第69話 記録を戻す場所
夜の街に戻ると、現実の輪郭がややぼやけて感じられた。
霊園跡地で聞いた“声”──それが記憶を揺さぶるほどに、確かな存在感を持っていたせいかもしれない。
バスの車内、理久は一言も発さずスマホの画面を睨み続けていた。
ひなたもまた、思考の中に沈んでいた。
──わたしは、陽介くんの名前を、本当に覚えていた?
──七海の“声”を取り戻すことは、果たして彼女を救うことになるの?
信じたくなかった。“声”に取り憑かれた彼らが、そのまま存在を消されるなんて。
「理久……」
ようやく口を開いたとき、彼は画面から目を離さず、低く答えた。
「七海の家、戻るぞ。今ならまだ、意識の中に“彼女自身”が残ってる可能性がある」
「でも、どうやって……?」
「音声を“逆流”させる。さっきの音声ファイル──陽介の声の中に、“最初のパターン”が埋まってた。あれを音響波形で逆再生して、“記録された側”に流せば、感染の起点に干渉できる」
「……そんなこと、できるの?」
「理論上はな。問題は、“七海の中に残っている記録”が完全に崩壊していなければ、って前提条件付きだ」
バスを降りた二人は、七海の家まで無言で歩いた。
夜風が冷たい。街灯の下、理久の横顔にはいつもの自信満々な雰囲気はなかった。
ただ、研ぎ澄まされた集中だけが、彼の輪郭を保っていた。
玄関の前で、ひなたは深呼吸をした。扉を開けると、部屋の中は異様な静けさに包まれていた。
「七海……?」
返事はない。
だが、2階の部屋──あの場所だけ、扉の下から薄く灯りが漏れていた。
ひなたがそっとノックする。
「……七海?」
──コン、コン。
中から、ドアを叩き返すような音が返ってきた。
「……返事、してる?」
理久が頷く。
「まだいる。“彼女自身”が、抵抗してる」
二人が扉を開けると、七海は机に突っ伏していた。目を開いたまま、虚空を見ている。
「……音声、再生するぞ」
理久がスマホを取り出し、事前に波形編集した音声ファイルを再生した。
──「……わたしの声が、あなたに届いているなら……」
陽介のメッセージだ。しかし、波形は逆流していた。音の流れが、まるで記憶を巻き戻すように再構築されていく。
再生が始まると、七海の表情にかすかな変化が現れた。
「……や……やす……け?」
口が動いた。名前を呼ぼうとしている。
「記憶が戻りかけてる……理久、もう少しだけ!」
逆再生音声がピークに達した瞬間、スマホのスピーカーから異音が発された。
──ブツ、バチッ……ッガガガ。
「っ、こいつ……記録が“反転”して暴走してる!」
理久がスマホを落とし、手で耳を塞いだ。
ひなたが咄嗟に七海に駆け寄り、肩を抱きしめた。
「七海、お願い、戻ってきて! あなたの声、私、ちゃんと覚えてるから!」
その一言が届いたのか──七海の目に、涙が浮かんだ。
「……ひな、た……?」
震える声。七海の目が、はっきりと焦点を結んだ。
ひなたの胸にすがりつくように、彼女は声を絞り出す。
「……声が、いっぱい、いた……いっぱいいて、わたしじゃ、なくなって……でも……ひなたが、呼んでくれたから……」
理久が、壊れたスマホを拾い上げる。
「陽介の記録は、これで終わりだ。七海が“自分の名前”を言えた時点で、構文は崩壊した」
ひなたは七海の背中をさすりながら、深く息をついた。
夜はまだ終わらない。だが、“声”は確かに、ひとつだけ静かになった気がした。
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