第16話 『語り手不在の記録』
――再起動。
理久の手元で、冷却されていた端末がようやく再び動き出した。
《Whispr》のログイン画面は表示されたままだが、何も語られていない。
通知も、履歴も、過去に残っていた“語りの痕跡”すら、まるで意図的に消去されたかのように空白だった。
しかし、それでも**“存在しなかったわけではない”**。
理久は接続プロトコルを切り替え、《Whispr》の非公開ログ群へアクセスを試みる。
そこには、通常の語り手IDと結びつかない投稿――すなわち、
語り手不在ログ(Null Narrator Log)
と分類された、数百件の断片的なログが残されていた。
[投稿者不明]
「電車を降りた。駅の名前が読めない」
「ドアは開かない。でも、足音が聞こえる」
「誰かが、私の背後で……」
「これ……ユイの……?」
ひなたが、画面越しに震える声を出す。
だが、ログは“ユイ”というユーザーネームとは無関係のIDで構成されている。
それは、視点だけが浮遊し、語り手としての存在が割り当てられていないログだった。
「つまりこれ……“ユイの視点”が誰にも所有されてなかった、ってこと?」
「いや――」
理久は首を振った。
「“割り当てられなかった”んじゃない。“割り当てを拒否した”んだ」
Parallax Memory Labの内部資料には、こう書かれていた。
【Protocol ZERO】
-- 視点を与えず、語られず、記録されない情報領域を確保する実験
-- 目的:物語化不能な現象に対する“非観測記録”の構築
「ユイは《Whispr》に取り込まれたんじゃない。
最初から、“観測に抗った”最初の視点だったんだ」
画面に、例の語り断絶ログのタグが浮かぶ。
[視点保持拒否ログ:No One #000]
― 初期投稿主:ユイ(仮)
― 観測不能理由:“自己実況抹消プロトコル”作動
「ユイは、語られないために語ってたんだよ。
実況が進むたびに、自分の語りを“先に破綻させる”ように作ってた。
だから、途中で一文だけ意味が切断される。“誰か──”で止まる。
“結末を明示しないことで、観測の鎖を断つため”に」
その言葉を聞いたひなたは、思わず膝を抱えるようにして座り込んだ。
「……そんなの……最初から一人だったってことじゃん……」
誰にも語られず、誰にも聞かれず、ただ存在を消すために実況を続けた語り手。
それが、ユイ。
「でも、あの最後の通知……“ユイが投稿を再開しました”ってやつ。
あれ、誰かが“語り手として再割り当てされた”って意味だよね?」
理久は静かに頷いた。
「再開、じゃない。“再構成”。
ユイの語りが、誰か“別の語り手”に引き継がれたってことだ」
「……誰?」
その瞬間、画面に突如表示されたログ。
@NoOne001:「私の目で、もう一度語る。記録されないまま、終わらせない」
そのログに添えられた“視点キャッシュ”には、ひなたの顔が――
わずかに映っていた。
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