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【完結済み】あなたが読むかぎり  作者: 川原 源明
第5章 忘却奇譚 ―語るな、語らせるな―

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第88話 記号を語ってはいけない理由

 理久の予想は、静かに的中していく。


 “封名術”によって、☒ナ・ナ・メという記号は意味を持たぬまま“保存”された。


 だが──


 それは同時に、“語る衝動”を内部に抱え込む構造でもあった。


 教室の掲示板。


 理久がふと気づくと、クラス目標のポスターのすみに、細く刻まれた落書きがある。


 それは間違いなく、☒ナ・ナ・メの記号だった。


「ひなた、お前……この記号、どこかに書いた?」


「え? ……書いてないよ。紙に書いて、しまったまま。誰にも見せてないし……」


「じゃあ、誰が?」

 

 まさか──

 “記号そのもの”が、語りたがっている?

 

 ひなたの手元のメモ帳。


 知らぬ間にページのすみに、うっすらとその記号が複製されていた。


 誰の手にも触れていないのに。


 開いた覚えのないページに。

 

 理久は歯を噛んだ。


「……これ、“意味を持たない記号”の構文が、今度は“他者に語らせよう”としてる」


「……どういうこと?」


「おそらく、語られずに残されたことで“観測される記号”になった。でも、記号ってのは、意味を求める本能に触れる。“意味がない”ことに、人は耐えられないんだ」


「じゃあ……」


「いつか誰かが、この記号に“意味を与えてしまう”。“名前っぽいね”とか、“誰かのサインに似てる”とか……その瞬間、構文が再起動する」


 つまり──


 ☒ナ・ナ・メは、“語られずに記録された記号”として残ることに成功した。


 だがその記号は、いずれ“語られるべきもの”として、世界の表層へと浮上してしまう。


「記号が勝手に広がってるって……どういう意味?」


「これは“封名の失敗”かもしれない」


「じゃあ……意味を与えない方法って、もうないの?」

 

 その時、理久のスマホに通知が来た。


「送信者不明」からのDM。


君たちは、“語らない”ことで保存したつもりかもしれない。

でもそれは、“語らせる”構文への入口だ。

意味を探すのは、人間の本能。

“語られなかった名前”は、“語らせる名”へと変質する。

そのとき、語るのは──君だ。

 

「……来たな、“語らせる側”」


「……!」

 

 ひなたの脳裏に、一瞬だけよぎったのは──


 夢の中で出会った、顔のない少女。


 あのとき、彼女はこう言ったのだ。


「名ヲ、クダサイ。」


「……理久。この記号、誰かの“名乗り”だったんじゃない?」


 語られないまま存在し、意味を求めて漂い続けていた“名”。


 それが、自ら“語らせよう”としている。


 そうだ、思い出した。


 ユイの時も、トオミサマの時も──“語ること”がトリガーだった。


 だが今度は、“語らせる”が主語になっている。


 これは、語る者の物語ではない。

 語らせる者の構文。


 ひなたは、メモ帳の記号を破り捨てながらつぶやいた。


「……まだ終わってない」


 理久の眼差しが、静かに一点を見つめた。

 図書館の奥に、再び現れた「空白のページ」。

 誰かがそこに、こう書きかけていた。

 

☒ナ・ナ・メ──


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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