第63話 忘れられた隣席
放課後、図書室の最奥にある自習スペース。そこは天井の電灯が一部切れたままで、薄暗く、いつも人がいない。
朝倉ひなたはその席に、理久と並んで座っていた。
「……これで、いいかな」
彼女の手元には、手書きのメモがあった。
文面は、今朝思い出したばかりの少女の姿――制服の襟の形、髪型、声のトーン、立っていた位置までを書き留めたものだ。
「記録に残すって、こういうことでいいの?」
「いや。文字として記すだけじゃ、不十分かもしれない」
理久が言った。
「この“ロスト・コール”の構造は、言葉で“語る”だけでは成立しない。記憶、意識、観測者の“意味づけ”まで含まれる。つまり、“誰かに伝える”という行為そのものが要件だ」
「じゃあ……誰かに“話す”必要があるの?」
「ああ。お前が“思い出した”だけでは不完全。別の誰かが“その存在”を認識しなければ、記録は完成しない」
ひなたは、小さく唇を噛んだ。
「……ねぇ、理久。こういうのって、どこまでが呪いなのかな」
「それは……“語られること”自体が呪いになる場合もある」
「じゃあ、語ったら──私が“見られる”側にまわるかもしれないってこと?」
理久は沈黙したまま、本のページをめくる。
その沈黙が、何よりの肯定だった。
* * *
翌朝。教室に入ると、ひなたの隣の席が空いていた。
その席に、昨日まで誰かが座っていたような気がした。
けれど、誰の席だったのか、周囲に尋ねても「最初から空席だったよ」と返されるだけだった。
ひなたは教室をぐるりと見渡す。空白の存在。抜け落ちた一人分の気配。
そのとき、教壇の端に貼られた名簿に目が留まった。
名前のリストに、消しゴムでこすられたような跡がある。
誰かの名前が、何かで消されたように。
「……消えてる……」
誰が? いつ? 何のために?
けれど記憶はもうそこにない。あるのは“疑念”という名前の空白だけだった。
* * *
放課後、ふたりは再び自習スペースにこもった。
「おかしい……私、昨日ちゃんと“書いた”んだよ、記録に。でも、今朝にはもう、文字が薄くなってた。インクじゃなくて、記憶自体が消えかけてるみたいに……」
ひなたの手にあったメモ用紙は、ほとんど白紙に戻っていた。わずかに残る文字のかすれだけが、その存在の痕跡だった。
「見せてみろ」
理久がその紙を受け取り、ルーペのような小型レンズを取り出す。
「……これ、消えてるんじゃない。転写されてる」
「え?」
「紙の繊維が一部ずれてる。つまり、“何かが文字を吸い取って持ち去った”可能性がある」
ひなたは息をのんだ。
「まさか、その存在が──自分の記録を消してる?」
「ああ。誰かに記録されると、それを“回収”する能力があるのかもしれない。だから言葉だけじゃ足りない。“記憶されること”自体が敵なんだ」
「だったらどうすればいいの? 忘れずにいるって、それだけでその子にとって呪いになるの?」
理久は静かに言った。
「だから、“共有”する。語ることは一人じゃ成立しない。二人で語れば、その構造を拡張できる」
「共有って……じゃあ、誰か他の人に話せばいい?」
「危険は伴う。語ることで“次の応答者”が必要になるから」
「それって、感染じゃん……」
「ただの感染じゃない。“意味構造の連鎖”だ。語るという行為自体が、次の主体に引き渡す儀式になってる」
ひなたは目を伏せる。
“誰かの記録になる”ということが、どれほど怖いかを、この数日で彼女は学んでいた。
けれど。
「それでも……語りたい。消えてしまうより、呪われてもいい」
その言葉に、理久の目がわずかに見開かれた。
「……お前、強くなったな」
「強くなんかなってないよ。ただ……あの声、まだ耳に残ってる」
『……忘れないで……』
忘れたくない。誰だったのか、もう思い出せないけど。
でも、確かにそこに“いた”。
* * *
夜。
ひなたはメモを開き、ひとつの文を書いた。
私は見た。駅のホームで、ぽつんと立っていた子を。
名前は覚えていない。でも、その子の目だけは、今も胸の奥に残っている。
紙にペンが走る音が、静かな部屋に満ちていく。
この言葉が、誰かの存在証明になることを信じて。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
もし、あなたの画面にまだ異常が起きていないなら、ページ上部から【ブックマーク】をして『生存確認』の印を残してください。
下部の【☆評価】は、失われた彼らへのせめてもの供養になります。
……どうか、次回の更新までご無事で。




