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STAGE 3-47 条件 後

 7月9日 21:22



 明かりの少ない縁側で、永琳と二人で冷えた麦茶を一杯。

 チリリンと、風鈴が涼やかな音を立てながら、香ばしい液体が身体に染みていく。やはり夏場はこれがいい。氷の入ったアイスコーヒーも悪くないが、冷蔵庫のない幻想郷で飲むのは、少々難しいことだった。

 まともな冷房のない幻想郷だが、現代よりも熱さは感じない。舗装された道路も、クーラーもないからか? 不便さもあるが、居心地は良い。

 本当に異変なしに、この世界をゆっくり回ってみたかったが、異変を放置する気は起こらない。一息入れた後、二人は話の続きを始めた。


「落ち着きました?」

「……おぅ。一応な。で、少し俺なりに、永琳先生が言いたい事考えたんだけどよ」


 彼女の方を見つめて、真次は語る。


「要は、聖徳太子も、今回の異変起こしてる連中も、本当の意味で忘れ去られてるとは違う……ってこと言いたいんだよな?」

「そうです。その通りです」


 頷く彼女に、真次は胸を撫でおろした。


「電子媒体が普及した現代じゃ、ほとんどの事は記録として残ってる。だから、記録さえ残らずに消失するなんてことは珍しいから、幻想入りなんざ起こらないように見えるが……」

「残っているのは記録だけ。そして記録は、分かりやすくしか残らない。例えば、昔の人物のことを記録しようとしても、記録に残らない部分は必ず出てくる。取りこぼしが起きてしまいます。言動が手紙で残ってることもありますけど……」

「それも結局、一側面が残ってるってだけだしな……時と場合で、意味が変わることもある」


『パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃない』……とある人物の有名なセリフだ。

 革命のやり玉に挙げられた彼女だが、この言葉を聞いた民衆は怒り狂った。しかし、彼女が言ったのは事実だが、幼少のころの、まだ常識も知らぬ時期の発言だった。

 かくして、悪しき象徴として断罪され、その後の創作物でも悪役として名を馳せたが、本当に悪人だったかどうかは不明である。実像は闇の中だ。

 ならばそれは『実像が忘れ去られた』という事。

『ニア』いや『パイオニア11号』は、これに該当している。記録はしっかり残っているが、通信途絶した『パイオニア11号』の実態はもうわからない。

 宇宙船に乗った知性体が、偶然見つけて調べているかもしれない。

 どこか生物のいない惑星にたどり着き、乾燥した星の表面で横たわっているかもしれない。

 あるいはまだ、星の海を進んでいるのかもしれない――かもしれない、だらけだ。

 想像や可能性はいくらでも広げられるが、その実体だけは永遠に掴めない。一番最初の出来事が起きていれば、そのうち宇宙人が『コレ、おたくが打ち上げたんですよね?』と運んできて、実体が明らかになるかもしれないが……


「名前や人物が語り継がれてても、実体像が失われてると幻想入りの条件を満たすのか?」

「現状、その考えでいいかと」

「怨霊かどうかは?」


 永琳が顔をしかめる。


「そちらについては、なんとも。ですが、気にした事もありませんでしたが……『怨霊が直接幻想入りしてくる』話は、ほとんど耳にしたことがありませんでした」


 少しづつ、今回の異変が見えて来た気がする。

 ありえないと思ってた人物たちは、実像がズレた人物たち。『ジャンヌ』はさほどズレがない気もするが、それは真次が知らないだけ……なのだろう。

 そして永琳たちの話を聞くに、幻想郷にとって怨霊は都合が悪い存在のようだ。地底に押し込められ、基本は表に出てこない彼ら……それによる反乱も考えられる。異変の首謀者、怨霊を率いているのは、自分の兄――考えてるうちにふと、真次は思い至った。


「……妙だ。兄貴には幻想郷を攻撃する動機がない。いや、幻想入りしてきた連中全員、怨んでる相手は現代側のはずじゃねぇか」

「……」


 永琳は無言。真次も無言で記憶を探り、『メンデル』の言葉を思い出す。


『八雲 紫も、彼らと同等か……それ以上に憎い!!』


 一体、八雲 紫は何をしたのだろう? 恐らく、今回の異変の核心の一つだ。彼らは紫に、何かをされたのだ。

 それでも。

 それでも、今回のことはやり過ぎだ。兄貴含め、絶対に許されないことだと、真次は思う。拳を強く握っていると、彼の隣から静かな問いが耳に響いた。


「私も、一つ気になっていることがあります。あなたの兄は、どんな人でした?」


 ぴくり、と肩が揺れる。思いがけない問いかけだったが、幻想郷で兄――『西本 真也』を知っているのは、自分と弟の参真だけだ。人物像を知りたがるのは、当然のことだろう。

 ただ――ただ、兄のことは、あまり語りたくない事柄だった。何せ、本当に人として『壊れていた』。身体は自分と同じなのに、その精神と発想が、完全に異形だったのだ。

 ……本当は自分も、方向性が真逆なだけで、さほど変わりはしないのだが。


「兄貴は……兄貴は、狂ってた。生まれた時から狂ってた。もう、そういう宿命を抱いて、この世に生を受けたとしか、思えないような奴だった」


 兄を語る時には、胸の内に痛みを伴う。

 自己と真逆の鏡像。嫌っていたが、憎んではいなかった、兄の事を。


「ちょっと下らない話をしたことあってさ。『今この現代で、やってきたら一番ヤバい神様誰か?』って……俺は、スゲー有名な、悪性の化身みたいな邪神の名前を出したんだけどよ。あいつ、そん時こう言ったんだ


『出典も格もほぼ同等だ。ただ、その方向性が真逆の神こそが、この世を滅ぼす神である』


――要はさ、一番悪い神様が出て来るより、一番善い神様が来る方がヤバい……そんなこと本気で口にしたんだ」


 意味が分からない、と永琳が呟く。そうだよな、と真次は答える。この後、兄から説明を受けてなお、全く理解が及ばないこと。それほどまでに、兄は普通や、当たり前からかけ離れていた。

 そして、真次はぽつぽつと話し始める。

 狂う宿業に生きた、自分の兄の事を。



7月9日 21:49

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