17.時子と119
「きゃー、痛い!」
それは、夏の激しい暑さも少し和らぎ、秋の強い風が吹く頃の話だ。
開店前の支度をしている時だった。マロウドの階段から何かが転がり落ちるような物凄い音がして、時子が見に行くと、市江さんが倒れていた。
見ると、市江さんの手が変な方向に曲がっている。時子は、こういう時どうするか知っていた。染谷からスマホを受け取ったとき、110番と119番について教わっていたのだ。住所も以前に勉強した時に何度も何度も清書していたので知っていた。
時子は、すかさず、スマホを開き、119にダイヤルした。
「119番消防です。火事ですか、救急ですか」
「えーっと、店の者が階段から落ちて、腕が変な方向に曲がっているんです」
「わかりました。今救急隊向かってますので、お待ちください。応急処置などはできますか?」
「えーと、応急処置って何ですか?」
「えー、わかりました。その方を楽な姿勢にしてあげてください。意識はありますか?」
市江さんの方をふと向くと、意識ははっきりしているようだった。
「大丈夫です。意識はあります」
救急隊と電話が切れた後、時子は市江さんを抱え、壁にもたれかかるようにして座らせる。洗濯した服と洗濯籠が辺り一面に散らばっている。
「ごめんねえ、時子ちゃん。洗濯物を降ろそうとしたら、足が滑って転んじゃって」
謝る市江さんの方を見ると、やはり腕が曲がっており痛そうである。
なおもごめんと謝る市江さんの姿を見て、時子は心苦しい気持ちになるのだった。
5分ほどして、救急の者がやってくる。薄青い服を着た者たちがぞろぞろと店内に入ってくる。平安京ではまず見ない光景だ。なれ果てでは、医術がここまで進化しているのかと時子は感心する。
「どなたか付き添いはできますか?」
「私がします」
腕が折れている市江さんに対し、心苦しい気持ちはあった物の、なれ果てでの医術に関心があった時子は、真っ先に救急車への同乗を申し受けた。
紅色の光をちらちらと光らせたその車は色々な道具が積み込まれていた。きっと人命救助に必要なものなのだろうが、どれも平安京では見たこともないものだった。市江さんを乗せまもなくすると、一人の青服の男が付き添い、後部の扉が閉められ、車が発進した。
「ぴーぽーぴーぽー」と音が鳴っている。(ときどき街中で聞こえていた音の正体はこれだったのか)と、時子は思った。
市江さんは、痛そうに顔をひきつっている。外が見えないようにカーテンが掛けられた車内。時折、道の轍を踏んで揺れる車内。時子は、初めて乗った救急車という乗り物にとても興奮した。
(平安京にも似たような制度があればいいのに)と内心考えている。
時子は染谷に使い方を教わった「ライン」で、市江さんが倒れた旨を送信する。既読はすぐについた。そしてすぐ返信が返ってくる。
《大変な事になったね。今電話できるか》
しばらくすると、スマホが振動した。画面に「染谷さん」と表示される。
『時子ちゃん?大変だね一人で大丈夫?』
『なんとか大丈夫そうじゃ。染谷さんも来れるか?』
『悪いんだが、今京都にいないんだよ』
『何処に居るのじゃ?』
『時子ちゃん、あげた歴史の参考書は読んだか?』
『読んでおる。一通りのことは学んだが』
『江戸だ』
『そんな遠い所におるのか』
『悪いんだが、当分そちらへは戻れないと思う』
『どのような用なんだ?』
『漫画大賞の授賞式だ』
『よくわからぬが、そちらも大切な用なのじゃな』
染谷が、申し訳ないと言い、電話は切れた。




