婚約者たちが毎日愛を叫ぶので、私にも恋が始まりました
私、ルシエラ・フェルネの友人に、世界の中心の片割れがいる。
友人の名前はアナベル・ベルティエ。伯爵令嬢だ。
彼女は今日も休み時間のチャイムが鳴ると同時に席を立ち、小走りで廊下へ出ていった。私もそれを追う。
廊下には、すでに彼女の『半身』である、シモン・ルヴェール伯爵令息が待っていた。二人は、互いの顔を見るとたちまち満面の笑みを浮かべて、大きな身振りで手を伸ばし合う。
「アナベル!」
シモンがアナベルに向けて、大きく両手を広げる。
「シモン!」
アナベルはその胸に飛び込んだ。
ガシッと音がして、二人はきつく抱きしめ合う。まるで、数年来の再会のように。
そうして、数秒……いや、数十秒も抱き合ってから、ようやくといった具合で身を離した。視線は互いを見つめ合ったままだ。
「おお、アナベル! 神は我々にクラス替えという試練を与えたもうた!」
「ああ、シモン……。このわずかな休憩時間しか共に在れないなんて、何という試練でしょう」
あまりにも芝居じみた二人のセリフを聞き、廊下を通りかかった人がギョッとした顔で二人をマジマジと見つめる。
しかし、世界の中心にいる二人には、そんな視線は全く届くことはない。
「二つの教室の間に聳えるこの廊下……これが我々を深く隔てている……。何という悲劇か」
「このたった一枚の壁が、私とシモンを引き離す……世界はなんて残酷なの?」
「しかし、我らの想いはそんなことには負けやしない……そうだよね? アナベル」
「ええ、もちろんだわ、シモン! どんなに世界が私たちの邪魔をしたとしても、私たちは決して挫けない!」
「おお、アナベル!」
「ああ、シモン!」
二人は情熱的に名を呼び合うと、再び固く抱きしめ合った。
二つの教室の前である、廊下の真ん中で。
私は、アナベルから少し離れた場所で、その様子を眺める。
もはや、休み時間のたびに繰り返されるこの『愛の劇場』の、特等席である。
シモンの後ろにも、シモンの友人であるローデリック・エヴァンス侯爵令息が、ちょっと呆れたような表情で立っていた。
王子様のような金髪碧眼のシモンと並んでも遜色ない、艶やかな黒髪に冴えた青い瞳の男子生徒だ。
やがて時間になり、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
私とエヴァンス侯爵令息は、どちらもやれやれといった様子を隠すことなく、この世紀のバカップ——恋人たちの元へ向かった。
「アナベル、教室へ戻る時間よ」
「シモン、時間だ。帰ろう」
二人揃って彼らの腕を引く。
二人は渋々といった調子で身を離した。
「それではアナベル、どうか昼休みまで息災で」
「シモンも昼休みまでどうかご無事で」
二人は授業中にいったいどんな危険があると思っているのか。
熱っぽくそんな挨拶を交わしてから、少ししょげた様子で教室に戻ってゆく。
私とエヴァンス侯爵令息は軽く会釈をして、それぞれの友人の手を引き教室へと戻った。
ちなみにこれは、春のクラス替えで二人のクラスが分かれてしまってからのこの二週間、毎日繰り返されている日常だ。
クラスメイトたちはもう、慣れ始めてしまっている。
私も慣れた。
慣れたからといって、二人の世話が焼けることに変わりはないのだが。
アナベルは元々、少し言動にオーバーなところがあった。
嬉しい時は飛び跳ねて喜んだり、欠席した時のノートを見せてあげたら「このご恩、生涯忘れることはありませんわ!」などと言ってきたりするのだ。
ちょっとリアクションが過剰だな、とは思ったが、根は素直で良い子なので私は彼女と友人になった。
そして、金髪碧眼の美少年であるシモンも、どちらかと言うとリアクションが大きい、ちょっと芝居じみた言動のある男子生徒だった。
そんな二人は去年の秋の文化祭の準備を通じて両思いとなり、家同士の家格も合っていたため、その冬に晴れて婚約をした。
それから二人は、周りが呆れるほどのバカップ——情熱的な恋人同士となった。
そんな彼らに、翌年の春、クラス替えという『悲劇』が襲ってきたのだ。
「ルシエラ、いつもありがとう。私、あなたにいつも助けられているわね。あなたのことを考えると、私いつも胸が暖かくなるの。友情って素晴らしいわ」
平凡な茶色の髪と瞳をした私は、艶のある栗色の髪にキラキラ輝く緑色の瞳をした美少女に、満面の笑みでにっこりと微笑まれて、少し照れてしまう。
真正面から友情だなんて口にするのは、正直言ってへそ曲がりのところがある私にはなかなか難しい。
けれど、こうして真っ向から口にする正直な彼女のことが、私は結構好きだった。
「お昼休みは今日もご一緒してくださると嬉しいわ。シモンもそう言っているの。学園では友情も大事にするべきだと」
「わかったわ。……ほら、そろそろ先生が来るわよ。教科書とノートを出して」
私は、おっとりとした口調で言うアナベルに頷いてみせる。
アナベルは嬉しそうに笑った。
「おお、アナベル。我が花、我が最愛……この別離の時間を耐え、再びこうして会うことが叶い、私は歓喜に打ち震えている」
「ああ、シモン! 私もあなたと再び会えるこの時を脳裏に思い浮かべながら、一日千秋の思いで教科書の文字を追い、ノートを取っていたわ!」
昼休み、再び廊下で『愛の劇場』の幕が上がる。
私とエヴァンス侯爵令息はペコリと頭を下げ合った。
クラス替えから二週間、毎日こうして顔を合わせるので、彼ともすっかり顔見知りだ。この二人がいない時も、すれ違う時に挨拶や世間話くらいはする仲になっている。
「クラス替えなどという神の試練が我々の間を引き裂いたとしても、私たちの間に燃え盛る愛の炎は消せやしない」
「ええ、この胸のあなたへの愛を糧に咲き誇る情熱の花を、あなたにも見せて差し上げたい!」
「ああ、アナベル……君というやつは何と可愛らしいことを言うのだ」
また、イチャイチャが始まった。
しかし今は昼休み。
昼食をとる時間だ。
「食堂へ行きましょう」
「続きは食堂でやってくれ」
ほぼ同時に二人に声をかける。
「そうだな」
「そうね。私、お腹が空いてお腹と背中がくっついてしまいそう」
「何? 急ごう! 君にそんなひもじい思いをさせるなんて、私は自分が情けない。——ローディ、フェルネ伯爵令嬢、すぐに食堂へ行こう。着いてきたまえ」
シモンがアナベルを抱き抱えるようにして、早足で食堂へ向かう。
私たちは揃ってそれを追った。
食堂に着くと、四人で座れる席を探して座る。
「私はAランチにしよう。みんなは?」
シモンが周囲を見回しながら言う。
学園の食堂のAランチは肉料理がメインだ。それに小さなサラダとパン、スープが付いてくる。
Bランチが魚がメインで、Cランチはグラタンやパスタ、ドリアなどにサラダとスープが付いたものになる。
「私はCランチを。ルシエラは?」
「私もCかしら」
「私はBにしよう」
「ならば給仕を呼ぼう」
全員がメニューを決めると、シモンは芝居がかった仕草で顔の横で指を鳴らし、給仕を呼んだ。
他の人がやったらきっと笑ってしまうと思うが、シモンは金髪碧眼で王子様のような見た目をしているので、こういう気障な仕草が妙に似合ってしまうのだった。
さすがに食べている最中は、二人ともやや無口になり、きちんとした作法で食べている。
ただ、時々いきなり「あーん」とかやり出す時もあるので油断は禁物だ。
「私、今日、クッキーを焼いて持ってきましたのよ」
一通り食べ終わった時に、アナベルが持っていた小さなポーチから、手のひらに乗るくらいの紙の包みを取り出した。
包みを開くと、そこにはハート型をしたクッキーが十枚ほど入っている。
焼き色もしっかり付いていて、見た目にもサクサクとしていそうな出来栄えだった。
「もしや、君が焼いたのかい? アナベル」
「ええ、心を込めてかき混ぜて、愛情をトッピングして焼き上げたのよ、シモン」
「それは素晴らしい! 君にそんな才能があるなんて知らなかったよ」
「ほら、食べてみて? あーん」
「あーん」
目の前で熱々ぶりを見せつけられて、私とエヴァンス侯爵令息は苦笑し合う。
本当に困ったものだ。
でも、二人とも根は真っ直ぐで正直者なので、嫌味がない。
時おり、私たちがいるのを忘れてしまう時もあるけれど、二人の世界に浸ってしまっただけで、悪気は全くないのだ。
「あ、お二人もどうか食べて?」
「え、いいわよ。ルヴェール伯爵令息のために作ってきたのでしょう?」
「心を込めてアナベルが作ったものだ。二人にも、ぜひ味わってほしい。きっと頬っぺたが落ちてしまうぞ?」
「そんな……恥ずかしいわ、シモン。でも、出来たらお二人にも食べてほしいわ。一生懸命作ったのだもの」
「あなた方がそう言うのなら」
貴族らしくないという者もいるかもしれないが、裏表のない二人は、見ていてホッとする。
どうやらエヴァンス侯爵令息も、彼らに対して同じような気持ちで見守っているらしかった。
そうこうしているうちに昼休みはあっという間に過ぎて、予鈴が鳴る。
二人はまたも、どうしようもない運命に引き裂かれた恋人同士のように、悲劇を叫びながら互いの教室へと別れていった。
「おお、アナベル! 愛しい人……。午後の授業も隣に君がいてくれたのなら、どんなに心強かっただろう」
「ああ、シモン! 私もよ! グラーシード語で先生に当てられた時、あなたが隣にいたら、きっと私のことを助けてくれたはずだもの……!」
「なんと……。グラーシード語は私もあまり得意ではないが、君のためなら辞書を丸呑みしてでも役に立って見せよう」
「そうね、あなたならきっとそう言ってくれると思ったわ。では、このあとあなたの家で一緒に復習しましょう、シモン」
「それはいい。二人で協力し合えば、きっとどんな困難だって乗り越えられる」
今日の授業が全て終わると、彼らは再会を喜びながら二人連れ立って帰っていく。
いつもシモンの家の馬車が、二人を乗せて帰っていくのだ。
そのまま、下手をすると夕食前まで互いの家で過ごすことも珍しくないらしい。 仲睦まじくて、両親たちはホッとしているだろう。
「それではフェルネ伯爵令嬢、また明日会いまみえよう!」
「ルシエラ、明日までどうかご無事で! ごきげんよう」
「アナベル、ルヴェール伯爵令息、また明日。ごきげんよう」
「ああ、シモン。どうか馬車の中ではよそ見をしないで。ただ、私だけを見つめると誓って」
「馬車の中だけでなく、今だってもう、君のことしか目に入らないよ、アナベル」
私は、廊下で隙間なく寄り添い、愛を告げ合う二人を見送ってから、図書室へ向かう。
借りていた本を返しにいくためだ。
普通の小説とかなら自分で買うが、これは学園で出された課題を書くために借りた資料で、もう絶版になっているものだった。
図書室の司書さんに本を渡して、そのまま帰ってもよかったけれど、何とはなしに書棚を見て回る。
インクと紙の本の匂い。
それが私は割と好きなのだ。
重たく大きな美術書が並ぶ区画で、私が背表紙を眺めていると、不意にヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
本棚を挟んで向こう側に四人掛けの席が三つ並んでいて、それはそのうちの一つに座る三人組の会話だった。
「あんな大袈裟に毎回喜んでるの、本当に馬鹿みたい」
「お芝居かっていうの」
「ねー?」
「まあ、シモン様はとんでもない美形だから似合わなくはないけど……見た目普通のアナベルさんがあんなふうに悲劇のヒロイン気取ってるの見ると、大袈裟過ぎて笑ってしまうわ」
「何が神の試練よ。ただのクラス替えじゃない。いちいち大袈裟に喚き立てて、本っ当に馬鹿みたい」
「付き合わされている、エヴァンス侯爵令息がお気の毒だわ」
「ルシエラさんだって、いつも呆れた顔して見てるじゃないの」
「そもそも、あんなふうに感情を表に出すなんて……貴族としてみっともないわ。私にはとても真似できない」
「ねー? いくら仲が良い婚約者だからって、あんな周囲に見せつけるようにしなくたって良いのに」
「ほーんと、いっそどっちか浮気でもして、派手に喧嘩をして別れてしまったら面白いのに!」
悪口だった。
あの二人への。
私は頭にカッと血が昇るのを感じた。
思わず出て行きそうになった、その時だった。
「——私は別に、気の毒ではないよ」
エヴァンス侯爵令息が、彼女たちの席の隣に立ち、静かに言った。
「エ、エヴァンス侯爵令息……!」
「私は彼らに呆れながらも、好意を持って見守っているつもりなんだがな。
だって彼らは、自分に正直で素直なだけで、善良だ。
少なくとも、こんなところで人に聞かれるような悪口大会をするような友人がいないだけ、私は気の毒ではないと思うよ。……どう思う?」
「え、いや……私たち、別にそんなつもりじゃあ……」
「何か他の方のことと勘違いなさっているのでは?」
「ええ……私たち、今日は用事があるのでした! 失礼!」
彼女たちは口々に言い訳のような言葉を口にしてから、一目散に、蜘蛛の子を散らすように図書室から出て行った。
私はゆっくりとエヴァンス侯爵令息のほうへ歩み寄る。
「私が懲らしめてやるところでしたのよ?」
「それはそれは……。君の出番を奪ってしまって申し訳ない」
私が腰に手を当てて言うと、エヴァンス侯爵令息は芝居がかった仕草でそう言って、腰を折ってみせた。
まるきり、シモンがやるような仕草だ。私は小さく吹き出した。
「シモンほど上手くはできないな」
エヴァンス侯爵令息はそう言って、頭をかいてみせる。
「あの二人のは演技ではないのですもの」
それが、みんなが思う彼らへの誤解だ。
どんなにお芝居のようであっても、二人は演技であんなセリフを言っているのではない。
毎回、本当に心の底からそう思って口にしているのだ。
「それもそうだな。シモンはいつも自分の気持ちに誠実だ。——それはそうと……君もやっぱり、あの二人のことが好きなんだね、ルシエラ嬢」
エヴァンス侯爵令息が尋ねてくるのに、私は大きく頷いて答えた。
「ええ。見ていて微笑ましいのですもの。それに、二人ともあんなに愛情豊かで……率直に言えば、女として羨ましいですわ」
「彼女たちも、君のように素直に羨ましいと言えるなら良かったんだがな」
エヴァンス侯爵令息が皮肉げにそう言う。
彼女たちは単に悪口を言っていたのではなく、あの二人が羨ましくて、妬ましくてあんなことを言っていたのかしら?
だとしても、あんな言い様はないと思うけれど。
「せっかくだから、これから喫茶室でお茶でもどうかな?」
エヴァンス侯爵令息が笑顔で声をかけてくる。
これまで立ち話はしてきたが、二人きりでどこかへ行ったりしたことはなかった。
「シモンの良いところを教えてあげたい」
「あら、そうしたら私はその倍、アナベルの良いところを言いますわ」
「それは楽しみだ」
エヴァンス侯爵令息がエスコートするように、左手を差し出してくる。
私はその手の上に、自分の右手を乗せた。
二人とも、少し芝居がかった仕草だった。
「おお、アナベル……君の瞳は今日も美しく煌めいて、この世の神秘を全て詰め込んだように謎めいている……! 暁に登る金星、または迷い人を導く北極星、夜空に燦然と輝くシリウスの如き天啓! それら全てよりも君の瞳の美しさときたら」
「ああ、シモン! 私のこの胸のうちに溢れんばかりに育った愛の大樹! それを、この胸を切り裂いてあなたにも見せてあげられたら……。私に謎なんて何一つなく、ただあなたへの愛だけで出来ていると証明できるのに」
「アナベル、何と可愛らしい人!」
「シモン、何て愛おしい人!」
今日も私たちの眼前では、シモンとアナベルがお互いに愛を叫び、熱烈な愛の劇場が開演されている。
私たちは、ひしっと抱き合う二人越しにそっと視線を交わし、微笑みあった。
舞台の隅の脇役である私たちにも、小さな愛が育ち始めていた。
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また、次の作品でお会いできますように。




