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【完結済み】あなたが読むかぎり  作者: 川原 源明
第3章 トオミサマ ―視線の檻―

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第60話 視られる記憶

 昼休みの教室は、ざわめきに満ちていた。


 騒がしいはずの空間の中、ひなたの周囲だけが、ぽっかりと空気が抜けたような静けさを保っている。


 「見たことある」「あれ、なんて言うんだっけ」「夢に出た」というささやきが、廊下からも聞こえてくる。


 トオミサマは、もう“校内の語彙”になっていた。

 特定の誰かが語ったわけではない。

 “誰もが見たような気がする”という不確かな主観が、構文を維持していた。


 そして今、“視線”が集まりはじめている。


「……視られてる、よね」


 ひなたがぽつりと言った。


 昼間の教室、何の変哲もない景色なのに、視界の隅に誰かの“背の高い影”が残っているような感覚。


 それは教卓の後ろだったり、黒板の端だったり、掲示板の前だったりする。


 だが見つめようとした瞬間に、それは“すでに見られていた”と気づく。


 誰が主語なのか。

 誰が視点なのか。


 すでに境界がなくなっていた。


* * *


 その日の放課後、第三準備室。


 理久は一枚の紙を机に置いた。


「これが、“視られる記憶”だ」


 それは、一枚の“視覚記録ログ”だった。

 サーバー上のアクセス解析、コメント履歴、位置情報──


 だがそれよりも奇妙なのは、そのデータが**“何かを見せようとしている”**ように見えることだった。


「これ、記録じゃない。……記録“みたいに見える”だけ」


 ひなたは呟く。


 ログのレイアウト、フォント、書式、コメント欄──すべてが“閲覧画面”を模しているのに、よく見るとHTML構造が存在しない。


 それは“記憶を模した像”だった。


「……誰かが、“自分の記憶”を記録風に見せかけてるの?」


「違う。これ自体が、“視線の記憶”だ。何かを見たという記憶が、形式として自動で複製されてる」


「つまり……誰かが“見た記憶”そのものが、今、形になってる?」


「うん。視た者の脳が、“視たことの証拠”を作ろうとしたとき、構文がそれに乗っかって、こうなる」


 構文が記録されるのではない。

 “構文そのものが記録になる”。


 すでに語らずとも、呪いは書き込まれていく。


* * *


「終わらせるには、どうすればいいの?」


 ひなたの問いに、理久は一瞬だけ黙り、黒板に一言書いた。


【視ることを拒絶する】


「……それ、どうやって?」


「“自分の目”を封じるしかない」


 その言葉に、ひなたははっとする。


「でも、それって……自分が自分でいられなくなるってことじゃ……」


「いや、逆だ。今のままだと、“他者の視線”が自分の目を使って見てる。視ることを放棄するってのは、“自分の主体を取り戻す”行為なんだ」


 そして理久は、机の上に置いてあった、白い布を差し出した。


「これは、記録媒体。中に、小型の映像記憶装置が入ってる。この目隠しを通して最後の映像を記録する。……“自分の視界”としてじゃなく、“自分が拒絶した記憶”として」


 ひなたはそれを両手で受け取った。


 布は柔らかく、どこか温かい。


「これを使えば……“私の視線”は、もうトオミサマには届かない?」


「届かない。だが代わりに、君自身が“見る主体”じゃなくなる。記録の中に、“見ることを拒否した存在”として保存される」


「……それって、語りの終わり?」


「語りの終わりであり、“視られること”の拒絶でもある」


* * *


 夜。


 ひなたは、白布をかぶり、静かに椅子に座った。


 部屋の中央には、小さな録画装置がある。


「……いまから、私の目を閉じます。これが、“最後の記憶”です。誰かが、私の視線を借りて見る世界じゃなく、私が、もう見ないと決めた世界の記録です」


 そう言って、ひなたは目を閉じた。


 数秒後、録画装置が静かに赤いランプを消した。


 記録は終了した。


* * *


 後日、学校のサーバに奇妙なファイルが自動アップロードされていた。


 映像時間3分27秒。

 内容:真っ暗な映像と、録音されたひとつの音声。


「視られるのは、もう終わり。これは私の目じゃない。もう、どこにも視線はいない」


 それが、“トオミサマ”という構文に対する、最終的な語りだった。


* * *


 その後、トオミサマは語られなくなった。


 誰もその名を思い出せず、影の像も、もう見られなかった。


 語られた怪異は、語りの拒絶によって終焉する。


 ──ただ、夜の廊下を歩くとき。

 ふと、視界の隅に“自分の目”があるような錯覚が残る。


 あの瞬間、誰が見ていて、誰が見られていたのか。

 それすらも、もう“記録”には残っていない。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

もし、あなたの画面にまだ異常が起きていないなら、ページ上部から【ブックマーク】をして『生存確認』の印を残してください。

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……どうか、次回の更新までご無事で。

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