第53話 語られた夢
ぽ、ぽ、ぽ、ぽ……
夢の中で、音がした。
ひなたは自室のベッドで眠っていたはずだった。
けれど、視界は奇妙に暗く、重く、まるで“布の裏側”に閉じ込められているようだった。
周囲は見えない。
けれど確かに、何かが視線の端で“立っている”のを、彼女は感じていた。
声がした。
「……どこ、見てるの……?」
耳ではない。皮膚で聞くような、ぞわぞわと這い回るような声。
その声は確かに、自分の“後ろ”から聞こえていた。
──目を向けてはいけない。
理久の警告が、頭の中に浮かぶ。
だが、次の瞬間、視界が勝手に振り返る。
“見せられた”のだ。
そこにいた。
背の高い、白いワンピースのようなものを着た存在。
顔は曖昧で、髪も体の輪郭も、夢のノイズのように揺れていた。
ただ一つだけ、はっきりしていたのは──
“目”だった。
異様に大きく、黒く、虚ろで、なのに見つめ返してくるような、焦点の狂った瞳。
「ぽ、ぽ、ぽ……」
声が、音ではなく、脳のどこかの奥で反響していた。
そのとき──
「名前を呼ばないで!」
ひなたが叫んだ。
その瞬間、視界が裂けるように破れ、彼女は現実に戻された。
* * *
「ひなた! 起きろ!」
理久の声で目が覚める。
部屋の照明が点いていた。スマホのカメラも録音機も、まだ稼働中だった。
ベッドの周囲には、妙な痕跡が残っていた。
白い砂。細い指のような擦過跡。
「……夢に出た」
ひなたはつぶやいた。
理久は頷き、カメラの記録を確認し始める。
──録画映像には、寝言のように話すひなたの声が記録されていた。
「見ないで……誰も……目が……合うと……名前……」
その音声は、何かに“応答していた”。
まるで、対話が成立していたかのように。
「お前、名前を言いかけてた」
理久が映像を巻き戻しながら言った。
「呪いの起点が、“名前”に移行してる。つまり、トオミサマは“語られた名”を契機に、記憶構造ごと侵食するつもりだ」
「私、見られてたのかな……あの“目”が、ずっと……」
ひなたは自分の両目を押さえた。
けれど、どこにも違和感はない。ただ、妙に“目の奥”がかゆい。
「次に現れたら、もう遮断は難しい。“視た記憶”そのものが感染している可能性があるからな」
理久は、録音データをクラウドへ転送しながら言う。
「でも……」
ひなたが、ぽつりと言った。
「でも、あれは“誰かの顔”だった。はっきりじゃないけど……“誰かの記憶の中にある顔”みたいだった」
理久は思案するように視線を落とした。
「可能性はある。“トオミサマ”が本当にただの異形じゃないなら、もともと“誰かの姿”が模倣されているのかもしれない。視線を受けた記憶、感情、トラウマ……」
「それが、“視る”という行為に感染して、広がっていくってこと?」
「そうだ。視た記憶が感染して、誰かの中に“似た像”を作る。たとえば、お前が“誰かを思い出すときの顔”──それが呪いの姿に重なったなら?」
ひなたは小さく息を呑んだ。
“トオミサマ”は、誰かの顔だったかもしれない。
あるいは、自分の“記憶”そのものが、トオミサマを作り出してしまったのかもしれない。
* * *
翌朝、教室に向かうと、ある生徒が欠席していた。
昨日まで普通に登校していた男子生徒──ひなたが夢の中で一瞬すれ違った気がした人物。
「……あの子、視たかもしれない」
ひなたは呟く。
理久は、短く頷いた。
「構文の再感染だ。誰かが見て、名前を思い、夢に見て……そして“語ってしまう”。それが次の起点になる」
「じゃあ、次に狙われるのは──」
「“名前を知っている誰か”だ」
ひなたの顔が強張る。
名を呼ぶ。視る。記憶する。語る。
それらすべてが、“呪いの構文”になり得る。
もはや、言葉を使わなくても、“記憶”に残るだけで構文が生まれてしまう。
「……私たち、たぶん……もう“視られてる”だけじゃ済まない。“思い出すこと”も、もう安全じゃないよ」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
もし、あなたの画面にまだ異常が起きていないなら、ページ上部から【ブックマーク】をして『生存確認』の印を残してください。
下部の【☆評価】は、失われた彼らへのせめてもの供養になります。
……どうか、次回の更新までご無事で。




