第92話 私の番が来る前に
「理久……今の、見たよね」
「ああ。“あなたの番”って……」
ふたりは黙り込み、スマートフォンの画面を見つめ続けていた。
差出人は“存在しない”。電話帳にも履歴にも、SNSのアカウント一覧にも、それらしき情報はどこにもない。
ただ、通知だけが確かに届いた。
《次は、“あなた”の番です。》
「……“あなた”って、私たちのどっち?」
ひなたの声はかすれていた。
理久はスマホを机に置き、呼吸を整える。
「わざと、だろうな。“あなた”っていう曖昧な主語で、対象を選ばせようとしてる。選ばせた時点で、“誰か”が認識される」
「つまり、“こっちから指名した瞬間に負ける”……ってこと?」
「そういう構文だと思っていい。語る側に、主体選択を強要する設計。これまでの“語られる”構造が、より攻撃的になってきてる」
窓の外には、何事もなかったかのように日常が流れていた。
生徒たちの声、チャイムの音、通り過ぎるバス。
しかし、あらゆる“音”が、どこか耳に引っかかる。何かが言葉に変換されるたび、“意味”に対する不信感がひなたの中で膨らんでいた。
「これ……もう、普通の会話も危ないんじゃない?」
「気づいてきたな。音と言葉の境界が崩れると、“語る”という行為が日常そのものになる。つまり、日常会話こそが“トリガー”になり得る」
「ってことは、どこで誰が何を言ったかも記録しなきゃ、どこで発火するか分からないって……」
「そのとおり。けど、全部記録すればするほど、また“誰かの記憶”に残る。意味を回避するための行動が、逆に語りの回路を強化する。いわば自己増殖構文だ」
理久は、白紙のノートを取り出した。
そして、そこに書きかけのスケッチを加えながら言った。
「封じるには、“意味”と“記録”の両方を壊す必要がある。“思い出せない状態”じゃダメだ。最初から、“なかった”と認識させるしかない」
「……どうすれば、そんなことできるの?」
「外部記録の破壊。内的記憶の転換。そして、語りの媒介となる“装置”の切断」
理久は続けた。
「この教室、もう長くはいられない。ここにはすでに、複数の“構文発生源”がある」
「つまり、ここ自体が語りの巣……?」
「ああ。そろそろ“舞台”ごと取り込まれる。もう一度だけ、あの場所へ行く」
「……“あの場所”って……?」
「最初に、最初の“語られた名前”が消えた場所だよ。“記録されなかった机”の跡地。……理科室だ」
ひなたは一瞬、心臓が止まるような感覚を覚えた。
記録にない、存在の空白。
確かにその場に“いた”誰かの名前が、初めから書かれていなかった空間。
理久は静かに背負ったリュックの中身を確認し、短く言った。
「行こう。あそこに、構文の始点がある」
次の名前が語られる前に。
次の存在が消える前に。
“語らせる構文”を、ここで断ち切る必要があった。
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