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【完結済み】あなたが読むかぎり  作者: 川原 源明
第5章 忘却奇譚 ―語るな、語らせるな―

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第86話 “名”に意味を与えた瞬間

 翌朝。ひなたはメッセージの余韻を引きずったまま、学校の昇降口をくぐった。


「☒ナ・ナ・メ が 忘レタガッテイル」


 あの記号の“何か”が、意思を持っているように思えた。


「理久……これ、見て」


 校門を抜けたところで、ひなたはスマホを差し出した。理久はそれを一瞥してから、すぐ目を細めた。


「削除されてない?」


「履歴には残ってない。でもスクショ撮っておいたから」


「……自己消去構文じゃない。相手の“意思”で消してない。何かが“記録に留まることを許してる”」


「どういうこと?」


「“伝えたい”ってことだ。構文側が“意味を求めてる”可能性がある」


 ひなたはその言葉に、何か引っかかるものを感じた。


 “忘れられること”を望む存在が、自分の名に意味を与えられることを求める? それは──矛盾のようでもあり、願いのようでもあった。

 

 教室に入ると、またしても「誰かがいた気配」が消えていた。


 教卓の前に貼られた出席表の一番下の名前が、昨日よりさらに曖昧になっている。


 紙の上にかろうじて残る黒い滲み。それが、まだ誰かの存在を示していた。


「なぁ……夏川ってさ、どんな奴だった?」


 ひなたが友人に話しかけると、返ってきたのは首をかしげる仕草。


「え? そんな子いたっけ?」


 それだけで終わる。


 放課後。理久はひなたと共に、再び図書館の奥の階へと向かった。


 前回読んだ文献のうち、もう一度「口封じの構文」に関する記録を洗い直すためだ。


 ページをめくるうち、ひなたがふと手を止めた。


「これ、“意味を与えてはいけない”って書いてある」


「……どこ?」


「ほら。“名が“名”であるためには、意味を失わなければならない”って」

 

 理久は黙ってその行を読み返した。


 名前とは、意味の集合である。


 意味とは、記憶に結びつく。


 記憶とは、語られることで保持される。


 そして、語られた名前は、記録に留まる。


 だが、語られることで“構文化された名”は、逆に構文によって吸収されていく。


「……つまり、“語られた瞬間に吸収される構文”を回避するには、“語られずに保持される方法”が必要ってことか」


 ひなたは、自分のノートに一つの図を描き始めた。


 中心に「☒ナ・ナ・メ」と書き、その周囲に矢印で“記憶”“記号”“意味”“語り”“忘却”といった単語を配置する。


「これ、いわば“言葉の檻”だよ」


「構文を“語りの外側”に固定するための囲い……なるほど。比喩的には“命名”ではなく“封名”の儀式だな」


「……それ、名前つけよう。“封名術ふうめいじゅつ”」


 二人は、記号としての“名”を外部に隔離することで、構文の侵食を止める理論を形にし始めた。


 理久が黒板に向かって新たに記した文字は、☒ナ・ナ・メ の記号を中心にした構造記号。


 これは“意味を語られない名”としての保護構文だった。

 

 ──その夜、ひなたは夢を見た。


 草むらの奥にぽつんと立つ誰かの姿。


 顔が、ない。


 でも、その人は確かに“ひなたの名前”を呼んだ。


 口は動かず、音も出ない。それでも、たしかに。


 翌朝、ひなたのメモにこう書かれていた。


「ナマエ、クダサイ。イミノナイ、ナマエヲ。」



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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