摘されたが、河童の少女は、彼女との関係を心地よく感じていた。
***
紅い館の中、八雲藍は図書館内でパチュリーと対話していた。
彼女たちは一度襲撃を受けている。怨霊たちと戦った感触を知れたのは、思わぬ収穫であった。おかげで説明も短くて済んだが、肝心の本題だけは通せなかった。
「どうしても、だめか」
「……えぇ。レミィとも今日までに、よく話し合って決めたことなの。申し訳ないとは思う」
館の主、レミリア・スカーレットは『運命を操る程度の能力』の持ち主だ。副次的な効果として、ある程度未来を見る事も出来るらしい。彼女にとっては、今日の藍の来訪も見えていたのだろう。その上で決めたことでは、覆しようがない。
「でも、幻想郷の危機はレミィも理解している。……これを持って行って」
パチュリーが差し出したのは、銀のナイフに魔術の刻印がされた物だ。
美しく、鋭い光沢を放つ刃先は、一目て高品質であることが窺える。一体どこから……と巡った疑念は、比較的すぐ解決した。
「十六夜 咲夜のナイフか?」
「そうよ。銀は魔除けにもなるし、こうした魔術の付与も容易な素材。彼女に頼んで、一本使わせてもらったわ。このナイフを西本 真次に渡して」
「彼、使い道が分かるのか?」
「自動で発動するよう調整してあるから、大丈夫。私は一度彼の銃に刻印したこともあるし、問題は起きない。これがあの怨霊集団に対する、切り札になるはずよ」
「……わかった」
直接の協力は得られなかったが、収穫は十分にあった。銀のナイフを懐にしまい、パチュリーに会釈してから図書館を去る。
残るめぼしい勢力は、命連寺と仙人たちだろうか? 打てる手はすべて打たねばならない。八意 永琳も認めた今回の異変は、決して黒幕の野望を成就させるわけにはいかないのだ。
(紫様も、何か対策して下さればよいのだが……)
不安と不満はある。けれど文句は、異変を乗り切った後で良い。決戦に備えるべく、八雲藍は次の勢力の下へ足を運んだ。
***
「師匠! 結果出ました! これで発症を抑制できます!!」
「良かった……長かったわね。薬を作るのって、ここまで大変なんて知らなかったわ」
「顔を上げて下さい姫様。姫様の助力がなければ、臨床試験に長い時間が必要でした。改めて、助力に感謝いたします」
ひとしきり言葉を交わした後、三人は疲労を滲ませながら、小さく拳を握って歓喜した。
異変が原因で人里を脅かしている「黒き炎の病」その正体は呪いだと、真次が魔理沙に託したメモに書かれていた。魔理沙の加筆も加わり、間違いないと断言できる。それでも、解呪には西本真次の能力ぐらいしか打つ手がなかった。
しかし真次と共に人里の様子を見に行き、ウドンゲは人々と置き薬の様子を確認していた。その際……苛立ちやストレスを緩和する薬が、多く減っていることに彼女は気がついた。
さらに、黒き炎の病が発症する前段階として、言動が攻撃的になることが確認されている。そして決定的だったのは……ストレス緩和の薬を服用していた人間は、発症が遅い傾向が見られたのだ。
ウドンゲの指摘を受けた永琳は、すぐさま効果の強い不安抑制剤や、精神安定剤の製作に移った。この手の薬は副作用が強くなりがちで、安全な試薬を作るのも難儀した。
されど、月の賢者たる永琳は『あらゆる薬を作る程度の能力』の持ち主である。彼女の技能であれば……副作用は少なく、所定の効果を見込める薬品を生成できる。
問題は実際の効果と、想定の差異を確かめる時間取れない事。幸いなことに、新薬の治験希望の人間は居たのだが、効果が出るまでどうしても時間が必要になった。
そこで――蓬莱山 輝夜が力を貸した。彼女の『永遠と須臾を操る程度の能力』は、状態を保存したり、逆に長い時間を一瞬にする能力だ。薬の治験において、これほど役立つ能力も珍しい。ほんの一瞬で終わった試薬の効能は絶大で、ほとんど発症を抑えることが可能だった。
「すぐに人里に持って行きましょう! 私も調剤を手伝います!」
「お願いね。姫様は……」
「今永遠亭にいる人に配ってくるわ」
「ありがとうございます」
永遠亭の総力で異変に立ち向かい、人里に蔓延する不安を取り除くべく動き続ける。先行きのわからない暗闇は徐々に晴れ、反撃の下準備は整いつつあった。疲労を滲ませているものの、彼女らの顔には活気がある。薬片手に部屋を去る直前、ふと輝夜が口にした。
「にしても、真次の帰り遅くない?」
永琳もウドンゲも、同じことはぼんやりと考えていた。先輩のウドンゲは、ぷりぷりと頬を膨らませて予想する。
「どーーーーーせ、厄介ごとに首を突っ込んでいるんですよ! 本当、いつまでたっても懲りないんですから!」
「そういう人だものね……はぁ……」
「早く帰ってきてほしいですよ! 全く!」
憂鬱な溜息を吐きだして、永琳も呆れ顔。実際、真次は地底に飛び込んでいるので、反論は許されない。
それぞれの戦いが進む中で、旧地獄、地底においても大規模な戦闘が始まっていた……




