第71話 語られないものたち
雨が降っていた。
細い霧雨のような雨が、街を包んでいる。
放課後の教室。
窓の外を見つめるひなたの頬を、淡い光が照らしていた。
校庭の向こうに、雨粒がぼやけて踊っているのが見える。
「もう、“あれ”は終わったんだよね?」
声をかけたのは、七海だった。
まだ少し顔色は冴えないものの、以前の彼女らしさが戻ってきていた。
「うん。何もかかってこなくなった。ログも消えたまま。復元もできないって、理久が言ってた」
「……そっか」
七海が窓のそばに立ち、並んで外を見る。
ひなたの胸の奥には、まだ冷たい“空洞”のような感覚が残っていた。
「でもさ、私、陽介の顔、もう思い出せないんだよね」
ひなたは、ぎゅっとスカートの端を握りしめた。
「わたしは……名前だけ、ぎりぎり残ってる。でも、どんな声だったか、どういうふうに笑ってたか、全部がぼやけてる」
七海が静かに言う。
「それって、怖いことだよね。生きてたのに、話してたのに、“語られなくなったら”……もういないのと同じ」
「……でも、語るってことは、痛みもある。思い出すたびに、引き裂かれるような気持ちにもなる」
「うん。でも、語らなかったら、誰も知らないまま終わっちゃう」
沈黙が流れた。
ひなたはポケットから、小さなボイスレコーダーを取り出した。
理久が編集してくれた音声ファイルが、一つだけ入っている。
再生ボタンを押すと、微かなノイズのあと、少年の声が流れた。
──「これが、最後のメッセージになると思う。七海、もし聞いてたら、……思い出して。君が笑った声を、僕はずっと……」
その先は、雑音にかき消されている。
七海は涙をこらえるように唇を噛んだ。
それでも、静かに頷いた。
「この声、忘れない。全部は思い出せないかもしれないけど、……わたし、陽介くんがいたこと、覚えてるって言いたい」
わたしも。ずっと語り続けたいって、思った」
ふたりの間に、雨の音だけが流れていた。
だが、その沈黙はもはや恐怖のものではなかった。
理久が教室に入ってくる。無言でボイスレコーダーを見て、一言。
「……“語り”が閉じたな」
「え?」
「今の音声。最初と最後の語りが、ひなたと七海の“声”でつながってた。記録は閉じた。もう、この構文が勝手に拡散することはない」
「……わたしたちが、終わらせたんだ」
ひなたの言葉に、理久はそっぽを向いた。
「ま、最初から予定通りだ。問題ない」
「ふふ、素直じゃないなぁ」
七海が笑い、ひなたもそれにつられる。
やがて、理久もほんの少しだけ口角を上げた。
“語られないもの”は、確かに存在している。
だが、“語ろうとする意志”があれば、そこに“何か”を残すことはできる。
それは、人の記憶という形で。
それは、誰かに伝える言葉として。
そしてなにより──読者の中に、そっと置かれる記憶として。
雨が止んだ。
静かに、風がカーテンを揺らしていた。
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