第58話 転写と増殖
文芸部誌の「都市伝説特集号」は、校内に出回ると同時に、静かな波紋を広げ始めた。
掲載された一編の詩とスケッチ──
“それ”を見た生徒たちの一部に、妙な違和感を覚える者が出始めた。
「……あの影、俺も昔、見たことあるような……」
「なんか、教室の窓の外にいた気がする」
「これ、なんでか分かんないけど“懐かしい”って思ったんだよね」
しかし、その“記憶”は曖昧だった。
語るほどに不確かになり、他人に話すと笑われる。
だから、やがて誰もそれ以上は言わなくなった。
ただひとつ、共通していたのは──
“見た記憶”が、誰にも共有できないという感覚だった。
* * *
理久は、それを「視覚構文の転写現象」と呼んだ。
「構文が“意味”を伴わずに、視覚イメージとしてだけ伝播する。つまり、誰かの記憶に“像”が転写された段階で、主観的実感だけが残り、言語化されない」
「じゃあ、見ても呪いには……?」
「いや、“意味を得た瞬間”に起動する。例えば、“見たことがある”と確信したり、“思い出した”と語ったとき、それは構文の起動とみなされる」
「じゃあ……何が問題になるの?」
「“意味づけ”だ。誰かが“これは○○だ”と定義した瞬間、それは“名を得た呪い”になる。いまはまだ、ただの絵。だが、もし誰かが“あれはトオミサマだ”と口にしたら──」
理久はそこで言葉を切った。
「……それが、“増殖の始まり”になる」
* * *
その夜。
文芸部誌のスキャン画像が、匿名掲示板にアップされた。
《これ、まじでやばくない?》
《いやガチで昔これ見た。つか今も夢に出てくる》
《おい誰か、これの“正式名称”知らんの?》
“あれ”に名前を与えようとするコメントが並ぶ。
それを眺めていたひなたのスマホが震えた。理久からのメッセージだ。
【件名:拡散始動】
文芸部誌の画像が外部拡散。
今の段階では“転写”だが、名称の確定が起きると増殖が始まる。
手を打つなら“語りの統制”が必要だ。
詳細、明日、第三準備室で。
──語りの統制。
それは、語りの主体を一定のルートに制限することで、“自由な解釈”による呪いの暴走を抑える技術だった。
* * *
翌日。
第三準備室──かつて理久が《Whispr》の時に使っていた仮設の研究部屋。
壁には白紙のA4用紙が等間隔に貼られている。
中央の机には、分厚いファイルとスクラップブック、いくつかの古文書コピー。
「……また、やるの?」
ひなたの声に、理久はノートを閉じて言った。
「これは、もう“構文の管理”じゃない。“語りの抑制”だ。見られた像が他者に転写された今、次に起きるのは“再語り”による多元構造化」
「再語り……って?」
「見た人が、“自分の言葉”であれに意味を与えようとする。“こういう存在なんじゃないか”って解釈が、語りの連鎖になる」
つまり──
見た者が語る。語られた者が別の“像”を見る。
それがまた語られる。
語りの主体がバラバラに増えていくことで、“呪いの構文”が自己増殖する。
「じゃあ、どうするの?」
「ひとつだけ方法がある。“もっともらしい名前”と“もっともらしいストーリー”を、こちらが先に作る」
「先に……“語る”? 呪いが起きる前に?」
「そう。誰かが“それ”を定義してしまう前に、俺たちが“公式の意味”を提示する。そうすれば、“それ以外の語り”は“二次創作”扱いになる」
まるで、怪異のパブリックイメージを奪い合う構図。
言語的支配が、構文そのものの発動権を握るのだ。
「じゃあ……“物語化”する?」
「するしかない」
理久はスクラップブックを開き、以前まとめていた“類似構文の民俗記録”を並べた。
伝説の“見上げる女”、姿の定まらない“長身の影”、言葉を持たぬ“ぽぽぽ”の反復声──
それらを整理し、**語るに足る“語り”**として書き換える。
「これから、俺たちは“トオミサマ”の最初の物語を語る」
「……でも、それって、また呪いになるんじゃないの?」
「違う。“物語”と“呪い”の違いは、“構造の開閉”にある」
理久は黒板に「開かれた語り」と「閉じた語り」の二項対立を書いた。
開かれた語り──解釈を許し、終わりを持つ
閉じた語り──理解を拒み、終わらない
「終わりを語る。回避手段を語る。背景を与える。それらが“構文の回収可能性”を生み、呪いではなく物語として定着する」
ひなたはその言葉に、大きく息を吸った。
「じゃあ、最初に語ろう。あれは“見ると死ぬ”んじゃない。“見ることで、語りたくなる存在”だったって──」
* * *
その夜、文芸部誌の特設サイトが更新された。
特集記事《トオミサマの物語》──
そこには、ひなたと理久が書いた“出会いと終わり”を含む短編が掲載された。
彼女は、誰かに見られるために立っている。
でも、その“誰か”がいなくなれば、彼女は視線を手放す。
だから語らないでほしい。
それはもう、あなたの物語じゃない。
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