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【完結済み】あなたが読むかぎり  作者: 川原 源明
第5章 忘却奇譚 ―語るな、語らせるな―

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第81話 祈りを継ぐ者

 夜の帳がすっかり下りたころ、霧鳴温泉の宿はいつにも増して静まり返っていた。

 あやは帳場で帳簿を整理していたが、手元のページにふと違和感を覚える。


「……こんな記録、あったっけ」


 そこには、宿泊履歴に“消し込まれた”ような一行が残っていた。日付と名前がかすれて読めないが、数字の「21」だけははっきりと見える。


 一方その頃、理久とひなたは宿の奥にある納戸の前にいた。

 二十一番の部屋とは別の、封印された部屋。かつて宿の祖母が「絶対に開けるな」と言い残した場所。


「開ける気か?」


「この宿の忘却構文、たぶんここが“中核”になってる。宿の記憶そのものが封じられてるなら、触れずにはいられない」


「……“開ける”って、どういうことかわかってる?」


「語りが呪いを起動させるなら、構文の起点に触れれば、逆に“終わらせる”こともできるかもしれない」


 理久は静かに襖に手をかけた。

 音もなく、空気が張り詰めるように部屋が開いた。

 

 その中は、想像以上に古びていた。


 壁には古いお札が重ねられ、床には砂が撒かれ、中央には漆塗りの箱──“ウブカタバコ”に酷似した形状のものが置かれていた。


「……これが?」


「この宿の“忘却”の核だ。ここに語られなかった名が、“閉じられて”きた」


 理久は箱に近づきながら、あの札を取り出した。


「語れなかったもの、記せなかったもの、思い出せなかったもの。そのすべてを、ここに預けていたんだ」


「じゃあ……その札も?」


「ああ。こいつも、もう“語られない”まま、この中で忘却の構文として循環し続ける。だがそれじゃ、あまりに残酷だ」


 理久は一度目を閉じ、そっと札を箱の上に置いた。


「“名もなき記録者”として、語ることなく記す。それがこの宿に残す俺たちの祈りだ」


「語らないことで……語り続ける?」


「そうだ。黙して伝える。書かずに残す。そういう“反語的継承”もあるんだよ」


 その瞬間、部屋の空気がふっと軽くなった気がした。


 壁に貼られた札が一枚、はらりと落ちた。そこには、かすかに──名前のような、形のようなものが浮かんでいた。


 ひなたはそれを拾い上げ、じっと見つめた。


「……忘れない。わたしたちは、覚えている」


「そして、語らない。それが一番強い“記憶”だ」


 二人はゆっくりと部屋を閉めた。

 封印は解かれたわけではない。ただ、“更新”されただけだった。


 語られぬ記録は、またこの宿に一つ、刻まれた。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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