第72話 この声を、あなたに
記録は終わった。
だが、すべてが静かになったわけではない。
むしろ、音が戻ってきたような気がした。
風の音、雨のしずくが屋根を叩く音。
誰かの笑い声が、廊下の先から遠く聞こえる。
そして、教室の隅でめくれるノートの音も。
語られることを拒み、記録のなかに潜んでいた“声”は、もうここにはいない。
ただ、あの声の一部は──どこかに届いている。
「ひなた、これで……終わり、だよね」
七海の問いかけに、ひなたはゆっくりとうなずく。
「うん。でも、“声”が消えるってことは、ちゃんと“届いた”ってことだと思う」
理久はノートパソコンを閉じ、バッグにしまった。
ディスプレイの隅に残っていた通知──《構文応答終了/接続断絶》の文字が、まだ視界に焼き付いている。
「人間の記憶は不完全だ。だけど、語られることで、それは輪郭を得る。……語られなきゃ、なにもなかったのと同じだ」
「でも、わたしたち、ちゃんと語ったよね」
「だから残った。お前が語って、お前が“聞いた”からこそ」
ひなたは窓辺に立ち、夕焼けの空を見上げた。
「“メリーさんの電話”って、子どもの頃に聞いたときは、ただの怪談だと思ってた。でも、今なら少しだけ、意味がわかる気がする」
理久は、机に肘をついて彼女を見る。
「……存在を誰かに覚えていてほしい、って願い。そういうやつだ」
「うん。呼びかけて、応えてくれる誰かがいるって、きっとすごく大事なことなんだと思う」
七海は少しだけ微笑んだ。
その表情は、どこか懐かしく、少し切なげだった。
「じゃあ、これからも、語っていこう。わたしが覚えてる限り。陽介のことも、この出来事も」
「わたしも。全部が消えてしまう前に、伝えたいこと、いっぱいある」
ひなたはスマホを取り出し、ボイスメモの録音ボタンを押した。
“これは、わたしたちの記録です。
2025年6月、わたしたちはある“声”に出会い、そして……別れました。”
“語られることで、生まれてしまったもの。
語らなければ、きっと届かなかった想い。”
“これは、そんな“声”の話です。”
録音を止めたとき、教室は静かになっていた。
だが、その静けさは、もはや恐怖の予兆ではない。
理久がぼそりと言った。
「……まあ、次も似たような構文かもしれねぇけどな。お前が首突っ込む限り」
「えー、なにそれ。わたしのせい?」
「お前が“気になる”って言い出すのが全部の始まりだろ」
「ふふ……でも、気になったら行くでしょ? 理久も」
「……さあな。暇だったらな」
夕暮れの中、三人はゆっくりと立ち上がった。
教室のドアを開け、光が差し込む廊下を歩き出す。
それはまるで、物語の“外”へと出ていくような感覚だった。
そして──
あなたが、いまこの物語を“読んで”くれたことが。
この語りの、最後の“応答”なのかもしれない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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