あるけもの
地球の大陸の片隅のある渓谷に、あるけものがいた。
まっ黄色な目で、赤茶色の岩だらけの渓谷をさまよい、銀色の涙を流している。
彼のからだはぬるぬる。ひふや皮がなく、肉や脂肪がむき出し。どうしてこうなったのか? 生まれたときからこうだったから、特に理由は分からない。とになく、かれのからだの表面は、ミンチのお肉みたいにドロドロ、ぬるぬるしていて、そして真っ赤だ。
彼はいつもひとりぼっちだった。
百年前、目を開いたとき、彼は大きくとても頑丈な、鋼のカプセルの中にいた。
頑丈なカプセルは、緑色のぬめぬめした液体で満たされ、彼はその中にひたひたと浸かっていた。からだじゅうにたくさんの管がさしこまれ、牙だらけの口吻にも、呼吸器のようなものが付いていた。
目の前には丸い窓がたくさんあって、ぶ厚いガラスの向こうから、白衣を着た小さな学者たちがたくさんたくさん、好奇心でギラギラした目で、彼を見ていた。熱心に何かを書きこんでる人もいる。
彼は思った。
――どうしてぼくは、こんなところにいるんだろう?――
彼はひとつ、大きなため息をした。
のどが熱くなり、牙だらけのまがまがしい口から、たくさんの炎が噴きだした! 炎は呼吸器のような機械から管をつたわってカプセルの外にでて、外のモーターを狂ったように回転させた。
すると、外でいそがしくうごきまわっていた白衣の学者たちが、いっせいにとびあがってよろこんだ。
――なんだろう、なんだろう…? ぼくが息をふくのが、そんなにうれしいのかな?――
外の学者たちはさけんでいる。
「成功だ」
「エネルギー問題が」
「となりの国をほろぼせる」
けものはうれしくなって、それからずっと炎を噴きつづけた。
まわりの人たちは、ますますよろこんだ。
けど、けものは考えはじめた。
――どうしてぼくは、こんなところにいるんだろう? どうしてこんなことをしなくちゃ、いけないんだろう?――
からだもだんだん大きくなりはじめた。
カプセルがきゅうくつに感じはじめたころ、学者たちがあわてはじめた。
――ぼくだって、外に出たいな。広い世界を、見てみたい――
けものはうでをのばした。
鋼のかべに、ひびがはいった。
あしをのばした。
つながれていた管が、つぎつぎはずれた。
学者たちは、とてもあわてた。
けものにロケットを向け、薬品をあびせかけた。
――いた、いたいよ。どうしてそんなこと、するの?――
かなしくなったけものは、あばれた。
口から炎をはいた。
泣きさけぶたびに、口から炎がふきだして、学者やカプセル、研究所すべてを焼きつくした。
――どうして、どうして? ぼくはなにも、悪いことをしてないのに!――
泣けばなくほど、まわりの世界は炎の海につつまれた。
彼の息には毒があり、炎が消えても地上はその毒で汚染されてしまう。
彼の炎の長さが海むこうの陸地にまで達するころに、地上の人間は、ひとり残らずきえていた。ただひとり、“博士”をのぞいては。
目の前にいた“博士”は、彼を見上げてやさしく言った。
「けものよ、お前はわたしたちのわがままで、生まれてしまった。わたしたちのエゴで生まれ、そしてお前をかなしませ、この地上をめちゃめちゃにしてしまった…。ゆるしておくれ。せめてこの地上を、きれいにしてやってくれ。それだけが、わたしたちの、ねがいだ…」
そう言うと、博士は動かなくなった。
けものはなんだか博士に申しわけない気持ちになって、燃えさかる炎で真っ赤にそまる夜空をみあげ、また炎をはいてさけんだ。
それからけものは、研究所があった街から出ると、地上を這いまわりはじめた。
地上は破壊される前の青い空にくらべると、灰色の厚い雲がうずまき暗かったし、夕べには真っ赤な太陽の光が、いつも空を血の色に染めていた。
真っ赤な光の中、赤茶けた渓谷を、真っ赤な痛々しいひふのけものが這いまわる。
たったひとりぽっちだったけど、博士をおいてくるとき以外は、さみしさは感じなかった。
博士のために、何かをしなければと思った。
そう思っていると、すこしおなかがへってきた。さらにしばらくすると、もうどうしようもなくおなかがへってきた。
彼は、地上で悪い物質に汚染された物質を食べはじめた。
はじめは金属の箱や水道管などをムシャムシャと食べていたが、やがて街の中の折れたタワーや、崩れた高層ビルなどを食べるようになった。
そして、ふしぎなことが起こるようになった。
汚染されたものを食べると、とてもきれいな花が、一輪、おしりから出てくる。彼の背丈もさらにぐん、と伸びる。そしてひふから、汚かったもののカスが、洗いだされるようににじみ出てくる。
彼が花を生むと、まわりがいい香りでみたされた。
彼はうれしくなってますます美味しい廃棄物を求めようと、いろいろな大地、さまざまな土地へとのし歩いていった。そしてたくさんのものを食べた。
それから彼は、炎をだすことをやめた。やめるようにがんばった。
だって、花が燃えてしまうから。
彼は花をながめるのが好きだった。
――花さん、きみはとても、かわいいね――
そう話しかけると、
――生んでくれて、ありがとう。けものさん。あなたにそう言われると、わたしたちもうれしくなるわ――
そう言われて、けものもとってもうれしくなる。黄色い目をゆがめて、ニコニコ顔になる。
彼の背丈がこの星でいちばん高い山と同じくらいになったころ、彼は巨大な化学工場を見つけた。人類の永年の希望でつくられた、究極の便利さのための施設だったけど、今はだれも使う人はない。それどころか、主のいなくなった建物は、あれから百年も経つのにまだ毒を出していた。
汚された廃棄物は、彼にとって大好物。
彼はそれに顔を近付けると筒状のたてものの上に口をあて、大きく息を吸い込んだ。その物質の味はえも言われず、彼は食べ終わった後、思わず「ムオーー!」とため息をもらした。彼はさらに大きくなった。そして、特別にきれいな一億個の花を、地上にまき散らした。
大きくなりすぎた彼は、やがて息苦しさをおぼえた。頭はとっくに雲々の間を突き抜け、空気が薄くなってきていた。
そして彼は、知っていた。
炎で燃えなくても、彼が生んだ花々が、彼の皮膚から出る液体をあびると、しおれ、枯れてしまうことを。
彼には居場所がなくなってきた。
――どうしたらいいんだろう…!?――
彼は悲しくなった。好きな花といっしょにいたい、けど彼のせいで、花はかれてしまう…
――気にしないで、気にしないで! だって、あなたはあたしたちを生んでくれたんだもの!――
花々は言った。
――けど…――
彼らのやさしさに、けものはいつも銀色の涙を流した。
大きな火山が噴火した。
噴きでるマグマから花々を守りたくて、彼はマグマを吸い取った。美味しかった。地球のエネルギーがぎゅっと詰まったエキスのマグマは、太古のピュアな地球の味そのものを新鮮にパックしていて、彼に、この世のものとは思えない、おいしい味をあたえた。
今度こそ、彼は大きくなりすぎた。彼の頭ははるか成層圏を越え、周りの空はもう真っ暗だった。
――くるしい…――
そう思った彼のお尻から、九十九億個の花が飛び散り、星の隅々にまでばらまかれた。
彼は苦しみながらも、花だらけの地上をながめ、やっぱり嬉しくなった。
――やっぱり、行かなくちゃ…――
彼はジャンプした。
ぼよん、地球は少し揺れたが、また元の位置に浮かんだ。
――行かないで、行かないで――
地上の花々が、叫んでいた。
――さよなら…――
彼はほほ笑んで、飛んでいった。
彼は宇宙空間に漂い、息苦しさにもがいた。ここには、きれいなもの汚いもの、そのどちらも存在しなかった。
地球が揺れたために、雲が晴れ、空は再びさんさんと明るくなった。
彼の生まれ故郷の真っ赤な渓谷も、彼のまいた花々で七色に輝いた。
宇宙空間で苦しみまわるけものは、ぼんやりした意識で、博士に誇らしげな気持ちでつぶやいた。
――がんばったよ、ぼくがんばったよ、博士…――
そう思いながら、けものは花だらけのきれいな地球をながめ、安らかな顔で死んだ。
けもののからだは、今もただよっている。
あの宇宙を、エゴという人間活動の毒性残滓を一身にため込んで、漂っている。すでに冷えた塊となって、今も漂っている…
つい先日(2011年3月18日)、書き上がった作品です。




