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【完結済み】あなたが読むかぎり  作者: 川原 源明
第3章 トオミサマ ―視線の檻―

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第56話 視線の残響

 昼休み、教室の窓際。

 ひなたは、食べかけのパンを手に、ふと窓の外を見つめていた。


 校舎裏の桜並木。その奥、旧体育館のガラス窓に、一瞬だけ“誰か”の影が映った気がした。

 けれど、すぐに消える。


「……もう、視えないって言ったじゃん」


 独り言のようにそう呟きながらも、胸の奥ではわかっていた。

 ──“記憶の断絶”が、完全ではなかったのだ。


 昨日、理久と遮断構文の最終調整を終えた。

 “名前のない存在”は、記号化によって認知の回路からは外されたはずだった。


 にもかかわらず、“残りかす”のように、視線だけが記憶に残っている。


* * *


「それは、“視線自体”が構文化してるからだ」


 理久は黒板にマーカーで数式を書きながら、淡々と説明する。


「名を語られずとも、視線の軌跡が“記録”された場合、構文の一部が生き残る」


「……つまり、私が視た、あのときの“まなざし”が、まだ……?」


「ああ。語りと記憶は遮断したが、“視線の座標”そのものは生き残ってる。簡単に言えば、“誰がどこをどう見たか”という軌跡が、構文の一部になっている」


 ひなたは、昨夜書いた落書きを思い出した。

 自分でも無意識だったはずの“あの目”。あの高さ。あの服の線。


「視られたという記憶は、視たという事実以上に深く残る。“見られたこと”を思い出すたび、君の中に“それ”が形を持って再生される」


 それはもはや、誰の名前でも、誰の顔でもない。

 視線という行為そのものが、呪いの起点になっていた。


「じゃあ……もう、視られるだけでダメなんだ?」


「厳密には、“思い出す”視線が危ない。誰かを視た記憶ではなく、“誰かに視られていた”という感覚。それが再生されると、構文が再接続される可能性がある」


* * *


 放課後、旧体育館の調査に向かった二人は、ある奇妙なものを発見した。

 床に落ちた日誌帳──教師用の備品だ。


 それは廃棄された年代のもので、開くと、すべてのページに同じメモが繰り返されていた。


《ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ》


 日付も記録者名もない。ただ、ページが進むごとに、“ぽ”の数が増えていく。


 そして最終ページ──そこには、墨でべったりと書かれた言葉があった。


《見ないで。見られないで。視線を、視線を、視線を────》


 ひなたは思わず本を閉じた。

 指先が震える。


「これ、たぶん……その教師、呪いに“見られてた”んだ」


「“視られる記憶”に押しつぶされた末路、だな」


「でも……だったらどうやって、それを断ち切ればいいの?見るなって言われても、視えちゃうもんはしょうがないじゃん……」


 理久は一瞬だけ、言葉に詰まった。


「……“見る”という動詞を、別の行為に置き換えるしかない」


「別の行為?」


「視るんじゃない。“視させる”んだ。つまり──構文の主体を自分から呪いの側に転倒させる」


 ひなたは眉をひそめた。


「どういうこと……?」


「“私は見ていた”ではなく、“見せていた”という構文に変換する。あれを主体にするんじゃなくて、自分が“視覚を与える側”になる。たとえば、映像化して残す。絵にする。文章にする。そうすることで、“記録主体”が自分になり、呪いは一段階、後退する」


 それは、まるでカメラのレンズをひっくり返すような行為だった。


 受動的な視覚──恐怖にさらされる立場──から、

 能動的な視覚──語る・記録する・再構築する立場──へと、“語りの主体”を移す。


「でも、それって……また“語る”ってことじゃん」


「そうだ。リスクはある。でも、“沈黙のまま視続ける”ことが一番危険だ。語ることで構文を管理下に置けるなら、それを選ぶしかない」


 ひなたは、そっと頷いた。


 もしかしたら、自分が視たあの記憶を、誰かに渡すことが必要なのかもしれない。


 “見られていた”という記憶が、呪いではなく証言として残るように。


* * *


 夜。

 ひなたは、自室のデスクに一冊のスケッチブックを広げていた。


 白紙のページに、黒インクで、あの“高い影”の輪郭を描いていく。


 首の角度。腕の長さ。立ち位置。

 なぜか、手が止まらない。


 まるで、自分の中にある“視線”が、勝手に紙へと流れ出しているかのようだった。


 ──それは、もう“自分の記憶”ではなかった。


 ひなたが筆を置いたとき、そこに描かれたのは、“視線の記憶”そのものだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


もし、あなたの画面にまだ異常が起きていないなら、ページ上部から【ブックマーク】をして『生存確認』の印を残してください。


下部の【☆評価】は、失われた彼らへのせめてもの供養になります。


……どうか、次回の更新までご無事で。

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