表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

花嫁とショットガン

作者: 寺畠 輝

 ささやかな結婚式であった。と、記憶している。花嫁と花婿の親族が五、六人ずつ集まっただけの質素なものだった。特異な点があるとすれば、その結婚式には、両家のどちらにも属していない、また、そのどちらにも属している存在が列席していた。つまるところ、花嫁の腹には赤ん坊がいた。

 式場は両家の居住地からちょうど中間地点。単なる偶然ではない。そうしなければならなかったのだ。どちらかが近く、どちらかが遠くなる。そのようなことは決して許されるものではなかった。望まれた結婚ではなかったのだから。そもそも両家の親族が一堂に会しただけで奇跡に近い状態だったのだ。

 両家は戦前から綿織物を営んでいた。新婦の家は南国であった。絽を織り込んだ涼しい着物を生業として、縁側で食べる西瓜や、どこからか聴こえてくる風鈴の旋律と共に、茹だるような暑さを癒し続けていた。いっぽう、新郎の家は雪国であったので、紬を中心に使用していた。暗く、永遠と続く雪道に灯る一つのガス燈のように、人々の身も心もあたため続けていた。当初は、互いに鎬を削る好敵手のような関係であった。

 しかし、「戦争末期には季節などなかった。」と記した作家がいたように、各地は空襲という名の画一化された夏に灼かれ、両家の作業場もその例外ではなかった。代々築き上げた財産はあっという間に灰と化し、絶望の渦の中でそれぞれが再興に向けて動き出した。

 だが、その道のりは遠い海の底に沈んだ軍艦を引き上げるようなものであり、決して簡単なものではなかった。戦前、戦中には軍人の妻君のために需要があった織物産業も、末期には贅沢を慎む風潮から、まこと煌びやかな着物は敬遠されてきた。その鬱憤の発露ともいうべきか、次いで流行したのは洋服であった。織物の需要が全国的に落ち込む中で、再興を目指す両家は、もはや互いを高め合う仲ではなく、生存競争の中で蹴落とし合う仲となってしまった。

 だから、成り行きはどうであれ、この結婚式には大きな意味があった。古風な価値観を有する両家からすれば、婚姻の前に子どもが宿っているなど青天の霹靂に他ならなかった。その報告の際には、新郎も新婦も構わず鉄拳が振りかざされ、チークを施したような頬を数日の間、晒すしかなかった。と聞いたことがある。しかし、綿織物産業の未来を考えたならば、両家は再興への道として、この結婚を認めざるを得なかった。

 衣装を決めるのにも一苦労をした。せっかくだから、と花嫁、花婿衣装は各々の家で拵える手はずとなっていたが、なにしろ、結婚式は冬であった。それでは新婦の持ち味が活かせないということで、これも大変、議論が紛糾したらしいが、ウエディングドレスとタキシードという、ごく一般的な洋装になった。

これは後に聞いた話であるが、新婦も新郎も非常に緊張していたそうだ。新郎はリハーサルの場面で、壊れたブリキの兵隊のように手と足を同時に出す歩行しかできなかったらしいし、その様子を見た新婦は物憂げな表情を浮かべながら、「大丈夫だよ、あなたのパパはきっと本番では格好良いよ」などと言い、大きくなったお腹を御守に願いを込めるようにさすっていたようだ。


 ささやかな結婚式になる、はずだった。親類の張り詰めた空気も主役の入場によって、ずいぶんと和やかな空気が流れた。羞花閉月という故事の通りに、この世の全ての色彩の輝きを無に帰すような純白のドレスに、それを引き立てるオフホワイトのタキシード。青と赤が半々となった珍しいバージンロードは両家が専門外の知識を、一から学んで新郎、新婦のためにどうにかして作り上げたものであった。お互いが顔を合わせることを拒んだので、繋ぎ合わせは式場が手配した町の小さな織物屋に頼んだ。しかし、さすが名家、というべきであろう。納期の一週間前には作業を終わらせていた。これがプライドというものだ。青と赤という歪な組み合わせになるはずであったのにもかかわらず、それぞれの特徴が大変美しく調和していた。親戚一同は言わずもがな、式場の関係者も思わず、舌を巻いていた。これが、両家の雪融け、初めての共同作業であった。

 主役がいよいよ、神父の前に立った。神父が粛々と手はず通りの文言を伝えきった。

いよいよだ。そう、参列者の全員が思った瞬間に、花嫁の手に馬の尻尾のような物体が見えた。そう、物体だったのだ。馬の尾のように、さらさらと手からすり抜けていくような、つかみどころのないものではなかった。花嫁は自らの手を持て余す、木目調のそれを、しっかりとした手つきで握っていた。震えが見えても、手離すことはしなかった。

 その震動が刹那、止まった。誰かが声を上げるよりも早く、新たな震動が起きた。純白の胸元にはいくつもの真赤なバラがあしらわれた。それは、この世界で最も惨たらしくも、最も自然な華であった。若き女性の返り血は、主役の衣装だけではなく、親族の全てに、こびりついて消えることがなかった。誰が想像したであろうか。新しい人生の始まりと終わりが一度に押し寄せることを。

 女性は、すぐに病院に運ばれた。もちろん、助かる術などなかった。唯一、助かったのは彼女の腹の中に宿っていた、もう一つの心臓。非常に弱々しく、産声も上げないまま、そうして、私は産まれた。

 成人した今になって、かつての新郎——父から、この話を聞くことができた。その口ぶりは、いやというほど穏やかであった。混乱を避けるような語りにも見えたし、過去と現在を切り離した諦めにも見えた。ただ一つ、確実に言えることは、私は母の言葉を知らない。遺書も残さず死んでいった母の本意を知らない。だから、あの日に起きた一幕をここに記さなければならないと思った。母を辿れるような気がした。

 母が使ったショットガンは、どこから手に入れたものかは分からないままであった。警察も入手ルートの捜索に苦労した末、ついにサジを投げた。警察に押収された後に、両家の親族は、せめてもの形見だといって、本物さながらのレプリカの複製に励んだ。あの日のバージンロードのような青と赤が綺麗に織り込まれたレプリカは両家の仏壇と共に飾られている。


 私はそれを手に取って、ボストンバッグにそそくさと詰め入れて、家を出た。近くの人通りの少ない河川敷の下で、銃口を胸に押しつけた。引金をひいた。空砲が鎮魂歌のように響いた。私は頬を伝うものの正体も分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ