第64話 記憶が語り手を選ぶとき
その日、朝倉ひなたは意図的に“誰かに語る”ことを選んだ。
教室の昼休み。廊下をはさんだ向こうの窓辺に、彼女の友人である志田琴葉が座っていた。無言でスマホを見ていたが、ひなたの声に反応して顔を上げた。
「ねえ、琴葉。ちょっと変な話してもいい?」
琴葉は軽く頷く。
「朝から変な顔してると思ったら、そういうことか。で、なに?」
ひなたは、小さく息を吸って話し始めた。
「この学校にね……いや、違う。ほんの数日前まで、このクラスにいた“誰か”のことなんだけど──」
名前がない。姿もはっきりしない。記憶も曖昧。でも“いた”という感覚だけが確かに残っている。
自分だけが覚えている“何か”。
──いや、正確には、「覚えている感覚」が残っている、だけ。
「ねえ琴葉、こういうのってあると思う? “存在を思い出そうとする”だけで、呪いみたいに重たくなることって」
琴葉は一瞬、眉をひそめた。だがすぐに苦笑するように言った。
「なにそれ。ホラー小説の読みすぎじゃないの」
その瞬間だった。
彼女のスマホが微かに震えた。
通知はなかった。画面には何も表示されていない。ただ、バイブレーションが一度、確かに鳴った。
「……あれ?」
琴葉がスマホを覗き込む。
ひなたも画面をのぞき込んだ。
すると、画面の検索履歴に見覚えのない単語が浮かび上がった。
“メリーという名前の女の子”
「琴葉、それ検索した?」
「え……? してない。なにこれ……」
言い終わる前に、もう一度スマホが震える。
今度は画面が真っ黒になったまま、ホームにも戻らない。操作がまったく効かない。再起動もできない。
「ちょ、これ壊れた? ねえ、なにこれ、やだ──」
その時、ひなたのスマホもまた通知音を鳴らした。
“ごめんね。わたしのこと、思い出してくれて。”
ひなたはすぐに画面を消した。
「理久……理久に、今すぐ連絡しないと……」
教室を飛び出しながら、ひなたは呼び出し画面を開く。
けれど通話アイコンの隣に、小さく“通話不能”のマークが浮かんでいた。
まるで“誰かに通じてはいけない”とでも言わんばかりに。
* * *
その頃、理久は図書室で一人、本を読んでいた。
耳元で、ひとつの電子音が鳴る。聞き慣れない着信音。スマホを見れば、画面には通話中の表示が出ている。
だが、受信者は──自分ではなかった。
表示されているのは、朝倉ひなたの名前。そして“転送中”の文字。
「転送……?」
理久はその意味を理解するより早く、画面をタップした。
ノイズの混じった空間に、誰かの声が聞こえた。
『……あのね……“わたし”のこと、誰も知らないの。』
それは、明らかにひなたの声ではなかった。
『ねえ、あなたなら……覚えててくれる……?』
音声は低く、しかし感情に乏しい。まるで音読された文章のように、感情の皮膜が剥がれ落ちた言葉だった。
「誰だ、お前は」
理久は静かに、しかしはっきりと問いかける。
『わたし……もう名前がない。わたしの“記録”を見てくれてありがとう。でも、語ってはだめ。そうしたら、あなたも──』
そこで音声は途切れた。
画面が消え、何事もなかったかのようにホームに戻る。
そして──ひなたからのメッセージが届く。
『理久、やばい。琴葉が、さっきまで一緒にいたのに……“誰も覚えてない”って言われた。私のことも、だんだんみんなが曖昧に言い始めてる……』
「……始まったか」
理久はメモ帳を開くと、手早く短文を走らせた。
【応答型忘却構文】
対象と接触した第三者に“存在記憶の空白”が発生
→次の語り手が発生しない場合、語り手ごと消去される?
「つまり、“語ること”で成立し、“語り続けない”と、語った側が“応答者”になる……。ひなた、これ以上は──」
メモはそこで止まった。
彼のスマホが再び震え、画面には新しい通知が表示された。
『次はあなたの番──』
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